第10話「彼女を襲う二つの脅威」

1.本当に何でもできる人

 (前回まで回想編でしたが、今回は時系列を戻します)


 ***


 スナキア家の朝。

 第七夫人・エルリアの部屋にて、ヴァン[エル]は身支度を整えるエルリアの姿を見守っていた。


「ヴァ、ヴァン様。どうして見てるんですか? 落ち着かないのですが」


 エルリアは洗面台の鏡を見つめて髪を梳かしながら、夫に苦言を呈した。


「いや……、どんどん綺麗になるから見てたくてな……」


 寝起きの何の手も入っていない状態ですでに美しかった妻がさらに仕上がっていく。こんなに高揚する景色はなかなかないだろう。朝から良い目の保養だ。視力が上がった可能性まである。


わたくしとしては完成まで待っていただきたいのですが……。プレイだと思ったら悪くないかもです」


 当の妻は不満げだった。どんな隠語を放つときも全く衒いのないエルリアが少し恥ずかしがっている。それもまた一興だ。


「というかヴァン様はシャワーを浴びられないのですか? 他の分身はもう合流されているのでしょう?」


 夜は八人に分身してそれぞれ妻と過ごしているヴァンたちは、朝になると一階の大浴場で合流・合体し、一旦全ての記憶と経験を合算するのがルーティーンになっている。合体しておけば風呂も一回で済むのがポイントだ。だが本日は、


「今ジルが使ってるんだ。ジルの部屋のシャワーが調子悪くてな」

「あら、わたくしが修理しましょうか?」

「た、助かるよ」


 流石嫁サイボーグの異名を取るエルリアだ。相変わらず何でもできる。


「その代わりと言ってはなんですが……」


 エルリアは髪型を整えながら遠慮がちに口を開いた。


「ん? 何でも言ってくれ」

「では……、理由を聞かずに千二百度の炎を一時間ほど出し続けてもらえます?」

「……?」


 出し抜けに妻が意味の分からない依頼をしてきた。ヴァンの呆けた顔が鏡に映る。


「ですから、理由を聞かずに千二百度の炎を一時間ほど出し続けてもらえます?」

「……そんな危ないことをするなら理由は聞きたい」

「ですよねぇ……」


 エルリアはさもありなんとばかりに首をゆっくり縦に振った。


わたくしお皿を焼きたいんです」

「皿を……?」

「実はお料理の研究が最近行き詰まっておりまして……。別のアプローチから更なる改善ができないか考えたところ、食器をグレードアップして見栄えを良くするのがいいのではという結論に至ったわけです。できればサプライズしたかったのですが」

「な、なるほどな。でもご飯はもう充分すぎるくらい美味しいぞ?」


 ヴァンは本心からそう告げた。基本的にスナキア家では夕飯を当番制で回してまとめて作っているのに、エルリアは個別に作ってくれることが多い。高級レストランばりの料理が食卓に並び、あまりのクオリティーの高さに気絶しかけたことが何度もある。


「フフ、ありがとうございます。でもわたくしもっと成長したいんです!」


 あまりの健気さにヴァンの膝がぐらつく。そこまで言ってくれるのであればこちらが手伝えることは全てやろう。


「ただ炎出すだけじゃダメだよな? 窯……か何かがいるのか?」

「そうなりますね。ただ、先日ミカデルハの一件でヴァン様はバリアで避難所を建てられたでしょう? あの応用で作っていただけないかと」

「なるほど……。構造が分かればできると思う」

「本のお部屋に資料がございます。多分<検閲されました>コーナーと<検閲されました>コーナーの間あたりに」


 ヴァンは隠語は聞き流し、早速分身を一人作って探しに行かせる。


「あとは道具とか粘土とかも必要だよな」

「ええ。わたくしが見繕うので今度連れて行っていただけませんか?」

「今度と言わずに今日行こう」

「え? い、一応伺いますがお仕事は……?」

「分身がやればいい」

「な、何でしょう……。ヴァン様って死ぬほど働いてらっしゃるのに誰よりスケジュール空いてますわよね……」


 ヴァンは事実上、毎日が日曜日だった。デート担当の分身と仕事担当の分身が壮絶に揉めることにはなるが。


「では、午前中に全て揃えて午後には作り始めますわね。乾燥の時間があるので完成にはしばらくかかってしまいますが……」


 ヴァンは思い立ち、提案する。


「俺もやってみていいか?」

「あら、ヴァン様も?」


 エルリアはキョトンと目を見開いた。


 正直言って陶芸自体にあまり興味はない。ただ、妻と一緒に何かするという行為には非常に強い興味がある。


「じゃあ教えて差し上げますね。フフ、えっと、先に申し上げておきますと、ヴァン様って手先はそれなりに器用ですけど芸術のセンスは皆無なので変に気を衒わずに無難なものを目指すのが良いかと思います」

「うっ……!」


 エルリアは鏡越しに揶揄うような目を向けてきた。


 彼女ほどではないとはいえ、ヴァンは幅広いスキルを持った男だ。世間にも何でもできる奴として認知されている。だが、それらのスキルは分身を利用した異様なまでの反復で身につけたもの。デザインセンスのような練習した回数と成長度が比例しない能力は実は大したことがない。


 妻はそれをよく理解していた。小馬鹿にされたというのに、理解されていることが嬉しくてヴァンの口元は緩む。


 そして妻の口元は、それ以上に緩んでいた。


「フフ、期せずして今日はヴァン様とデートになりました!」


 背後に「ルンルン」という文字が浮いて見えそうなほど機嫌を良くし、尻尾をゆらゆらと揺らしていた。この子はお上品ながらいつも感情表現が豊かで、ヴァンのことを心底好いていてくれて、どんなことだってサポートしてくれて、本当に可愛い最高の妻だ。


「あ、他にも何人か見繕って<検閲されました>にしませんか⁉︎」


 問題があるとすればこの性癖だけだ。ヴァンが黙って首を横に振ると、エルリアが不満そうに唇を尖らせた。


「……そうと決まれば、急ぎましょう! ヴァン様、申し訳ないですが朝食は急いで食べていただけますか?」

「ハハ、ああ。食べるのは得意だよ」

「あ、あとせっかくのデートですけどもうお化粧やめていいですか? どうせ土で顔まで汚れますし。あ、あと作業着も着なきゃですね。私やると決めたら本気なので! 今日は全然可愛くできませんから!」


 エルリアは大真面目な顔で宣言した。


「その一生懸命なところが可愛いよ」


 つくづくそう思う。

 ああ、今日もいい日になりそうだ。

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