15.今まで何万回の

 ***


 夜。十八時半。ヴァンは全ての仕事を終え、八人に分身。それぞれ妻の部屋に帰宅する。


「ただいま」


 ヴァン[ジル]が告げると、ジルーナが廊下にひょっこり顔を出した。


「おかえり」


 ヴァンはしみじみと彼女の言葉を噛み締める。帰宅したら彼女にそう言ってもらえるからこそ、ヴァンは毎日敵だらけの外の世界に飛び出して行くことができるのだ。


 ヴァンは廊下を進み、キッチンに到着。夕食当番が作ってくれた料理とは別に、ジルーナは追加のおかずを作ってくれていた。


「昼以来だな」


 ヴァンは壁に寄りかかり、笑いまじりに告げる。


「あ、ご、ごめんね。送ってもらって」

「何で謝るんだよ。ジルに頼られて嬉しかったよ」


 本心でそう思う。妻のためなら何だってしてあげたいのだ。してほしいことを示してくれるのはありがたいくらいだ。ジルーナは少し考え込むように、鍋をかき混ぜる手を止めた。


「……そう、なんだね。さすが、ティア先生のレッスンは勉強になるよ」

「ハハ、やっぱりやってたのか」


 予想通りキティアの『わがまま女レッスン』が開催されていたらしい。どんどん続けてもっとジルーナを仕上げてほしい。第一夫人であるジルーナには一番長く苦労をかけているのだ。


「……ねえ、わがまま言った後はさ、ご褒美をあげるのがルールなんだって」

「ほう? それはありがたい」


 本当にキティアは良い先生だ。


「ど、どうしよう。……今更ちゅーくらいじゃ喜ばないよね?」

「いや、初めてしたみたいに喜ぶぞ」

「い、今まで何万回したと思ってるのさ。……おいで」


 ジルーナに手招きされ、ヴァンは喜び勇んで彼女に接近した。ジルーナは踵をクッと持ち上げて、ヴァンの唇にキスをした。


「……うん、今日は良い日だ!」


 ご機嫌。始まりは最悪だったが、終わってみれば爽快な一日だった。あの厄介な総理の隙を見つけたし、昼間から妻とイチャイチャもでき、ランチも妻と楽しみ、フラムはダイエットに手応えを感じ、夜は『タクシー』をやってあげた四人からご褒美も貰える。最高だ。


「ほ、本当にそう思ってる? あのさ、ニュース見たよ」

「あ」


 ヴァンの結婚に抗議するデモがあったことはすでに報じられていた。そして総理による企みだったことも、その証拠が見つかったことも。


「現場に居た人が撮った映像が流れてたけど……あれはすごいね。あれが夫だと思うと震える」

「演技だぞ……⁉︎」

「ハハ、分かってるよ」


 ジルーナは笑いながらヴァンを励ますように肩をぽんぽん叩いた。しかし、その直後に一転して表情を曇らせる。


「また自分が傷つく方法選んで……。早く色んなことから解放されるといいね……」

「……そうだな」


 ヴァンはジルーナを真似し、彼女の肩をぽんぽん叩く。


「でも、今日で結構良い方向に進んだと思う」

「そうみたいだね。なんかニュースでも、『もうスナキア家のことは諦めないと』って雰囲気だったよ」


 全力で変態になり切った甲斐はあったというわけだ。それと総理の不祥事を合わせれば、次の選挙は相当期待できそうだ。


「ジルは大丈夫か? 総理の仕込みだったとはいえ、結婚反対のデモなんてな……」

「うん。へーき。結婚したばっかりの頃は家の目の前でやられたじゃん。それと比べれば全然」

「……」


 本当に、彼女には辛い思いをさせてきたと思う。結婚当初の国民の反発は今の比ではなかった。彼女は、自分の立場のせいで国中に非難される立場になり、隠れるように暮らすことを余儀なくされた。その上────、


「他のみんなも大丈夫そうだったよ」


 他にも妻がいる。しかも八人の中で彼女だけはその受け取り方が違うだろう。ヴァンの妻は彼女ただ一人だった時期があるのだ。最初から別の妻が居る状況だった七人より、受け入れる負担は大きかったはずだ。


「他のみんな……か」


 ヴァンにも彼女にも他の選択肢がなかったとはいえ、この結婚は残酷だ。


「……今更何考えてるの?」


 ジルーナはヴァンの顔を覗き込む。ヴァンの思考など彼女には容易く見抜かれてしまう。


「ヴァン、私ね。みんなが居るから挫けずにやってこれたの。みんなが居るから今幸せなの。だから、これで良かったんだよ。それに……」


 ジルーナは爽やかに微笑む。


「一夫多妻は私が言い出したんだからさ」



(第06話 完)

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