7.お出かけ組の寝台

「……お、お金、結局、どうしたです?」


「せ、正規料金以上は受け取ってくれないかも、しれない、から、皿の下に隠しといたよ。今頃……驚いてるはずだ」


 息も絶え絶え。


「そ、そうですか。……今日も、ご、ご馳走様です」

「いやいや、こちらこそ、い、いつも、作ってもらってるから……」


 昼食を終えたヴァンとシュリルワは別荘に来ていた。海の見える静かな場所にポツリとそびえ立つ、隠れ家のようなログハウス。キングサイズのベッドの上で、揃って大の字になって体を弛緩させていた。


「お、お腹きついです……」


 シュリルワは苦しそうに声を漏らす。案の定、あの店のコース料理は膨大な量だった。


「よ、よく食べたなシュリ。俺でも大変だったのに」

「い、意地です……!」


 大食漢のヴァンでも苦戦する量を彼女は何とか平らげた。もちろんある程度はヴァンが代わりに食べてあげたが、シュリルワもあれだけのサービスを受けて蔑ろにするわけにはいかないと懸命に戦ったのだ。店主の前では「適量でしたわよ」と言わんばかりの余裕の態度を見せる小芝居まで披露していた。


 味は最高だったし、彼女も気に入ってくれたようだった。しかしダメージは残った。だらっと寝転がる場所が必要だった。


「別荘があって良かったです……。でも掃除しないとです……」


 そう言いながらも、シュリルワは重たそうにゴロンと寝返りを打つだけだった。せっかくセットした髪が崩れてしまうが、もう構っていられないらしい。


「今度にしよう……」


 ヴァンも今は休みたかった。二人で並んで横たわり、外から漏れ聞こえる波の音を聞く。ここは常夏の島国。午前中はオーロラを見たことを考えると真逆の環境だ。ヴァンにしか実現不可能なデートコースである。


「……海、ちょっと入ってみるか?」

「んー、せっかくだから足だけでも浸かるですか」


 しばしの静寂。


「……あ、そういやあのジャケットのボタン付けといたですよ」

「お、ありがとな」


 しばしの静寂。


 口すら重い。ポツリポツリと、お互い何か思い付いたときだけ口を開き、すぐに会話が途絶える。それでも居心地は良かった。眠ってしまわないようにだけ気をつけて、沈黙の時間を楽しんだ。ヴァンは相当な働き者だが、シュリルワもなかなかだ。いつも家ではチャキチャキと動き回っている。こうしてのんびり過ごしているのを見ると少し安心する。


 ────二十分ほど経って、シュリルワは寝転がったまま両手を伸ばした。


「……うん。動けるようになってきたです」


 苦しいほどの満腹感からは解放されたらしい。ヴァンも同じくだった。


「……さて」


 その言葉を待っていた。ヴァンは動き出す。二人きり。ベッドの上だ。身を捩ってシュリルワに近づいていく。


「え?」


 仰向けに横たわるシュリルワに覆い被さり、彼女の細い両手首を掴んだ。すべすべした肌を親指の腹で撫でる。シュリルワはその手を振り払うことはなかったが、驚いたように困り眉を作る。


「ヴァ、ヴァン……? 今です?」


 猫耳の先が力なくお辞儀をする。最高。


「今も、夜も、だよ」

「で、でも、美術館……」


 シュリルワはもじもじと呟いた。


「……実は、時差的にまだ開いてないんだ。だから時間を潰さないと」

「え……?」


 美術館のあるザカンダ国はまだ朝の九時なのだ。行ったところで閉まった門を見るだけだ。


「せっかく他の行き先候補も用意しといたんだけどな。……でもさっき『次のデートで』って言われたからさ、俺は途方に暮れてるんだ。今日はもうここでゆったり待つしかないんだよ」


 ヴァンはニヤリと笑みを浮かべる。言質は取ってあるのだ。


「……は、図ったですね?」


 シュリルワはしてやられたとばかりに眉根を寄せ、口を尖らせた。そんな顔しても可愛いだけだ。


「で、でも髪崩れちゃう……」


 瞳を逸らす。


「もう崩れてるよ。それも可愛いけど」


 髪を撫でる。


「シュリ髪乾かすの時間かかるです……シャワーは……」


 躱す。


「身体だけ流せばいいよ。どうせ軽く海にも入るんだろ?」


 逃がさない。


「んー、えーっと……、お、お腹いっぱいですし……」

「『動けるようになった』って聞いたぞ?」

「でも……」

「……他に言い訳は?」

「…………ん」


 シュリルワは観念したように両の目を閉じた。しない方がいい理由がなければ彼女だって嫌じゃないはずだ。ヴァンが唇を合わせると、強張っていた彼女の手首から力が抜けていく。ヴァンは手を離し、今度は指を絡めた。少し顔を離して、精緻なお人形のような彼女の顔を覗く。陶器のような乳白色の肌がほの赤く染まっていった。


「ヴァン……好き……」


 蕩けた瞳を真っ直ぐに向けて、うわ言のような声を漏らす。もう乗り気じゃないか。


「好き……大好き……」

「ああ、俺もだよ」


 ヴァンは再び唇を重ねた。

 ────つくづく思う。今日のデートプランは、完璧だ。

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