9.のんびり組の失敗
「それはね、お義父様が作ったアルバムだよ」
今は亡きヴァンの父、ラフラス・スナキア。
「ご病気でもう長くないって分かってから、ヴァンに少しでも思い出を残そうとして作ったんだって。小っちゃい頃のヴァンとお義父様の写真が集まってるの」
ヴァンは妻がいなければ天涯孤独の身である。記憶のある唯一の肉親である父が作成し、父と共に撮った写真が収められたアルバム。きっとヴァンにとって物凄く大切なもの。
「ど、どうしてそれをこんなところに置いておくんですか? わざわざあたしたちから隠すのは変じゃないですか」
「うーん、ヴァンが見られたくなかったっていうより、みんなが見たらちょっと寂しい気持ちにさせちゃうかもしれないから遠ざけてたんじゃないかな。……何だか私も申し訳ないや」
ジルーナの神妙で困ったような表情を見て、残りの三人は不思議がった。彼女の言葉の意味するところが掴めず、黙して説明を待つ。
「それね、私の写真も入ってるんだよ。私はもうヴァンと出会ってたからさ」
ミオがピンときたようで、小さなため息と共に口を開く。
「なるほどねぇ……。ジルしか知らないことがたくさん詰まってるってわけね」
それを聞いてキティアは思わず俯いた。自分は知らないのに、ジルーナは知っているヴァンがいる。ヴァンの幼馴染で第一夫人であるジルーナとは共に過ごした時間に圧倒的な差があり、それは絶対に埋められない。このアルバムにはそんな残酷な真実が凝縮されている。
一夫多妻を受け入れているとはいえ、他の妻たちと親密な関係を築いているとはいえ、嫉妬心がないわけではない。嫉妬心と上手に付き合い、時に堪えているだけだ。このアルバムの存在が心をざわつかせるのは紛れもない事実だった。
「それを見てみんなに嫌な思いをさせないようにとか、みんなに嫌な思いをさせたことで私が嫌な思いをしないようにとか、色々考えたんだらもう隠すしかなかったんじゃないかな」
「でも……隠し方が中途半端ですよね」
「本気で隠そうと思ったらいくらでも方法はあっただろうけどさ。でも、できるだけ近くにあってほしかったんじゃないかな。世界中一瞬で飛び回っちゃう、距離なんてないみたいな人なのに」
彼は誰にも言えずひっそりと、わずか十二歳で無慈悲に引き裂かれた家族との数少ない絆を、懸命に抱き締めていたのだろう。こんな古ぼけた倉庫を手直ししながら。
一夫多妻というアンバランスな結婚は複雑だ。ヴァンはできる限りを尽くして誠実を目指しているが、それでも変え難いものがある。ヴァンはそれを知ってなお、努力することをやめない。せめてそうあってほしいと妻も願う。
────でも、こんなのはあんまりだ。
「あたし、これはここにあっちゃいけないものだと思います!」
このアルバムは彼のそばにあるべきだ。いつでも手に取って思い出に触れられるように。そしてヴァンの家族の写真というのなら、これは自分たちにとっても家族の写真だ。本当は妻の誰にでも開かれた存在であっていい。
普段は何か企むように微笑を浮かべているミオが、真剣な顔で頷いた。
「そうねぇ。見つけちゃったことはちゃんと謝るとしてぇ、見たい人はいつでも見られるように書斎あたりに置いといてもらうことにしましょう? ジルはそれで平気?」
「うん、みんながいいなら」
ヒューネットが良いこと思いついたとばかりに目を見開く。
「今中見てみないっ⁉︎ ヒューたちは見ても大丈夫って分かってたらヴァンは安心するんじゃないっ⁉︎」
「んー……、そうかもしれないけどぉ、一応ヴァンさんに確認とってからにしましょう?」
ミオは諭す。キティアも彼女に同意だった。最悪の場合、中身だけすり替えて<検閲されました>の集合体になっている可能性もある。本当に最悪なのでそのときはブッ飛ばす。
「そっか……っ。早く見たいのにっ」
ヒューネットは残念そうに口を尖らせて、二階に繋がる木製の梯子を足で小突く。
────梯子はバランスを失い、ゆっくりと傾き始めた。
「わっ! わぁっ!」
ヒューネットは思わずその場に立ち尽くした。徐々に倒れるスピードを早めていく梯子を、何もできず見つめている。
「危ない!」
ミオが血相を変え、瞬時にヒューネットの側に寄り、その小さな体を抱き抱える。梯子はそのまま倒れ、壁とぶつかって大きな破裂音を放った。二階に引っ掛けていた先端部分が折れてしまい、もう使い物にならない哀れな姿となった。
「……ヒューちゃん大丈夫?」
ミオは抱きしめる手を緩め、膝立ちになってヒューネットと正面から顔を突き合わせた。
「ヒューは平気だけど、ミオは……っ⁉︎」
「お姉さんは強いからぁ♡」
二人とも怪我はなかった。しかし────。
「バカ! 何してんのヒュー!」
キティアは思わず声を荒げる。ここはヴァンが補修を繰り返して守っている場所だ。壊してしまったら彼に申し訳が立たない。だが、当の本人もそれは重々理解しているようで、キティアの怒声をきっかけに目に涙が滲む。
「ヒュー、壊しちゃったよ……っ。どうしようっ……!」
オロオロとその場に立ちすくんで肩を縮こませる。その姿を見てキティアは少々狼狽した。咄嗟だったとはいえ語気が強すぎた。彼女だってわざとやったわけではないのに。
「よしよし♡ 大丈夫よぉ、多分本当に大事だったのは倉庫じゃなくてアルバムだったんだわぁ」
ミオがヒューネットの頭を撫で、柔らかい声音で彼女を励ました。そして倒れた梯子を観察し、疑問を呈す。
「……というか、あんな大きな梯子ヒューちゃんの小っちゃいあんよで蹴ったって倒れないわよねぇ。……ジル?」
呼びかけに応じて、ジルーナが詳しい状況を確認する。確かに太い木で組まれた重厚感のある梯子だ。妻二人係でも持てそうにない。
「……あ。二階に引っ掛ける部分が腐ってたみたい。それに足も片方。あの人梯子使わないから気付いてなかったんだよ」
ヴァンは二階に移動するのにわざわざ梯子を上らない。テレポートするか、空を飛ぶかだ。自然と目につく外壁や床の補修には念を入れている様子だが、これは見逃したらしい。ヒューネットが壊すまでもなく、とっくに使用不能になっていたのだ。
「どうせ交換だったわねぇ。お手柄よ、ヒューちゃん。誰かが使う前に見つけてくれて良かったわぁ♡」
ミオは華麗なウインクを決める。ヒューネットはホッとしたように胸の奥底から息を吐いて、ミオに抱きついた。
「ありがとっ……。ミオってたまにすっごく優しいっ……!」
「た、たまにって何よぉ……」
ミオは怪訝な顔をヒューネットに向けた。麻雀で散々いじわるな引っ掛けを出した直後なのでヒューネットの言わんとすることも分からなくない。
────そんなことより、
「ヒュー、ど、怒鳴ってごめんね」
言い方がキツすぎた。こんな事態予想がつくはずがなく、彼女に悪気は全くなかったのに。それに、ヒューネットの身を案じたり冷静に状況を観察したりした先輩方とはえらい違いだ。
「えっ? ヒューが悪かったんだからしょうがないよっ」
「でも……」
キティアはモジモジと手をこねて表情を曇らせる。
「真面目ねぇ、ティアちゃんは……」
四人は少し気まずい空気のまま、アルバムを持ち帰ることとなる。
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