19.空を見上げて夢を見る

⑴透明人間の会合

「親父が生前、言ってたんだ」




 夏の夕暮れ、影法師かげぼうし

 茜色あかねいろに染まる田園風景を眺める古家ふるや縁側えんがわで、湊が言った。

 ツクツクボウシの鳴き声が何処か寂しげに響く。日が落ちれば、気の早い秋の虫が鳴き出すかも知れない。


 湊の横顔は、まるで熱中症にでもなっているみたいに夕陽の色に染まっていた。顎から伝った透明な汗が首筋に落ちる。通った鼻梁に長い睫毛、透き通る濃褐色の瞳は研ぎ澄まされた刃のようだった。




「皆の幸福の為なら、僕の体なんて百遍ひゃっぺん焼いても構わない」




 縁側には風鈴が吊るされ、夜風を受けて涼やかに音を立てる。板張りの廊下には、湊と翔太の二人きりだった。


 湊は夕焼けに染まる山々を眺めていた。




「何が幸せか分からない。本当にどんなに辛いことでも、それが正しい道を進む中の出来事ならとうげの上りも下りも皆、本当の幸せに近付く一歩一歩になる」




 宮沢賢治、銀河鉄道の夜。

 瞼の裏に蘇る、美しいエメラルドグリーンの瞳。からすのような黒髪に、すっと背の高いスーツの男、ノワール。


 ノワールが、言っていたのだ。

 真の幸福に至るのであれば、それまでの悲しみはエピソードに過ぎない、と。




「本当の幸せって、何なんだろうね」




 そう言って、湊は綺麗に微笑んだ。


 蝉時雨せみしぐれの向こうから、バイクのエンジンが聞こえる。

 翔太は、夕陽を背負って走って来るシルバーのアメリカンバイクを眺めていた。浅黒く日焼けした細身の青年は、フルフェイスのヘルメットを被っていた。


 白いTシャツにダメージジーンズを履いたラフな服装は、田舎でも都会でも違和感無く溶け込むだろう。バイクは滑らかに庭先へ停車した。

 ヘルメットを脱ぐと、首元から下げられた華奢なネックレスが揺れる。太陽のような強烈な存在感を放ちながら、その青年――わたるは、憮然と口をとがらせていた。




「長旅、お疲れさん」




 湊は縁側から腰を上げると、双子の弟の元へ歩み寄った。

 湊と航は、翔太には分からない異国の言葉で一言二言話した。航は機嫌の悪そうなしかめっつらで、湊の頭を小突こづいた。




「側にいてやれば、良かったな」




 そう言って、航は舌を打った。


 湊が航をこの場所に呼んだのは、明け方のことだった。

 航は了承の返事をした時には既に大阪を発ち、バイクを走らせていた。いわく、呼ばれることが分かっていたそうだ。


 双子とは不思議な関係で、離れた場所にいても互いのことが手に取るように分かる時があるらしい。

 航は湊の肩を抱くと、濃褐色の瞳に獰猛な火を灯して言った。




「Game overにはまだ早いぜ」

「ああ」




 湊は頷き、拳を突き出した。

 湊と航の声が、拳が重なる。




「さあ、延長戦の始まりだ」















 19.空を見上げて夢を見る

 ⑴透明人間の会合かいごう















 窓から差し込む夕陽が、部屋の中を真っ赤に染め上げる。

 蓋をされた囲炉裏いろりを囲み、六人の男が車座くるまざになっている。表舞台に居場所を失くした透明人間達の会合である。


 翔太の右から航、湊、立花、近江、ペリドット。

 重く苦しい空気の中、口火を切ったのは湊だった。




「情報を共有しよう」




 淀みないその口調は、まるで大人のようだった。

 湊が言うと、胡座あぐらを掻いたペリドットが品定めするかのように目を細めた。




「敵の正体は何だ?」

「宗教の皮を被ったカルト集団と、正義に取り憑かれたテロリスト」




 海外の新興宗教であるSLCと、一部の公安警察。

 彼等は社会の闇の底で、孤児を対象に薬物の人体実験を行なっていた。その薬物はブラックと呼ばれ、人の脳を破壊して殺戮人形に変える。


 近江は胡座に片肘を突きながら、面倒臭そうに問い掛けた。




「そいつ等は、何をしようとしてる?」

「司法の名を借りた暗殺部隊を作ろうとしてんだよ」




 答えたのは、ペリドットだった。

 彼は国家に飼われた殺し屋である。その首輪の紐を握っているのが公安だった。

 公安は、ペリドットという殺人鬼をヒーローに祭り上げることで、民衆の支持を得て、司法による復讐を肯定しようとしていた。


 近江は憮然と問い掛けた。




「SLCに何の旨味がある」

「あいつ等は、いかれてるんだ。本気で、科学が人類を救済すると信じてる」




 SLCは科学による人類の救済を謳うカルト集団である。

 湊は言った。




「思考を奪うことで、人類が救えると思ってる。だから、みんな薬物漬けにしたいのさ」




 湊はSLCと直接遣り合って、教主を刑務所送りにしている。それが凡そ、一年前。湊とSLCは既に決着をつけている。トップ不在の組織が稼働を続けているということは、音頭おんどを取る何者かがいるか、暴走しているかのどちらかだ。




「ブラックと呼ばれる薬物は、人の脳を破壊する。金属がびてちるように、ゆっくりとね」




 SLCの作り出した薬物の危険性は、翔太が身をもって知っていた。


 薬物、信仰、新しい法律。

 奴等の目的は同じだ。彼等は、管理したいのだ。

 情報を、思想を、人格を、凡ゆるものを箱の中に閉じ込めて、それを眺めていたいのだ。そして、自分たちにはその権利があると信じている。


 航が尋ねた。




「その薬は、どうにか出来るのか?」

「進行を止めることは出来る」




 湊が答えた。

 破壊された脳は元に戻らない。だから、薬の効果が現れ、症状が進行してしまったノワールは助けられなかった。


 けれど、破壊され始める前なら、間に合うのだ。

 湊が、父親と一緒に開発した薬。




「今の所、副作用は出ていない」




 湊は、立花の方を見なかった。

 この子は、開発した薬の効果を確かめる為に立花で人体実験をしたのだ。当人からの了承は得ているようだが、法に反するという意味では、SLCと同じ穴のむじなである。


 立花は不機嫌そうに鼻を鳴らした。




「公安の内情は? 敵は何処の誰なんだ」

望月もちづき課長だろうな」

「何者だ?」




 ペリドットの答えに、立花が問い掛ける。

 銃を握らず、膝を突き合わせて話す二人の姿は、新鮮だった。




望月宗久もちづき むねひさ。警察庁情報課のトップで、階級は警視正。国家の中枢に食い込む司法の番人だよ」




 立花と近江が、表情を曇らせる。

 湊が航に説明するのを、翔太は横で聞いていた。英語だったので詳細は分からないが、望月宗久と言う男は、スパイ組織の親玉である。当然、その部下も敵に回る可能性が高い。


 湊の説明を聞いていたらしいペリドットが、補足した。




「公安のボスは国家だ。望月と心中しんじゅうしようって奴等は少ないだろう」

「シンジュウ?」




 航が訊いた。湊が答える。

 二人の遣り取りはまるで、出会った頃の自分を見ているようだった。




「望月は、俺の親父の上司だったよ」




 翔太が言うと、五人が一斉に此方を見た。

 しどろもどろになりながら、翔太は腹に力を入れて続けた。




「俺の妹は、サイコパスだった。親父は妹を助けようとして、SLCの人体実験に協力した」

「どういうことだ。望月は、部下を売ったのか?」




 ペリドットが低く問い掛けた。

 恐らく、そういうことなのだろう。自分の父は上司に騙され、殺された。




「妹が、両親を殺したんだ。それで、俺が、妹を……」




 ペリドットは顔を歪めると、忌々しげに舌を打った。




「望月は、大したクソ野郎だな」

「復讐者なんて、どいつもこいつもクソ野郎だよ」




 立花が言った。

 室内に嫌な緊張が走る。今にも銃器を取り出しそうな殺気を漂わせ、ペリドットが立花を睨む。一触即発の緊張の中、航が言った。




「今は、アンタ等の話じゃねぇ。翔太の話が先だ」




 子供に仲裁されて決まりが悪いのか、立花とペリドットがそっぽを向いた。この二人は水と油のように、根本的に相入れない性質らしい。




「お前は、どうしたいんだ?」




 辿々しく、航が尋ねた。

 翔太が答える前に、湊がとがめるように言った。




「俺が先に話す」

「No! 流される人間は、自覚しない限り変わらねぇ」

「You were very rude to Shota」

「Fuck yourself」




 航が中指を立てると、湊が拳を握った。

 あっちもこっちも喧嘩を始めそうだ。忘れ掛けていたが、この二人も中々に血気盛んなのである。

 近江ばかりが愉しそうに眺めている。翔太は溜息を飲み込んだ。湊が言った。




「Haste makes waste. 物事には順序がある」

「そりゃ、お前の順序だろ。手の平で他人を踊らせようってんなら、SLCと同じだ」

「Are you looking for a fight?」

「Come on!」

「待て待て!」




 拳を固めて殴り合おうとする双子をペリドットが慌てて仲裁する。エメラルドの瞳に疲労感を滲ませながら、ペリドットは溜息を吐いた。




「お前等、何なんだよ……」




 湊と航は互いに舌を打ち、目を背けた。

 流血沙汰の殴り合いをして来たという彼等の姿が、目に浮かぶ。母親は本当に苦労して育てて来たのだろう。


 湊は牽制けんせいするように航を睨み、声に怒りを滲ませながら言った。




「俺たちは、奴等の計画そのものを潰す。敵に情けを掛けられる程、俺たちが優位に立っているとは思っていない」

「何をどうするつもりなんだよ」

「SLCというカルト集団の正体をあばいて、奴等の神を殺す」




 湊と、航が言った。

 ペリドットが続く。




「俺もそいつ等には借りがある」

「また、復讐か?」

「何が悪い?」




 ペリドットが立花を睨む。

 立花と言う男は、復讐を嫌っているのだ。それは不毛な連鎖なのだと、当たり前みたいに正論を言う。彼の立場を考えるとそう言うしかない。ハヤブサは復讐を請け負わない。




「そんなことをして、何になる? 誰も救われねぇし、お前の弟だって望んでいないだろうさ」




 ノワールは、復讐の為に生きていなかった。

 彼は、兄――ペリドットに幸せでいて欲しかったのだ。自分の為に手を汚すなんて、望んでいなかった。


 けれど、目の前で弟を殺されたペリドットの気持ちだって、立花には分からない。




「じゃあ、お前が俺の弟に訊いて来てくれよ」




 叱ってくれるあいつは、もういない。

 ペリドットは、微笑んでいた。けれど、翔太には、彼がとても、とても怒っているということだけは分かった。




「黙ってりゃ、誰かが勝手に裁いてくれるのか? 腐った司法がどうにかしてくれんのかよ? なあ、クソガキ共。お前等はそうじゃなかっただろ」




 ペリドットは湊と航を見た。

 この双子は、両親を爆弾テロで奪われた。湊はノワールと共に爆弾を作り出した狂人を捕らえ、司法の場に引き摺り出したのだ。

 勧善懲悪とは、全自動では行われない。

 だから、湊は手を汚し、航は走った。


 航は暫し沈黙し、退屈そうに言った。




「個人の主義主張は違うだろうさ。それの何処が悪いのか、俺には分かんねぇ。……時間は有限だ。建設的な話し合いをしようぜ?」




 近江は笑った。

 航がそんな発言を出来るとは思わなかった。翔太が笑うと、湊はつまらなそうに肩を竦めた。




「話し合う必要は無いね」




 湊の眼差しは氷のように冷たかった。




「簡単な話さ。乗るか、降りるか。……貴方たちの誰が否定し、裏切ったとしても俺たちは目的を完遂するし、邪魔するなら全力で潰す」




 協力を求めている訳では、無い。

 湊と航は既に覚悟を決めていて、それはもう誰にも変えることが出来ない。彼等の行為はエゴで、其処に崇高な理由なんて必要が無かった。




「俺たちは泥舟どろぶねで血の海を渡る」




 肌を刺すような強烈な威圧感を放ちながら、湊と航は声を揃えた。彼等はもう地獄にいて、進み続けることを決めている。

 翔太は拳を向けた。




「俺は、ケジメをつける」




 此処までずっと、流されてやって来た。

 復讐もゆるしも埋葬も、何もかもを他人にゆだねて来た。だからこそ、航は翔太に問い掛けたのだろう。




「誰の為でも無い。俺が選んだ答えだ」




 湊と航は、翔太の目をじっと見詰めていた。逃避も誤魔化しも許さない冷徹な眼差しだった。

 二人はまるで示し合わせたかのようなタイミングで、拳を当てて来た。大人への過渡期かときにある少年の拳だった。


 立花は深い溜息を吐くと、自棄やけっぱちみたいに頭を掻いた。




「復讐なんざどうでも良いが、奴等にケチ付けられたままじゃハヤブサの誇りが泣いちまう。……半端な結果は要らねぇ。やるなら、徹底的にやるぞ」




 立花の金色の瞳が、薄闇の中で日輪のように輝く。

 ペリドットは既に手を貸すことを表明している。先代ハヤブサ、近江ばかりが意味深に笑っていた。

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