⑶蠍の心臓

 ミナの交友関係というものは、無秩序だ。

 交番の警官、隣のビルの弁護士、売春少女、殺し屋。それはひとえにミナの人柄の為だと思う。職業や年齢、性別に垣根を作らないから出来ることだ。――だからこそ、探すことも難しいのだけど。


 思い付く場所や共通の知り合いは片っ端から当たってみたが、手掛かりというものは全く掴めなかった。


 街中を駆け回ったせいで、肺が潰れそうだった。

 口の中で血の味がした。翔太は立ち止まり、膝に手を突いた。其処は丁度、ミナと出会った公園だった。


 焼き芋を片手に現れた天使のような子供。

 誰もが通り過ぎる中、あの子だけが見知らずの自分の為に立ち止まり、手を差し伸べてくれた。そんな彼が窮地にあるというのに、何も出来ない自分が歯痒かった。


 どうして、頼ってくれなかったのか。

 どうして、黙っていなくなったのか。

 理由があったとしても、此処から消えた少年を責めたくなる。


 爆弾テロが起こったのは、現地時刻で午後一時頃。州立記念公園ではストリートバスケの大会が行われていた。何らかの方法でミナが事件を知ったとして、それは一体どのタイミングだったのか。


 時差は凡そ七時間。

 此方では午後七時頃。その時、何があったか。


 昨日、翔太は近江とナイフ術の特訓をしていた。立花も一緒だった。それを切り上げたのが午後五時頃で、立花が夕飯を作るからミナを連れ帰って来いと言った。ミナに電話をしたけど繋がらなくて、仕方なくGPSで居場所を探した。


 午後七時。

 ミナは、ノワールの家にいた。翔太が駅で会ったのは、確かそのくらいの時刻だった。

 そういえば、電話をしていた。普段と変わりない穏やかな態度で、静かな口調で、――両親の訃報を聞いたのか?


 隣にいたのに。

 一緒にいたのに、俺は何も気付かなかったのか!


 叫び出したい程の怒りが込み上げて、翔太はその場に蹲った。道行く人が奇異な目を向けて来る。邪魔そうにする者もいる。けれど、手を差し伸べはしない。


 ノワールなら、何か知っているだろうか。

 自宅があると言う最寄駅まで行っても良いけれど、住所は分からない。電話番号も知らない。翔太には、ノワールに話を聞く手段が無かった。


 ふと思い立って、翔太は繁華街を走り出した。

 雑多な路地裏を抜け、隠れ家みたいな地下の酒場へ向かう。看板は出ていない。翔太は祈るような気持ちで閉ざされた扉を叩いた。


 情報屋の品川は、いかつい顔に不機嫌を貼り付けていた。けれど、翔太の顔を見るとサングラスの向こうで目を細め、黙って中に入れてくれた。


 酒場の中は誰もいなかった。死んだように静まり返る店の中で、カウンターの奥で品川は二日酔いをえるみたいに目頭を押さえていた。




「ヒーローが死んだらしいな」




 流石に情報が早い。

 品川はテレビを点けた。どのチャンネルもアメリカで起きた爆弾テロを大々的に報道し、各国の要人が犠牲者をいたんだ。

 航の情報は無い。犠牲者は増える一方だった。




「向こうの同業者の話じゃ、爆弾は複数箇所に設置されていたそうだ。犯行声明はまだ出ちゃいないが、悪戯にしちゃ手が込み過ぎてる」

「狙われたのか?」

「さあな。……ミナはどうした」




 サングラスを下げ、品川は灰色の瞳で翔太を見た。

 真偽を見定めるつもりなのだろう。彼は敵ではないだろうが、味方でもない。此方から情報を与える筋合いは無い。




「答えられることは何も無い。それより、知りたいことがある」

「どんなことだ?」

「ノワールって殺し屋と、話がしたい。連絡先を教えて欲しい」

「ノワールか……」




 品川は煙草に火を点けた。

 サングラスに反射するオレンジ色の光が、死に行く夕陽の色に見えた。翔太はカウンターに身を乗り出した。




「うちは情報屋、向こうは殺し屋。連絡するのは仕事の依頼だけだ。お喋りしてぇなら、別の奴にしな。あいつは化物だからよ」




 殺し屋のノワールという男を、翔太はよく知らない。

 ミナの友達で、彼は味方だった。そのミナがいない今、ノワールはどう動く。




ぎょくの話と言えば分かる」

「……へぇ。金はどうする?」

「立花に付けといてくれ」




 品川は笑った。

 カウンター裏から一枚のメモ用紙を取り出し、ボールペンで数字の羅列を書き殴った。片手で器用に紙飛行機を折ると、翔太に向けて飛ばして来た。

 眉間に突き刺さる前に捕まえ、翔太は礼を言った。


 翔太が店を出る直前、品川が言った。




「……ヒーローの死に様を教えてやるよ」




 翔太は足を止めた。

 品川は悠々と紫煙を漂わせている。




「使われたのはキューリって呼ばれるパイプ爆弾だ。第一発見者のヒーローは、周囲に避難を呼び掛けて、破裂寸前の爆弾に覆い被さったそうだよ。釘や幾つもの金属片がヒーローの体を貫き、死体は穴だらけ。即死さ」

「……」

「ヒーローが肉の壁になったことで、妻と息子は助かった。だが、爆弾は複数箇所に設置されていた。妻は建物の崩落に巻き込まれ、息子を庇って死んだ」




 翔太は拳を握った。

 むごい。平和を願って紛争地に身を置き、命を危険に晒しながら医療援助を続け、戦争を防いだヒーローに対して、それは余りにも惨過ぎる仕打ちだった。


 人は生きる為に、遺伝子を残す為に他者の命を犠牲にしてしまうことがある。生命そのものに課せられたプログラム。ミナはそれを、原罪と呼んでいた。


 生きる為に他人を殺す奴もいる。金の為に子供を殺す親も、快楽の道具にする奴もいる。だけど、その中で、自分が死ぬかも知れないと思ったその瞬間に、家族の為に身を投げられる人がいる。


 間違いなく、彼等は英雄だった。

 死んではならない人だった。


 翔太は今度こそ、店を出た。品川も引き止めはしなかった。携帯電話を取り出す。ミナからの連絡は、無い。


 こんな時、どんな言葉を掛けたら良いのか。

 誰を恨み、誰を憎み、誰を呪えば救われるのだろう。

 答えは誰にも分からない。

 翔太は祈るしかなかった。残酷に澄み渡った空に向けて、もうこの世にいないというヒーローに。


 なあ、ヒーロー。

 どうか、アンタの息子を守ってくれよ。

 同じ場所に、連れていかないでくれ。


 あの子が何処の誰でも良かった。

 生きていてくれ。死なないでくれ。

 翔太は祈るような気持ちで、携帯電話を手に取った。















 15.トーチカ

 ⑶蠍の心臓














 ノワールと言う男は、ミナの友達だった。

 大学生に混ざっていても見分けが付かないくらい若く、気さくな青年である。しかし、その身体能力は超人的で、全身鋼のような肉体を持ち、野生動物のような俊敏さを搭載した化物である。


 駆け出しの殺し屋と聞いているが、界隈を騒がせた殺人鬼を始末したり、大阪で中国マフィアの依頼をこなしたり、その活躍は目覚ましく、出来れば敵としては対峙したくない相手だった。


 品川から貰ったメモを見ながら、翔太はノワールに電話を掛けた。暫く呼び出したが、繋がらない。留守電にさえならない。もしかしたら、ミナの居場所を知っているんじゃないか。そう思うと、二度三度と電話を掛け続けざるを得なかった。


 五度目の電話を掛けた時、革のベルトを引き千切るような鈍い音がして、スピーカーが雑音を拾った。携帯電話を握る手の平に力が篭る。向こうは無言だった。出方を伺っているのかも知れない。




「……ノワールか?」




 慎重に問い掛けると、寝起きのような掠れた声が返事をした。確かに、ノワールの声だった。

 ノワールの本名は天神新てんじん あらたと言う、日本人である。話が通じない相手ではない。




『仕事の依頼か? 何でこの番号を知ってる』

「情報屋に貰ったんだ」

『なんでわざわざ情報屋? ミナに言えば――、』




 其処まで言って、ノワールは一瞬沈黙した。




『ミナに何かあったか?』




 察しの良い男だ。

 緊張感が張り詰める。スピーカー越しなのに、喉元にナイフを突き付けられているみたいだった。


 ミナの友達だと言う一点において彼を信用しているが、そうでなければ、彼はただの殺人鬼である。


 ノワールが何も知らないと言うことは、分かった。それ以上の協力は求めていなかった。此方の状況をどの程度話して良いのかも分からない。だが、この男は他人の嘘が分かると言う特殊体質だった。下手な隠し事は、不利益になる。




「……いなくなったんだよ」

『いつ』

「昨日の夜」

『俺の所には来てねぇ。手伝うか?』

「お前を巻き込むと、ミナが怒るんだよな……」




 何故なのかは聞いたことがないけれど、ミナにとってノワールが大切な友達であることは知ってる。ノワールの為に個人投資家になったり、犯罪組織に関わる危ない橋を渡ったりする程度には、彼のことを大切にしている。


 テレビ見たか、と訊ねる。

 うちにそんなもんは無いと返される。電話口にも、彼の苛立ちが伝わって来る。


 彼は、自分や立花を保護者と思っているようなので、ミナがトラブルに巻き込まれると怒るのだ。


 掻い摘んで今の状況を話すと、すぐに行くと返事があった。フットワークの軽さが駆け出しの売りだとノワールは笑ったが、それがミナに関わらないことだったら出て来てくれなかっただろうと思う。


 ――それにしても。

 雑音が酷い。電波が悪いのか、ノワールの声が聞き取り難いのだ。何処かの地下にでもいるのか。時々、ノワールが何を言っているのか分からない。


 中国マフィアに雇われていたこともあったし、語学に通じているのだろう。ふと思い付いて、翔太はミナの書き置きについて訊ねてみた。




「なあ、教えて欲しいことがあるんだ。ミナが書き置きを残していて、英語だったから分かんなくてさ。つづりを言うから意味を……」

『俺は英語は分かんねぇよ』




 翔太は驚いた。

 分からないとは、どういうことだ。

 ノワールは、ミナが日本に来たばかりの頃からの友達だったと聞いている。日本語に不自由していたミナと意思疎通出来ていた筈だ。




『ニュアンスとか、身振り手振りで大抵のことは分かるだろ。ミナは全く日本語が話せなかった訳じゃなかったしな』




 嘘だろ?

 翔太が問うと、電話口でノワールは言い訳みたいに言った。




『生粋の日本人なんだ。学校もろくに通って無かったからな』




 彼の過去を思うと仕方が無いことだ。

 しかし、まさか、本当に分からないとは思わなかった。


 ミナとノワールの仲の良さは、翔太の理解を超えていた。

 互いに他人の嘘が分かる体質であり、言語ではなく意思疎通が出来る。さぞ、居心地が良かっただろう。詮索もせず、否定もせず、追及もしない。


 不安と疑念が芽を出す。しかし、それは花開く前に刈り取られてしまった。




『そういや、弟が夢に出て来たって言ってたよ。銀河鉄道みたいな夢だって』




 まるで、予知夢じゃないか。

 翔太は拳を握った。




『俺も思い付く所、探してみる』




 そう言って、ノワールは通話を切ってしまった。

 通話の切れた携帯電話を眺めていると、今度は立花から連絡が来た。


 不機嫌そうな声で居場所を訪ねられたので、素直に答えると車で迎えに来てくれると言った。


 ミナはどうして消えたのだろう。

 自分達にも、ノワールにも言わなかった。


 言えなかったのか?

 どうして?

 何の為に?


 その時、遠い花火みたいにミナの横顔が脳裏を過った。

 家族が大切だった。その為に海を渡った。けれど、そのせいで両親の死に目に会えず、弟の側にもいられなかった。

 理不尽に殺されて、ミナは今、何を思うのだろう。行動の動機は何だ。何が狙いだ。目的は。


 ――皆の幸福の為なら、僕の体なんて百遍ひゃっぺん焼いても構わない。


 あの時、ミナが言った。

 酸欠に錆び付く思考が、まるで霧が晴れるみたいに明瞭になって行く。儚く微笑んだ横顔が、透き通る眼差しが、語り掛けるような穏やかな声が、一つの答えを提示している。


 宮沢賢治、銀河鉄道の夜。


 黒のBMWが目の前に滑り込む。運転席に座る立花は、相変わらず景気の悪そうな鉄面皮だった。翔太は助手席側に回り込み、ドアを開けた。

 鍵を閉めた時、立花が言った。




「犯行声明が出たぞ」




 翔太は拳を握った。

 それは、ミナの両親が明確な目的を持って殺されたという証明だった。立花は目を細め、そっと語った。

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