第32話 幽霊(裏)

 



 俗に幽霊と呼ばれるものは、あたしが知る限り死んだ時の姿で現れる。

 戦争が終わってすぐの頃は、女や子供の後ろにどう見ても真っ当な死に方をしてない人が憑いてるのを良く見たっけ。

 それに、生きてる人をどうこうできるほどの力を持った奴なんて滅多にいない。

 少くとも、あたしは見たことがないわ。

 通ってた学校では怪談が流行ったりもしてたけど、ああ言うのって大半は思い込みなのよ。

 だってほら、人の体って、あたしが斬れろって念じるだけで斬れちゃうくらいいい加減だし。


 「だから、戦艦なんて大きな物に影響を及ぼすアイツは……」


 怨霊と言って良い。

 今は船を不規則に揺らしているだけだけど、この船はアイツの体と言っても良いはずだから、もっとたちが悪いこともできるかもしれない。

 そうなれば、歌がもっと苦しむ。

 歌が苦しめば小吉が気に病む。

 歌が泣けば小吉が悲しむ。

 小吉と歌に辛い思いをさせるアイツは、ただ殺すだけじゃなくてあたしの全力でぶっ殺してやる。


 「暮石流呪殺法、段外のさん……」


 本来、暮石流呪殺法の段外に参なんてない。

 だって段外は、術と言うよりは暮石の人間に生来備わっている本能、基本性能と言えるモノなんだもの。

 でも段外の参は、じじ様の代から確かに存在した……らしい。

 どんな術かは知らないけど、父様も兄様も参以降を自分なりに作ってるそうよ。

 当然、あたしもね。

 

 「……韋駄天いだてん


 あたし独自の段外である韋駄天は、自己暗示によって通常以上の脚力を得る……と言うよりは、引き出す術よ。

 この術は、膂力りょりょくで父様や兄様に劣るあたしが、唯一勝る素早さと柔軟性を最大限に発揮できるようにと考えた苦肉の策とも言える術。

 でも、考えた甲斐は有ったと言える出来になったわ。

 この術を使ったあたしを、父様と兄様は捉えることができなかった。

 目で追うことすら、できなかったんだから。


 「なのに、追い付けん。どうなっちょるんや?」


 この船の廊下は狭い。

 さらに、基本的に一本道。

 なのに追い付けない。

 人をすり抜けるアイツと違って、あたしには行き交う軍人さんたちを避ける手間があるとは言え、歩いているとしか言えない動きしかしてないアイツに追い付けない。

 魂斬りの間合いにすら入れない。


 「いや、追い付こうって考えが……」


 間違いなのかもしれない。

 だって、あたしがいるのは船の中。

 つまり、アイツの体内とも言える。

 なら、追い付くとか追い付かないなんて意味がない。

 あたしはあいつの中にいる。

 あいつの傍にいる。

 今のあたしは……。


 「一寸法師いっすんぼうしじゃね」


 と、言うなり、小太刀で壁を斬りつけた。

 ギャリンと音が鳴っただけでたいした傷はつけられなかったけど、あたしのその行動に、アイツはわかりやすすぎる反応をした。


 「おっとっとっと……。怒るなぁわかるけど、こんなに揺らさんでもええじゃろ」


 でも、効果があることは確認できた。

 鬼のように怒っているアイツが、適当に壁を斬りつけ続けているあたしをどこに誘い込もうとしてるのかはわからないけど、風のにおいがしてきたから、このまま行けば外かな?

 

 「ああ、そういうことね」


 出た先は、ハリネズミのように無数の銃身が突き出ている場所の真下。

 あの女は、追って来いとでも言うように、その内の一つに乗っている。


 「行けんこたぁないが……」


 大勢の人の気配が、銃身の森から漂ってる。

 あたしをあの森に迷い込ませて、暗示でもかけて操ってる軍人さんたちに撃ち殺させようって腹積もりなんでしょう。


 「戦艦っちゅうても、こんなもんか」


 考えが甘い。

 そもそも、その森は対人用じゃないでしょう?

 実際、壁面を駆け上がっているあたしの動きに、銃身の操作が間に合ってない。

 しかも、軍人さんたち同士が相討ちにならないようにしているのか、まともに撃ててすらいないわ。


 「アンタは優しいねぇ。こん人らの命なんか気にせにゃあ、まぐれ当たりもあったかも知れんのに」


 森を抜けるのは、軍人さんらを盾にしながら進んだら苦労しなかった。

 途中から攻撃手段を小銃や拳銃に変えてたけど、揺れのせいでまともに狙えないのか、死線は一つも見えなかった。


 「ふわふわふわふわと、幽霊ちゅうのは便利じゃねぇ」


 女は、森からそびえ立つ塔の天辺へと昇ってる。

 あそこにも、何かあるのかしら。

 それとも、もうあそこくらいしか逃げ場がない?

 後者なら、あたしの勝ちだ。


 「上に行くほど揺れが強ぉなるのぉ。でも、これくらいなら……」


 駆け上がれる。

 煙突みたいに凹凸がなかったら無理だったろうけど、これだけ凹凸があれば、韋駄天を使ってるあたしからすれば階段と大差ないわ。


 「あれ? この気配は……」


 小吉?

 小吉が塔の天辺、その下の部屋にいる。

 もしかして下の軍人さんたちみたいに、小吉を操ってる?


 「ふざけたことしおって……」


 もしそうなら、苦しめられるだけ苦しめて殺してやる。

 幽霊に、「もう殺して」と言わせてやる。

 そう決意して、軍人さんたちが大勢集まってる部屋の窓に小太刀を突き立てて、それを足場にして塔の天辺まで跳んだ。 

 そして天辺の縁に着地したら、ちょうど小吉が上がって来たところだった。

 その後ろに身を隠すなり、女は頭を抱えてうずくまった。

 見た限りでは、小吉に操られている様子はない。

 でも、あたしを睨んでる。

 もしかして、怒ってる?

 なんで?

 あたしは悪いことなんてしてない。

 悪いのはソイツ。

 歌を苦しめて、小吉に辛い思いをさせたのはソイツなのに、どうしてあたしに怒りを向けてるの?

 と、混乱しているあたしに……。


 「そこまでだ。七郎次」


 と、小吉は冷たく言った。

  

 

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