土壇場の交渉

 さて、クロエ率いる白の国の軍勢およそ1万は街道の側に布陣した。


「はぁ。敗走している死にかけの軍隊を攻撃する簡単な仕事だと思ったんですが、敵はゴリゴリの機甲部隊じゃないですか」


 クロエは溜息を吐いた。ゲルマニア軍が相当な損害を受けていることは間違いないが、全くもって戦闘能力を失った訳ではない。クロエは非常に戦いたくなかった。


「クロエ様、同数ならば我々が負けることはありません! ここで突撃し、ゲルマニア軍の機甲部隊を完全に殲滅するべきです!!」


 血気盛んなスカーレット隊長は案の定、ゲルマニア軍に対して積極的な攻撃を強く提案した。


「まあそれがオーギュスタンの本意ではありますが、正直言って共倒れ前提の作戦などやりたくはないですね」

「我が国の余剰戦力は未だに20万を数えます。ここで兵力を失おうとも、我々の戦争遂行能力は失われません!」

「スカーレット……まあそれも正しいことではありますがね……」

「クロエ様は、オーギュスタン様が嫌いなのですか?」


 マキナは単刀直入に尋ねた。全く躊躇う様子がないのは彼女らしい。


「ははっ、なかなかなことを言いますね。まあ……私は確かに、オーギュスタンは好きではありませんし、彼の戦争指導も好きではありません」

「では、ここで威嚇だけ続けて戦いはしないということでしょうか?」

「そうは言っていませんが、どうしましょうね。正直言ってこんな戦いはしたくないですから」


 どの道逃げようとしている相手だ。そんなものに対して自軍を壊滅させるような攻撃をするのは不合理だと、クロエは思う。


「クロエ様、あまり迷っている時間はありません。即断即決こそ肝要です!」

「それも一理ありますね。では、私達はここで敵と対峙し、機甲部隊を引き付けます。私達から仕掛けることはしません」

「……はっ」


 スカーレット隊長は不服そうであったが、クロエの決断に異を唱えることはしない。かくしてヴェステンラント軍は何もせず、ゲルマニア軍と睨み合うことになった。


 ○


 さて、睨み合いを開始してからおよそ半日。ゲルマニア軍は戦車の主砲をこちらに向けて今すぐにでも襲いかかってきそうな様子であるが、彼らもまた行動を起こすことはなかった。


「クロエ様、このまま本当に、何もせずに敵を見逃すおつもりですか?」


 スカーレット隊長は何も起こらない現状に痺れを切らしている。


「ゲルマニア軍が逃げ出し始めたら、後ろから殴り掛かってもいいかもしれませんね。とにかく、今は動きません」

「そう、ですか……」


 と、その時であった。


「殿下、ゲルマニア軍からの通信です!」

「こんな時に通信? 繋いでください」


 降伏を申し入れるのか或いは要求するのか、ともかく無視していいようなものではない。クロエはすぐさま通信を受けた。


『こちら、ゲルマニア帝国陸軍のハーケンブルク少将です。白公殿下とお話がしたい』

「私がクロエですよ、シグルズ」


 予想はついていた。こうも軽々しく敵軍に通信してくる人間はシグルズしかいないのである。


『そうだったか。大公殿下が直々に通信を取ってくれるとはありがたいね』

「決定権は私にあるのですから、他の者を通しても無駄に時間がかかるだけですよ。それで、何の御用ですか?」

『君はこの戦争にあまり積極的ではない。長期的にはエウロパへの再侵攻も視野に入れているが、今のところは和平を結ぶべきだと考えている。違うかい?』

「そうだとしたら、何なのですか?」


 シグルズに認めはしないが、図星であった。ここ数時間のクロエの行動から考えを読まれたのだろうか。


『そうだったら、僕は君に提案出来ることがある。この戦争を起こした最大の責任を持つ人間、ルーズベルト外務卿を僕が殺そう。そうすれば、少しは君が望む方にヴェステンラントは傾くんじゃないかな?』

「どうしてそれを……っ」


 思わず心の内を零してしまった。ルーズベルト外務卿の問題行動はヴェステンラントの首脳部しか知りえないことなのだ。ゲルマニアの英雄とは言え、一介の軍人であるシグルズが知っているのはおかしい。


 実際のところシグルズは、大天使ルシフェル経由という誰も想像のつかない手段で情報を仕入れているのだが。


『それは置いておこう。君はただ、ルーズベルト外務卿の居場所を教えてくれればいいんだ。僕が彼のところに行き、可能な限り苦しむように殺す』

「あなたの提案は不合理です。それなら主戦派で一番影響力のあるオーギュスタンを殺せばいいでしょう」

『これは、別にゲルマニアの為の行動じゃないんだ。僕の個人的な恨みを晴らす為の行動さ』

「個人的な恨み? ……まあそれについては何でもいいでしょう」


 ルーズベルト外務卿など多方面から恨みを買っていそうである。クロエはそこまで疑問に思いはしなかった。


「で、その恨みは何としてでも殺したいほどだと?」

『ああ、そうだ。さっきも言ったように君の為にもなる。どうかな?』

「ちょっと、待ってください」


 裏切りも同然であるそんな行為を簡単に決断出来る筈がない。だが、ルーズベルト外務卿もほとんど国賊のようなものだ。クロエは誰にも相談出来ず、暫し悩んだ。

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