閑話 ヴェステンラントの歴史Ⅱ

始原の魔女イズーナ

 ACU2210 4/13 ヴェステンラント大陸 ゲルマニア領 ノイエスブルグンテン


 イズーナはこの世界で最強の魔女になった。


 だが4年間、彼女が力を行使することはなかった。彼女は生きるのに最低限のことにしか魔法を使わず、ただの女性として静かに暮らしていた。


 彼女はやがて4人の子を持った。また婚儀を経た際にロベールという苗字を得た。


 上から3人は女子であり、ヴァルトルート、アリーセ、シーラと名付けられた。そして最後の子だけは男子であり、ルカと名付けられた。


 3人の姉妹は仲がよかったが、ルカだけは少々その輪からは外れていたようであった。とは言え、それは姉弟では珍しい事ではなく、イズーナも大して重くは受け止めていなかった。


 さて、この子供達が歴史の表舞台に出るのはまだ先のこと。一先ずはイズーナの話を進めよう。


 その日、イズーナはとある白人の一団に出くわした。原住民を奴隷のように扱い、殴る蹴るの暴行を行っている一団である。これ自体はこのヴェステンラントでは珍しいことではない。


 ほんの一握りを除いて白人は極めて残虐であり、侵略者であり虐殺者であった。


 何度も見た光景。だが、その日だけはイズーナは我慢がならなかった。ルカが生まれた直後で少々精神的に不安定になっていたのかもしれない。


「……あなた達、その人を蹴るのをやめてください」

「は……?」


 男達が最初に示したのは、軽蔑でも侮蔑でもなく困惑であった。まあ少女とも言ってもいい小さな体つきをしたイズーナにそんなことを言われては、困惑するしかないだろう。


 だが、すぐに男達はイズーナに睨みを利かせた。


「おいおい、お嬢ちゃん。自分が何を言ってるのか、分かってるのか?」

「はい。あなた達はその人に、正当な理由もなく暴力を振るっています。いますぐに止めてください」

「はあ……なあ、嬢ちゃん、俺達は優しいから忠告してやるが、これ以上関わるとどうなるかも分からんぞ?」

「あなた方がどうするかなんて知りません。早くその人を放して下さい」


 明らかに関わってはいけない連中に、小柄な女性が一人で立ち向かっている。周囲の人々は皆一瞬だけ視線を向けるが、自分に飛び火することを恐れてすぐに目を逸らした。


「……そんなに邪魔してくんだったら、女子供でも容赦はしないぞ」

「ええ。あなた方が女子供でも動物のように扱うことは知っています」


 イズーナは強気だ。力はやはり人を変えるものだ。


「こいつ……やろうってんなら容赦はしないぞ。お前たち!」


 男は柄の悪そうな部下に顎で合図を出した。3人ばかりの男がイズーナを囲んだ。そしてイズーナに手を伸ばした。


「それ以上手を出したら、殺しますよ?」

「ふへへ。強気な女も悪くは――」

「は?」「お、おい……」


 その瞬間、男の一人が声も出さずに、糸を切られた人形のように倒れた。その顔は苦悶の表情で固まっていた。


「お、お前……何をした!?」

「殺しました。何か?」

「ど、どうやって……」


 倒れた男には外傷は見当たらなかった。まるで魂を抜き取られたかのように死んでいたし、人には実際にそう見えた。


 それに、イズーナが初めて殺した人間だった。


「あなた達も、死にたい?」

「に、逃げろ!!」

「おい! お前ら!」


 イズーナに突っかかって来た男達は逃げ去った。そしてそれを雇っていたらしい男だけが残った。


「もう一度言います。その人を放してください」

「わ、分かった……ほら。とっとと行け!」


 白人の男は黒人の男を放すと、逃げるように去っていった。


「ほら。もう大丈夫ですよ」

「あ……あり、がとう……」


 男は怯えているようであった。その言葉が片言なのは、決してゲルマニア語に慣れていないからだけではないだろう。


「あら、怪我をしているのですか?」

「え、ええ……足が上手く、動かなくて……」

「見せて下さい……」


 どうやら男は足を骨折してしまったようだ。自力で歩くのは難しい。


「ではその傷を治してあげましょう」

「な、治すって……」


 イズーナは男の紫に変色した脚に、そっと手をかざした。するとその脚はみるみるうちに健康的な黒に戻っていく。


「ほら、これで大丈夫でしょう?」

「ほ、本当だ……痛く、ない……」


 男は不思議そうに脚を触ったり動かしたりして、状態を確かめた。その脚はイズーナの言う通り、一切の怪我のない状態へと回復していた。


「あ、ありがとう。助かった……」


 男は立ち上がり、そそくさと立ち去ろうとする。


「ああ、少し待って下さい」

「な、何か?」

「その治療はあくまで一時的ものです。時間が経てばまた傷は開いてしまうでしょう」

「そ、そうなのか?」


 魔法で作ったものは精々丸一日しか持たない。それは怪我の治療でも同じことだ。


「はい。ですので、何日かは私が魔法をかける必要があります」

「そ、それは……是非、お願いしたいが……」

「ええ。お家を教えて頂ければ――或いは毎日どこかに行くという場所があれば、教えて頂けますか?」

「分かった。本当にありがとう……」


 その後1週間ほど、イズーナは男に毎日魔法をかけて、脚の怪我を完治させた。それ以降は特に出会うこともなかった。

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