eighty-eight
「馬鹿じゃないんですよ、私も姫も。共和国に行けと言ったのは私たちだし、そこで貴女がどんな目に遭うかも、想像していた。そして、斎藤菜月はいつだって常軌を逸したことをやりだす。それも知っていた。結果、まさか貴女が共和国として戦争をするなんてことは、やはり予想外でしたが、それでも何らかの意味を探さずにはいられなかった。イル先生も、身を隠すのを耐えられず、姫のところへ行ってなんとかしようとしました。でも国王は貴女の事情なんか知らないし、私たち非力な女の言い分も知らない。首を持ち帰れと言われたら、もう持ち帰るしかないんです」
黒い髪が靡く。灰色の空の下で剣の先がきらきらと反射していた。
「エイミーは捕らえられたりしてない?」
「あの子はずいぶん上手くやりましたよ。斎藤菜月は気が違って、あの人からは逃げ出してきたのだと証言しました。それが嘘であると気付いたのは私たちだけです。青髪の語彙ではないですからね、『気が違った』は」
息を吸った。湿った空気が肺に潜り込む。内部で水となって私を殺す気がした。
「ローゼ、クライネさん、私の話、聞いて」
二人は相槌を打たなかった。しかし首を横にも振らなかった。私はクライネの腕から手を離して、硬い地面に座り込む。もうだいぶ疲れていた。たぶん魔法も使えないという感覚を抱いていた。
「私を、可能な限り痛ぶってほしい。それから捕まえて王国に連れて行って」
ローゼが恐ろしく不透明な色の視線で私を射る。
「願ってもない申し出ですね。ちょうど人を殴りたいところだった。勲章も貰える。でも、罪のない人間を殴るほど酒に酔ってもいないし、鉄の塊にも興味はない
「罪ならたくさんあると思わない?」
「さあ。裁判次第でしょ」
「裁判……裁判かあ。私から一番遠い言葉だと思ってた」
「御託はいいから理由をさっさと話さないと、話す前に殺しますよ」
「王国の損害は?」
「貴女のせいで散々」
「私がいなくても、王国は負けてたよ。楽団が襲われたところから、共和国の目論見通りだった。二百年前に勝てなかったのに、もう一度同じような戦争をしたって、王国が勝てるわけない。防衛の形を取って前線に出てくる戦力を根こそぎ奪ったあと、共和国は侵攻を始めるつもりでいる」
「それで?」
「私が戦利品になれば、戦争が止まると思って」
ローゼはそれを聞くと私に近づいて来て、座る私の腹を蹴飛ばすと、追い討ちをかけて頬に平手を打った。吐き気が込み上げてくるほどの鈍痛でうずくまる私にローゼは声を掛けた。
「性根からアバズレなの? そうやって身体を売って歩くのが貴女の人生? 馬鹿馬鹿しいわ、腹立たしいし気色が悪い。目的のためならなんでもすると豪語する奴は腐るほど見てきたけど、本当にやってるのはお前だけよ、菜月」
「ごめん」
唾を吐いたら血が混じっていた。砂利の石の小粒が目に深く映っていた。
「表面的な行動ばかりするくせに、謝る時は本当に謝ってるのも気に入らないのよ。嘘をついたことがないでしょう。自分に言ったことは全部本当だと思ってるし、自分の行動は全部正しいと思ってるんでしょう。そうじゃなきゃ貴女のように奴隷みたいに生きられない。街角で身体売る方がよっぽど理に適ってる。ねえ、聞いてくださいよくそおんな。そういう貴女の行動で、貴女の近くにいる人々全員が、貴女以上に苦しむのよ。誰の入れ知恵か分からないけど、王国は滅びない。負けない。のに、魔法を無駄撃ちして無駄な死人を増やした。昨日は友人だと思っていたら明日には敵になってる。裏切りを裏切りとも思わず、友のため愛のためと言いながら、それが周りの人々のために役立つと思っている。そうでしょ? 全力で私たちのことを舐めているのね。私たちにはなにもできないと? 貴女にしかできないことがそんなにたくさんあるとでも? ねえ、ねえ――! いまさら貴女の根性叩き直してやろうなんて思わないけど、でも評価はできる。肥溜め以下のくそったれよ、斎藤菜月。なにが正義か分からなくて燻ってるくらいなら人だって殺してやるという精神はご立派だけれど、貴女は貴女自身を加害しているだけよ。姫君と一緒、あの人も馬鹿! ルイーズ先生も馬鹿だしそこのくそ魔法使いもど阿呆よ! 青髪も新聞記者も、私も! なんにも分かっちゃいない。なんにも分かってない。誰も教えてくれないもの。でも、なんなの、分かるでしょ、菜月。貴女は人の心がよく分かるんでしょ。私には分からないから教えてみてよ、いまの私の感情も!」
「足踏みをするくらいなら、人も殺すと言ったのは、過去の私だよ、ローゼ、でもありがとう、言葉を覚えていてくれて。いまの私は、どうせ死ぬなら星のように死のうと思ってる。青紫の粒子を撒き散らしながら真っ赤に死んで、地球も光で染め上げて、新しい空のための光になる。ローゼ、私には必要なことなの。誰になに思われてもやらなきゃいけないことがあったの。あなたの感情を教えてあげてもいい。でも言葉にされたら怒る人でしょ、ローゼは。そんな人のために言葉にしてあげようとは思わない。そういうのも分かるんだよ、私は。いままで生きてきて、そういうのしかできるようにならなかったから。……私を、王国へ。姫の顔を見ながら死なせて」
「貴女の死ぬところなんて見たら、あの人は耐えられないのも、分かっているくせに」
「見ずに生きるのも、たぶん無理でしょ。頭の中で腐るほど私の死に様を想像して、苦しんでしまう」
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