『みそづくり』望郷の異世界レシピ01【KAC2021 お題『おうち時間』】
――これは、困った事に、なりました。
フィアーネは胸元へ木桶を抱えなおして空を見上げた。
どんよりと曇った空から、白くて冷たいものがふわふわと漂い落ちてきていた。
温暖で水に恵まれた城塞都市に住んでいた彼女が、知識として知っていたけれど、これまでの人生で一度も目したことがなく、この『村』に来て初めて目にした『雪』。
目にした当初は物珍しさもあって、半日くらい眺めていたが一週間に及ぶ除雪作業で、そんな感受性はすり減ってしまっている。
今や、どんよりと疲労感やら徒労感が沸き起こるばかりであった。
「いやいや、そんなことを想っていては」
彼女は故あって故郷を追われた身。置き場のないこの自分を温かく迎えてくれた村人たちにいささかなりとも恩返しをしなくてはと、彼女は真っ白な雪道を再び、歩き始める。
村はどこも自給自足。日々の営みは切れ目なく、仕事も多岐にわたる。
幼い頃より神殿に入り、清貧と奉仕の信仰生活に身をささげてきた彼女にとって、節制と労働はもはや第二の天性。忙しいのは望むところであるが、それでも仕事は山積みである。
これでまた外出できなくなり、雪が止めば雪下ろしに除雪となると色々滞る。
「これはちょっと急がねばなりませんね」
不自由で制限されているかのような巣ごもりの季節ではあるが、家の中にも仕事は多いのだ。立ち止まっている時間はない。
フィアーネは「よし」と気持ちを入れ直し、本日の目的である「サカモト」さんのお家に向かって歩き始めた。
………
何の因果か異世界に転移してしまった人々がいた。
特に理由もなく、召喚されたものでもなく、勇者でも魔王でもない。死んでいないので帰りたいのだが、帰還方法のアテもない。彼らは自分たちの生活を成り立たせ、帰還方法を探すためにささやかでゆるやかなコミュニティを作り、助け合って生きることにした。
そんな営みが、なんとか軌道に乗って安定してきた頃、次に彼らは「故郷の味」を求めた。
その「異世界」は何もかもが違っていた。彼らの料理に必要なものは何一つなかった。
しかし、彼らはそれでもあきらめなかった。
素材が違っても方法が違っても、それでもその味を、故郷をあきらめなかった。
酒もみりんも、みそもしょうゆも、米も存在しないこの世界で。
おむすびを、ちらしずしを、ぶり大根を求める、長い長い旅が、始まった。
ここ、『花が瀬村』はそんな別の世界からの旅人たちが肩を寄せ合って生きる村。
彼女、フィアーネ・ユフラスは、そのような村にただ一人存在する【異世界人】である。
◆◇◆
冬に向かって一日ごとに忙しくなる師走の村。
諸般の事情で生まれ故郷を離れ、旅の道連れとなった少年の故郷『花が瀬村』にやってきたフィアーネであるが、元々生真面目で勤勉な性格だったので、お客さん扱いの無為には三日と耐えられず。
「何かできることはありませんか?」
と仕事を求めて、聞いて回るようになった。
最初は苦笑してなだめていた村人たちだったが、村でフィアーネと唯一同世代である少年・健太も間に入ったり一緒に手伝ったりして、いつか仕事に加われるようになり。
今日は村唯一の醸造元、坂本酒店で『みそづくり』を手伝うことになった。
ちなみに酒店というからには作っているのはお酒であって味噌ではない。味噌づくりは坂本さんちのタキおばあちゃんの趣味。
とはいえ現時点「おタキさんちのお味噌」は村の7割の消費を賄う一大ブランドでそこそこに規模が大きい。今目の前に横倒しになって底をみせている樽の直径は、フィアーネの身長より大きかった。
「フィアーネちゃんもきて、みなそろったし、はじめようかね」
そういうおタキさんの足元には、潰した大豆と塩と麹を攪拌したものが置いてある。
ひとすくい、ソフトボールくらいの塊をとりわけ両手につつんで少しこねる。
手指から手首肘までを丹念に殺菌した上で、フィアーネも後方に立った。
御年79歳というおタキさんであるが、矍鑠としっかり頭をあげ樽に正対する。
味噌は麹の働きによって生成される発酵食品であるがゆえに、空気を抜く必要がある。そのために樽に隙間なく詰め込む必要があり、方法はいろいろあるのだが勢いよく味噌のもとになるものを樽底に向かって叩きつけたりする。
おタキさんはぐっと口元を引き結んで集中した。
空気が張り詰め、ちりちりと火花が発する。
それらはおタキさんの肩や髪から発していた。そして、両手の中の味噌の素を大切に頭上に振り上げ――
「ふんぬ!」
豪快に腕を一回転させて、下手投げで樽底に叩きつける。
かつて地元高校のソフトボール部を全国大会へと導いた、見事なウインドミルだった。
「さあ! やってみんしゃい!」
「はい!」
味噌蔵の中になぜか存在するプレートにフィアーネが進み出る。彼女の手の中の分量は二回りほど少ない。ちょうど野球の公式球くらいである。
フィアーネは静かに集中に入った。
「……」
武術の鍛錬時に訓練する身体強化の魔法術式を起動。
胸元に両手を構えた姿勢から、両手を高く振り上げ、ワインドアップ。腰を捻りながら下半身を始動。ゆっくりと膝を上げ、流れるような挙動で膝から先、伸ばしたつま先を跳ね上れば、すべての力がためられている。
「――――っ」
高く振り上げていt足を振り下ろす。力は下から上に。その力が捻りとともに腰から肩、肩から肘、肘から手首、手首からその先へ伝えられる。
力の行方は、後ろから前に変換され――リリースの瞬間に指先で爆発する。
「やああっ」
掛け声とともに放たれる「みその素」は力に変換しきれなかった青白い魔力光とともに樽底に叩きつけられる。
「……」
まるで「残心」のような、静かなフォロースルー。一塁側に体が流れることもなく、頭も揺れず。
実に美しいピッチングフォーム。
この異世界の、特に辺境域の食物には濃い魔力が宿っており、これを食べられるようにするには何らかの方法でこれを「破壊」しなくてはならない。
高熱、高魔力。そして物理的な衝撃。
村人たちとフィアーネがやっている『投げ込み』(仮名)こそは、大豆(に似た別の何か)の魔力構造を破壊して味噌づくりを可能ならしめる(今のところ)唯一の手段だったりするため……。
村における味噌づくりで欠かすことのできないのであった。
「……ノーラン・ライアンばりのファスト・ボールだったな……」
「100マイルいったろ? 今の」
「糸引くようなアウトロー……手が出ねえわ」
「まじで右の、本格派だったか」
後ろの男性陣からぼそぼそとささやき声が聞こえる。
稲刈り以降空いた時間に投げ込みをし、味噌蔵(何故か通称を『ブルペン』といった)が開いてからは通い詰めた。
秋季キャンプに強行参加したフィアーネの努力が結実したのである。
――と、いうか。
ここしばらく雪のせいで外で何もできなくて、こもりがちになったお年寄りの家を訪問して回復魔法をかけて回っていたフィアーネが、たまたまおタキさんちで「みそづくり」の話を聞いて、妙に波長があったのかつい味噌づくりに没頭してしまったのである。
ちなみに100マイルは時速換算すると「160キロ」。
まごうことなき即戦力。そのポテンシャルに村人たちは瞠目することになった。
「よし! 次っ!」
おタキさんの号令で、フィアーネは再び「みその素」を手元にセットする。
「つぎ、スライダー、行きます!」
どおっ。とギャラリーがどよめく。
――少年とともに辺境の村を訪れて、半年。
フィアーネはだいぶ村の生活になじんでいた。
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