第116話 ひとつの石ころ 4

 悪いことに馬車はトリィアの気持ちを汲んでボーデヨールへの道を急ぐ。


 そして中ではまたしてもウレイアの話で盛り上がっている。


「もうあの子には散々手を焼かされたものなのよ…?」


 エルセーの話しにトリィアが口を尖らせている。


「私の方がよほど可愛らしいではないですかー?なのにお姉様ったらすぐに私をお叱りになるんですよー?」


「ほほほほ、言ったでしょ?あの子は堅物だからって。レイを攻略するなら情に訴えるか、常識外から攻めることねえ?」


 トリィアは腕を組んで難しい顔をした。


「ううん、分かっているのですが…お姉様も警戒しているし、すぐに立て直してくるんですよー。それに結局あとで怒られるじゃないですかあ?」


「まあねえ、それが出来たらあなたも免許皆伝!よねえ?」


 ウレイアが警戒せざるを得ないのは、この2人が悪巧みをやめないからだ。


「あの、大お姉様?」


「んん?」


「お姉様とはどんな出会いだったのですか?」


「え……?」


 エルセーは口を指で軽く隠すと、ヤケに悩んでから呟くように言った。


「ああ、んーまあ……いいかしら…ねえ……?あの子も怒らないでしょう」


 エルセーは意外に義理がたい、事後承諾にウレイアが怒らないかをよくよく考えていた。


「そうねえ、もう……随分と前だけど、その頃はずっと東に…もう無くなってしまったボゴネルという国があったの」


「ボゴネル…?」


「そう、まあすぐにペンズベリーに負けて無くなっちゃうんだけどね…私はその国でちょうど人からは離れて暮らしていた時期だったの……」


 悲惨な死の後の出逢いは、運命的ではあっても、客観的な好景や美景とは大体は無縁である。


 まず、エルセーとの初めての出逢いの時ウレイアの意識は無かった。


「あの子はね、家の近くの川の中で石に引っかかって浮いていたのよ、それもうつ伏せでねえ……」


「え、ええ?つまり、お顔が川に浸かっていたということですか?」


「ええ、当時はまあ…子供の死体なんかも珍しいものでは無くて、気がついても気にもとめないのだけど、何故かしらねえ…あの時は無意識に川に入って歩み寄っていたの……」


 そう、ウレイアは川で拾われた。そしてこの出会いがウレイアの名前を決定づける。


「てっきり死体だと思っておもて返してみたらねえ、すぐに咳き込んで水を吐きだしたのよ。そして息を吸い込んだと思ったら薄っすらと目を開けた…すぐにまた気を失ったけど」


「………」


「その薄っすらと開けた目を見た瞬間に気づいたのよ、ああ、生まれたばかりの同族だってね。それにそう思った時にはもう抱きあげていたわ」


「ああっ……待ってください大お姉様、そんな感動的に話されては私はもう…」


 トリィアは勝手に目を潤ませて顔を覆っているが、


「え?あらそんなに……?ううむ…ま、まあ、私もその時は感情が高ぶってはいたけど……と、とにかくそのまま家に連れ帰って体を拭いてね、私のベッドに寝かせておいたのね……」


「ふんふん…っ」


「やがてあの子も目を覚ましたのだけど、そこからがもう大変…何しろ触ろうとするだけで噛みつくほど敵外心が強くて心を完全に閉ざしていたのよ、オオカミでも拾ってきたのかと思うくらい」


「お姉様が…?」


 今度はハラハラとしながらエルセーの話しに耳を傾ける。


「あの子は…まったく人に心を許せなくなっていて……それでも私達には言葉の『強制力』があるでしょう?慣れるまでの数カ月はそれで身の世話をしてあげていたんだけど、大分慣れて抵抗しなくなった頃に初めて私にこう聞いた、『あの力は何だ?あなたは魔女なのか?』てね」


「す、数カ月も?」


「私は、『いいこと?二度と私を魔女と呼ぶんじゃありませんっ、そしてあなたも、誰にも魔女などと呼ばせてはいけませんよ?』そう叱った。初めての会話がこれよ?最悪だと思ったわ。でもあの子はそれだけの会話で今の自分を理解したのよ。10歳くらいの子供が、死んだはずの自分と身体の異変、それに力を使う私を観察してね」


 ウレイアは自分の身体の異変にはすぐに気が付いていた。お腹も空かず、眠気にも襲われない。


 その頃暴れていたウレイアはよく小さな怪我をしていたのに傷の治りが異常に早いこと。遂には自分で切った小さな切り傷が見る間に治っていく様を見て。


「『あなたが私を魔…仲間にしたの?』あの子はそう聞いてきた。だから、『いいえ、あなたは川の上流から流れてきた。だからあなたはこの大地から生まれたのよ?』そう言って聞かせたんだけど…ふふ、あの子はまったく納得していなかったわねえ?」


「でしょうねえー…はは……」


「でもそれからは少しずつ信用してくれるようになって、いつのまにか不安が募るとすぐそばで眠るようになったり、いつも私が目の届くところにいるようになって……私がいなくなると必至になって探したり…」


「か、かわいいー…」


 トリィアは手を組んで少女のウレイアを想像して喜んでいた。


「私もつい……わざと隠れて息を殺したりして…でもねえ、いつも見つけたらそれでおしまい。抱きしめてくれたり、笑ってはくれなかったけど……あの子はいつも何かを我慢しているような顔をしていた。それに、そんな遊びが訓練にもなっていたのねぇ?いつの間にか目が届かなくてもあの子の視線を感じるようになっていたのよ。まあそれはそれで、かくれんぼのかたちが変わるだけなんだけど」


 楽しそうにエルセーがくすくすと笑った。


「ああ……いじわるしたんですね?」


「いじわるだなんて、訓練よお…?あ、あの子が見てる、私が眩ます、また追ってくる、なら今度は騙す、みたいにねえ……あの子はいつも仏頂面だったけど、そういう時だけは笑っているような気がしてた」


 トリィアはぐっと堪えるように話を聞いている。


「その内に簡単な技を見せてあげるようになると、その様子をかじりつくように見ていてね…私がやめると、もっと教えろ、もっとよこせ、って怒った顔をするのよ?」


「あー、分かるっ、分かります。あの好奇心は生まれつきとしか思えませんよね?」


「たしかに好奇心は人一倍、いいえ、十倍だと言っていいけれど…あれはねえ、必死だったのよ、あの子……」


「なぜですか?」


「うちに来て3年位かしら…あの子が懸命に技を覚えて一応は身についてきた頃にね、私に真剣な顔を見せてこう言ったの。『この恩には必ず報いるから石を幾つか分けて下さい』てね」


 トリィアは驚いた。


「えっ?マテリアルですか?たった3年で?」


「そうねえ、だから尋常では無かったのよ、あの必死さはねぇ。それにそうは言ってもまだまだおぼつかない感じだったけれど……それでも私は持っていた石をすべてあの子の前に差し出した」


「それで?」


「その中から水晶だけを選って分けると頭を下げて部屋に閉じこもってしまった」


「安いから…ですかね?」


「それもあるでしょうけど、既にあの子はマテリアルの本質的なものを理解していたんじゃないかしら?」


 トリィアは唖然としているが、素材に関して今ほどの理解は当然無かった。


 ただ、石塊であれ木片であれ、何度もなんどもエルセーの真似をして試みていくうちに、それぞれの限界というものが分かっていた。そしてその時ウレイアが求めていた結果には、どうしても水晶が必要だったのだ。


「閉じこもりがちな日が何日も続いて、ようやく落ち着きを見せたと思ったら今度は、何か言いたげな目で私を何日も見ているの。だから、『行きたい所があるの?』って聞いたらね、『ボゴネルの街に行きたい』何かを決心したように言ったのよ」


「その目的は復讐…ですよね?」


 エルセーはうなずく。


「私は立ち会うことを条件に、あの子を深夜に連れていった。見届けるつもりもあったけれど、何しろあの子は姿を隠すような技を何も覚えていなくて…私が隠すしかなかったのよねえ……」


「隠れるつもりもなかった。必至で必死の覚悟だったんですね?」


「そう?ただ考えていなかっただけじゃないの?そういうところもあるからあの子」


「お姉様に聞いた話から分かります。向かった先は、教会、ですよね?」


「そうよ…あの子は用意していた石を教会を中心に螺旋状に外へ外へ…選別した石ころを並べて要所には水晶を置いていく…マテリアルを繋ぐなんて教えてもいないことを目の前でやろうとしているあの子を見て、驚くやら感心するやら。だけどねぇ……」


「何です?」


「ああ、これは失敗する、すぐに分かったのよねえ。それでもあの子は本気だったから黙って見守り続けてね…街を丸ごととはいかないけど、ようやく300メートル位を囲ったのよ」


 トリィアはその仕掛けを想像すると、すぐに気がついた。


「それじゃあつまり、まわりの民家も巻き込んでいたんですか?」


「ええ……あの子の脳裏には焼き付いていたのよ。両親が焼き殺されている間、それを見て自分たちに怒りをぶつけ、熱狂していた観衆の姿がねえ?とても許せるものではなかったのでしょう…」


「あとは、ドミノ倒しのように最初のひとつを『倒す』だけ。その最初のひとつはそこら辺に転がっている珪石だった」


「ああっ、知ってます!私も教わりました。ただの石ころの中でもマテリアルにするには適当だと」


 珪石はどこにでもある石ころだが、濁りの少ないものほどマテリアルに適している。これもやはり、幼いウレイアが様々な物を試しているうちに気がついたことだった。


「私はそこまでは教えていなかった。手に入る全てを集めて、試して、より分けて……それがどれだけ大変なことか分かるでしょう?復讐のために努力したそんな3年間が……目の前でひとつの実を結んだのよ。石ころとしてね」


 エルセーはいつくしむように、でも時にはしぼるように話を続ける。


「じっと石を見つめて動かないあの子をはらはらしながら私は見ていた。それはこの子が失敗したあとに、どう慰めてよいものか、そればかり考えていたから…。でも動かない、その石ころを見つめたまま、『倒そう』としてはためらって、また『倒そう』としては思い止まって、どうしてもあの子は小さな石を倒せなかった」


「優しい…方ですから……」


 トリィアはうつむくて、手を握りしめた。それは幼いウレイアが何故ためらって復讐の石を使えなかったのかが分かるからだ。


「そうね…あの子は視ていたもの、石を置きながら家族で眠る人たちを…親に抱かれながら安心して眠る子供たちをねえ………そしてその石ころを掴み上げると、私にそっと差し出したのよ」


「……っ!」


「それから走って私があげた水晶をひとつ残らず集めてくると、それも私に差し出した…………それで3年間の復讐はおしまい…また押し黙ったままのあの子を私は連れて帰った……」


 エルセーはそこでゆっくりと息をついた。彼女にとってそれから語られることは何よりも愛しむ大切な思い出のひとつなのだ。


「ところがねえ……帰る間もずっと自分を押し殺していたあの子が、家に入るなり私の背中にしがみついてきたのよ。私が驚いている間に顔を押しつけたかと思うと…初めてあの子は泣き出したっ。声が枯れんばかりにわんわんと泣きだしたの………なのに、私はいつ泣き止むかもしれないあの子をただ抱きしめてあげることしかできなかったわ」


 エルセーはうつむきながら苦しそうに微笑んで、


「でもそれからねえ…あの子が笑うようになったのは。それにしょっちゅう抱きついてくるようになったのも……」


 トリィアも目を潤ませながら微笑んだ。


「大お姉様とお姉様が本当につながった瞬間ですね?」


「そうねえ、それに自分の運命を受け入れた瞬間でもあったのよ、だから…私は新しい名前を与えた。大地の女神『ウレイア』…地より生まれ出て大地そのものとなった女神。地に住む生き物全てを育み、同時に激しい怒りの象徴でもある『ウレイア』この子はその名にふさわしい、そう思ったから…」


 エルセーは静かに話しの幕を下ろした。


「これであの子との出逢いのお話しはおしまい………そろそろ分かれ道じゃないかしら?」


「ぐす…良いお話でした、大お姉様っ。ありがとうございました…」


「そうなのかしらねえ?悲しい話のような気もするけど」


 頰に手をあてると首をかしげて笑った。


「んー、そうかもしれませんが、おふたりだけを思うと、とても良い感動的なお話しでしたよぉ、涙無しではもう………でもしかしぃ、お姉様はやはり出来が違いますねー?はあ…私は恥ずかしいばかりですよ……」


「いいえ、出来が違うのではなくて事情が違ったのよ、それと、性格もねえ」


「そうでしょうか?お姉様はそんな幼い頃から難しいことをなさっていたのに…」


「大丈夫よ、トリィア……時間は十分にあるのだもの。あなたはこれからよぉ?」


「はあ……それにしてもその教会は幸運でしたねー?何にしても難を逃れて」


 そのことにはトリィアは少し不満そうだった。


「ああ、それねえ……ほほ、後日またレイを連れてねえ?…教会だけを消し炭にしてあげましたよっ、この私がっ!くすくすっあははははは…」


 高笑いをするエルセーにトリィアは呆れたように苦笑した。


「あ、ああ、そうでしたか…」


「あの時は気分が良かったわあー、本当に……良い景色だった……」


 うっとりと当時を思い出し、今だにその余韻に浸れるエルセーを見ていると、なぜだかトリィアも嬉しくて幸せな気持ちになった。


「ぷっ、大お姉様っ、あっはははは」


 ふたりが笑い合っていると、やがて別かれ道にさしかかった馬車はゆっくりと車輪を止めた。


 トリィアはエルセーをしばらく抱きしめた後、乗ってきた馬にまたがって頭をボーデヨールに向けた。


「そういえば大お姉様っ?、ちょっと気になったんですけど…その時の石ころはどうされたのですか?」


 エルセーは満面の微笑みを浮かべると


「もちろん私の宝物よ!大切にしまってあるわ」


「やっぱり…っ。それではまたっ」


 トリィアは大きく手を振りながら馬を走らせた。


「何だかお姉様をぎゅっと抱きしめてあげたい気分です」


 足取りも一層軽く馬は駆けて行った。

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