第110話 やくそく 2

 その夜……扉の錠も下され静まりかえった礼拝堂の祭壇の前に、祈りを捧げるテーミスの姿があった。


 絹糸のように淡い光を放つ純白のローブ姿は誰が見ても闇に漂うゴーストを思わせる。たとえ神父でもおののいて逃げ出すかもしれない。


「神よ…今日の新たな出逢いに感謝します……でも授かった力を使って…お姉さんを怒らせてしまいました…」


「それでも許してくれるはず…私を一番愛してくれるはず…必ずあの方を得て…神のお創りになられた世界を…美しく変えて見せます」


「!…あ……アデラお姉さん?」


 もうウレイアは遠慮せずにテーミスの動きを探ることにした。最初から自分の気配を感じ取っていたなら、テーミスに少し触れただけでも気付かれてしまうと思っていた方が良いからだ。


(わたしに…触れてる?人にさわられるなんて…ひさしぶり)


 それに、自分に興味を持っているならば、こちらも気にかけていることをわざとらしく示した方が、彼女のご機嫌をとれるかもしれない。そんなちょっとした自惚れを試していた。


「それに…撫でられてる…みたい……やっぱり…許してくれました……神よ…」


 テーミスは目を閉じると、その感触に身を委ねるように何も無い空間に首をもたれかけた。


 これは、これといった企みがあるわけでも無い。無いなりの対処療法というか、現状を維持するだけのその場しのぎをしているにすぎない。


 そんな煮え切らない小細工を弄するウレイアの膝の上にはトリィアの頭が乗っていた。それも頭を撫でるという義務がもれなく付いてきた。


「ねえ、トリィア?このサービスは、何の代償?」


「それはですねー」


 トリィアがウレイアを見上げる。


「作戦上とは言えー、対処法とは言えー、テーミスにお姉様を貸す気は、私にはさらっさら無いからですっ!」


(はあ?この子はもう…)


 まあ、気の無いご機嫌取りをごまかせたような気もするし、結果的に功を奏したということで納得した。


 その夜はもう遠くを監視することもやめ、ソファーにもたれ、ただ静かにするべきことをウレイアは考える。


 トリィアも他愛の無い話しを持ちかけながらウレイアの答えを待っている。それがやがて寝息に変わりすぐに夜が明けてくると、無情な時間の速さが恨めしく思えた。


(いくら考えても妄想とたいして変わらないわね?なんだか、冴えないわね?最近……)


「お姉様ー、また一晩中考えてらしたんですかー?」


 トリィアが目をこすりながら起き出してきた。


「下手の考え休むに似たり、というでしょう?結局は休んでいる様なものなのよ」


 ウレイアが自分に毒づくとぷくっと頰を膨らませて


「むう、お姉様は下手じゃ無いです」


 怒られた。


「ねえ、お姉様?」


「ん?」


「お姉様が悩まれているのは私やエルセー様のことですよね?ううん、きっとそうです…でも、どんなに考えても答えは出ないと思います、やはり危険は避けられませんよね?だから、まずは私がエルセー様にこの事を伝えに行った方が良いと思うのですが…?」


 ウレイアに気を使うトリィアはひどく遠慮がちに提案をする。


「トリィア、そんなに気を使わないでいいのよ。いつものわがままみたいに思ったことを言いなさい」


「わ、わがままなんて言ったことないですっ。そりゃ、ちょっと甘えたりはーしたりしたかもしれない、かもしれないですけど…」


「はいはい、そうね。でも本当に遠慮しなくてもいいのよ?あなたはもう一人前ですもの…」


「お姉様ー……あ!」


 まずは嬉しそうに目を潤ませたが、すぐにウレイアに疑惑の目を向けると、


「そのお言葉は本当に嬉しいですけど…まさかっまさか私に独立しろなんておっしゃらないですよね?」


 その言葉で気が付いたふりをすると


「ああ…そう、そうよねえ、流れとしては……」


 しかしそこまでを口にして、ウレイアは意地の悪い自分を戒めた。


「でもこんな所でするような話では無いし、いつもあなたには言っているでしょう?自分のことは自分で決めなさいって」


 トリィアはほっと胸を撫で下ろしている。


「そもそも意味ないですよ?どうせ毎日お姉様のところに入り浸りますから」


「あ、ああ、そう…」


 もうそのひらき直り具合には呆れるだけだ。しかもウレイアに拒否権は無いと思っているらしい。


「はい!」


 トリィアが手を上げた。


「え?」


「それでは改めて私は進言します」


「あ、ええ…」


「私はお姉様がおっしゃっていた通り、エルセー様を止めに行くのが急務だと思います。これはもうリスクの問題では無いと思います」


 昨日トリィアにそう言ったのは、状況の変わってしまった最前線から、取り敢えずエルセーに距離を置かせたいウレイアの気持ちから発せられた言葉だった。 


 そして繰り返し考えていた。分散してもエルセーを隠しておいた方が良いのか?テーミスに気付かれても3人揃っていた方が良いのか?奇襲が成立しない以上、取り敢えずはエルセーを待ってここで合流した方が安全だ。


 それにエルセーを止めに行けば、余計な警戒感を与えるかもしれない。


 しかしエルセーを隠しておけば陽動や囮には利用できる。ただし陽動は、テーミスが彼女達を感知できる広さを知っていることが前提になるだろう。


 あるいは今度エルセーが姿を見せれば、テーミスはすぐにエルセーに会いに行く、とするならば誘き出すのに格好の囮を演じてもらえるというわけだ。実はそれがウレイアにとっては非常に都合が良い。


(なにしろ私の最大の攻撃力は………)


「むむ、まだ悩まれてますね?ならばいっそのことこの場は引きますか?」


「うーん……、一旦引いて追いかけさせることも考えたけど、乗ってくるかどうか自信がないのよねえ…それに万が一テーミスの感知能力がより広く進化してしまうと面倒だし……距離を保って似げていたら殺意がばればれでしょうし…」


「そこまで心配されているのですかっ?」


「他には…仲間になったフリをして頃合いよく寝首をかく……というのもあるけど、これは…」


「嫌だし…」

「ダメですっ」


 意見が一致した。


「あら?」

「あれ?」


「くす…分かってるわよ」


 もっとも静かにテーミスを葬ることができるが、多分一番リスクが高い。彼女のそばにいる時間が長ければ長いほど、取り込まれる可能性が高くなるからだ。


「す、すいません…お姉様を、お力を疑っているわけでは無いのですがただ不安で…」


「いいえ、合ってるわよ。完全に洗脳を防げない以上、いつまで耐えられるか分からないもの」


 くやしいが単純な力比べではテーミスにかないそうもなかった。


「エルセーもそろそろこちらに向かっている気がするけど…」


 気がする、とは言っても、それは確信に近いものがあった。

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