第107話 天使のかお 4
ウレイアはためらうことなく、むしろ足を早めて宿から出ていく。
途端に神兵達の視線が集まるが、どこか虚で、その目に生気を感じさせなかった。そんな死人の目に一瞥をくれると、一旦止めていた足を馬車に向けた。
ウレイアが姿を見せると、馬車のあるじの気配がぐっと濃くなったのを感じた。
(嫌ね、なぜそんなに興奮しているのかしら?)
一歩、そして一歩、近づくほどに相手の興奮が空気を震わせている。ただどれほど近づいてもウレイアを視ようとはしてこない、どこかこの時間を楽しんでいるような印象を受けた。
(ふん、意外と受ける方が好きなのかしら?まあ、そうで無ければこんなに待たされたら文句を言ってきそうなものよね?)
ここで一度引き返してやろうか?そんな悪戯心が湧いてくるが、そこは我慢をして、8つの視線の中馬車の前に立った。
コン
中からノックが伝わった。御者役の兵士がすぐに降りてくると、敵であるウレイアに気を配りながらドアを開けた。
うっすらと暗い馬車の中で、ぼんやりと光る白いローブを被り込んだ姿が浮かび上がっている。
(これが?)
感じられていた気配からは想像もしなかったその姿。ウレイアはその姿に魂の無いまやかしのような存在を見て目をひそめた。
「大分、待たせたかしら?」
まるで人形に声を掛けているような気分だが、ウレイアに声を掛けられると微動だにしなかった人形は、向きもしないが今気が付いたかのように頭を少し、くっと起こした。
「…ステキな声……ねえ、早く入って…」
!
(濡れた指でワイングラスの縁を鳴らした様な…何にしても少し、カンに触る声ね!)
ウレイアは遠慮なく車内を確かめてから、僅かな決心と共に小さな箱に入り込んだ。
白い人形の気配で満たされた世界に、ウレイアという異物が混じり合う。しかしそれはすぐに分離して、水と油の様にまんなかにゆらゆらとゆらぐ境界を造り出した。
まるで生気を感じさせない血色の無い肌と表情、神のシンボルをかたどったペンダントの天辺には小振りながらも光の象徴であるダイヤモンドが埋め込まれていた。
(とても綺麗な石ね…最高級…)
こんな時にテーミスでは無く宝石に見とれてしまうとは、さすがに自分も大概だと思いながら
(テーミス…)
こころの中で囁くと、それを察したかのようにガラス玉の様な目をウレイアに向けた。そしてやや微笑むと
「ちっとも退屈ではなかった…」
「?」
「どんな人が来てくれるのか…考えるだけでとても楽しかった」
ひどく儚い微笑を浮かべる少女、モノとしての重さをまるで感じない透けそうな体は、触れようとすれば手がすり抜けてしまうのではないだろうか?
もっとも、どのような容姿であっても、どんな印象であってもウレイアは興味を持たないが。
「そう」
(思ったより、若いのね…それじゃあ)
ウレイアの殺意を受けて、ペンダントの鋼糸がふっと肌から浮き上がる。
すん…
ところが不意に人形が鼻をひくつかせた。
「この馬車にはね…人間は絶対乗せないの」
「え?」
「だって…人間は臭いのですもの…」
「臭い?」
言葉に悪意は無い…のだろう、それが分かる。そしてそれが天使の本質なのか、元から負の感情を持たないのなら他の存在を卑下していることにも気がつかない。
自分が心地良く感じるかどうかがこの人形には全てということなのか?
「でもお姉さんは素敵、いい匂い……甘いだけじゃ無い…澄んでいて目の覚めるような鮮烈さがある。なんで……もうひとりも連れてきてくれなかったの?」
「よければ聞かせてほしいのだけど、なぜ私達がいると分かったの?」
くすくすと人形が笑った。
「だって、この街くらいだったらすぐに感じるもの…お姉さんたちが来た時もすぐに分かったわ。ああ、また……誰かが私を『殺し』に来たって」
(っ!…感じる……?!)
「だからすぐに逃げ出したの……少し気持ちを落ち着かせてもらおうって。こうしてお話ししたかったから…」
そう、そうだろう。そうでなければ説明がつかない。ウレイア達が既知の相手や強い力をすぐそばで感じ取ることが出来る、そんな能力の強化版というわけだ。
(でも、わざわざ間を取ることの意味が分からないけど…ということは、やはりエルセーにも気づいていた可能性が高いわね。その時もテーミスが同じ行動を取ったのならすれ違っていたのね?でもその後は…偶然?)
そしてそれは、ウレイアが出現を恐れていたことのひとつでもある。やがてその能力はこの街程度に留まらず、感知出来る広さが拡がるかも知れない。
(それだけで、殺すには十分な理由よ…)
「私を…殺しに来たんでしょう……?」
テーミスの目に愁いが見えた。
「それはあなたも同じでしょう?あなたも私を殺しに来たんでしょう?」
「…私が?お姉さんたちを……?なぜ…?」
「なぜ?とぼけているつもり?あなたは私達を、魔女を殺すのが好きなのでしょう?」
「ええと…」
視線を遠くに向けて、考えを整理しているような素振りを見せる。そう見せているだけかも知れないが、今が首を狙うチャンスと見て鋼糸に力を込めようとした。
「私の夢を聞いてくれる?」
「ゆ、ゆめ?」
ウレイアが苛ついた顔を見せても、人形は楽しそうに語り始めた。
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