第106話 天使のかお 3

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 2人の記憶に残っているこの気配…これだけ離れていても空気を伝わってはっきり感じる。


「います!乗ってますよ、お姉様っ。あの馬車にテーミスがっ!」


「ええ、傲慢で不遜な気配が駄々漏れよ、テーミスっ!」


 もはや視る必要も無いっ。こんな忍びもせず、むしろ自分の存在を誇示するように力を垂れ流すような同族はいない。


「トリィア、抑えなさい………」


「あ、はい」


(存在した。疑っていたわけではないけれど。それに分かるわよ、ずっとあなたのことを考えていたし、クリエスとマリエスタの屋敷を眺めていった時に触れているもの。だから初めまして…では無いわよね。そしてこれで……)


「いることさえ分かれば、狩れる…!」


 殺意を漏らさぬよう押し込めているウレイアの姿を見てトリィアは


(こ、これも…お姉様のすがた……こわいっけど……おそろしく研ぎすまされた美しい剣の様です、お姉様!)


 徐々に近づいて来る馬車はそれにつれて速度を落としている。それは伴走していた神兵達の馬が馬車を少しずつ追い越していくさまを見ても分かった。


「まさか…まさか、お姉様?」


「落ち着きなさい、トリィア」


 馬車はゆっくりと近づくと、2人のいる宿の前、いや、ウレイアの目の前で…止まった。


 トリィアは突然置かれた信じられない状況に、身動きが出来ず、パニックになる寸前だ。


「お、お姉様?こここ、これは一体……っ?」


 ウレイアはその時、既に持ってきた荷物の中から全てのマテリアルと予備の鋼糸を引っ張り出して仕分け、考えをめぐらせながら持ちやすい袋に詰め替えていた。


(何のために止まった?)


 神兵は13名、しかしその内の9名は馬車を置き去りにしてそのまま通り過ぎて行ってしまった。残りは4名……


(私達に気付いて止まったのならば、全員でおし包もうとするか……たまたま他の用があって、たまたま止まった?そんなわけは無いわね)


 残った4名の神兵達も馬車の前後を警戒しているようで、こちらを気にしている様子が無い。しかし、


「私達を意識しています、お姉様っ!間違いなくっ…」


 馬車の中の人物は2人がここにいることを知っていて、それを感じ取っている。ウレイア達が感じているように。


「この往来でヤりあうつもりかしら?」


 周辺を広く監視しながらウレイアは起こり得る展開をしらみ潰しに考えていた。今のうちにトリィアに距離を取らせておくのか?ちらりとトリィアを見ると、真剣な顔で首を横に振られた。


「いえこれは、あくまで戦略としてよ?」


「だーめーでーすっ!」


 たしかに戦力の分散も確かに考えものだが、エキドナのリポートから考えると2人で固まっているのも不安だった。


「トリィア、桶に水を汲んで持ってくるように頼んできてくれる?」


「水、ですか?」


「ええ、2つね」


「?…わかりました」


 謎かけに首をかしげながらトリィアは部屋を出た。


 その間にウレイアは、荷物の中に用意しておいたものを確認すると、にやりと口もとをもち上げた。


「すぐに持ってきてくれるそうです…って、お姉様っ、何をくつろいでいるんですか?」


 ソファーに座って本を広げているウレイアを見つけてトリィアが当然ツッコミを入れる。


「ああ、ありがとう。あなたもここに座りなさい」


 呆気にとられていた顔はすぐに呆れ顔になった。


「あの、テーミスは放っておいていいんですか?他にも何かやっておくこととか…」


「やること?まあ、そうねえ、着替えはしておいた方が良いわね。乗馬の服がいいわ」


「はい、えっ?それだけ?」


「…そうね、今のところは」


 トリィアが言葉を失っていると、ドアがノックされた。


 コンコン


「どうぞ」


「失礼いたします。水をお持ちしましたが……」


「ありがとう。そこらへんに置いておいてくれるかしら?」


 従業員は水桶を置いてさがった。


 黙って横にちょこんと座ると、トリィアはひとつ深呼吸をした。


「ふぅー…今は、待つ時間なのですね?」


 ウレイアはトリィアの肩をつかむと引き倒して膝枕の上に寝かした。


「お?」


「そうね、少し待ちましょう。大丈夫、力を抜いていなさい」


 大通りは時間と共に人通りも増して、通行人は教会の馬車の横を通り過ぎる時に一様に一礼をしながら通り過ぎて行く。


 睨み合う、と言う程には緊迫感は感じていないが、けっして相手の動きは見逃さない。街の外までフォローして、もし怪しい動きを見つけた時は、すぐに行動を変えるだけの心構えをしておく。


 そんな張り詰めた中で、2時間…3時間……


 起き上がったりまた寝たり、ちらちらとウレイアの顔を確認しながら緊張していたトリィアも少しずつ気が緩み始めて、膝の上でうつらうつらとし始めている。


「トリィア…さすがに眠ってはダメよ…」


「んん…すいません、でも…この枕が悪いんです」


「ふふ、でもそろそろ、起きてもらおうかしら?」


「ううん」


 トリィアは一度うつ伏せになってから体を起こすと、


「はあい、では今から作戦を受け付けます。お姉様どうぞ…」


「それじゃあ、私はこれからテーミスの顔を見に挨拶してくるわ」


「んんー、なるほど…ええーっ?!」


 どうやら一気に目が覚めたようだ。


「挨拶って?ああ、あの馬車に乗り込むおつもりですかっ?」


「そうね」


「ちょっと、ちょっと待って下さい。あの…無茶はお姉様のチャームポイントでも何でも無いですよ?あんなパンドラの箱に近づく必要があるんですか?」


 ウレイアは腕を組んで考えた。


「ううん…多分ね」


「た?多分て……いえいえいえ、やっぱり待って下さい。たしかに私達を待っているような感じですけど……うーん、罠を張って待ち構えているかも知れないのに…」


「そう、だから2人で行くわけにはいかないでしょう?一網打尽にされたくはないし。そうは言ってもばらばらになっても心配な事があるから、私が出ていったらあなたは……」


 これだけの時間を待たせても宿を包囲するわけでも無く、テーミスが乗り込んで来るわけでもない。


 明らかに何らかの交渉、またはコミュニケーション、または罠で2人をきゅっと締める、そんなところだろう。


 そして最も注意するべきなのは別れた後に片方が人質になることだ。その対抗策を取れなければ、ここは一旦引いて体制を立て直すべきだ。


「…という作戦でいきましょう?あなたには悪いけど」


「うえー……いいえ、分かりましたっ。でもお姉様!まあ、あそこへ行く以上の無茶はないですけどもっ……無理はしないでくださいね?」


「ええ、分かってる。あなたも…私との約束を守るのよ?」


 ウレイアはトリィアを抱きしめた。


「!……はい」


 ウレイアとの約束、数少ない命令のひとつは『私を見捨てること』……ウレイアが窮地に立った時、決して危険を冒して助けないこと。


 それはトリィアが弟子になりたいと申し出た時に、その条件として約束させたものだった。


 しかし……


 トリィアがこの師弟の約束を守らないことくらいウレイアも分かっている。だから自分がそんなことにはさせない、させるような窮地に立つわけにはいかないのだ。


(悪いけど…死んでもらうわよ。テーミス……)


 逆に奇襲を受ける形になった以上、なんのつもりかは知らないが、話をしたいのなら騙し討ちで決着をつけさせてもらう。馬車とはいっても外からは見えない密室に変わりはない。テーミスさえ処理してしまえば今回の件はかたがつくだろう。


 そして家に帰らせてもらう。

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