第86話 追ってくるもの 3
辺りはふうわりとやさしい香りで満たされている。
『私』は5人の女を後ろにひかえさせ、あのブルーベルの石の玉座に座っていた。目の前には体躯の良い男が一人、膝をつき私の話しを啓示の如く傾聴している。
自分が何者かもぼんやりとしている思考の中で、思い浮かんだのは
(私の名は…ケール……………いえっ違う!これはケールが見ているもの?……夢?)
「アドニス、あなたにこの国を譲ります。ここまで良く立派に育ってくれたわね?」
「はっ、では私は陛下の影武者となり、この国の表の顔として…」
「違います。あなたに王位を継承したら私はこの国を出るつもりです。それと同時にケールの名前も捨てるつもりです」
「は?あ、いえ、それでは陛下の理想が…」
「私はあらゆる手を尽くしてこの国という『器』を創り上げてきた。しかしその成果はあまりにも些々たるものでした。国そのものはまだ大きくできるでしょう……しかし大きくなればあらゆる面で危険は増してゆくばかりで、それに見合うほどの成果は望めそうにない。ましてや世界の隅々まで国を拡げるなど、可能だとしても悠久の歳月が必要になるでしょうしね?」
私……いや、ケールには確固たる決意がある…いいえ、これも違う…決意が伝わってくる……感じる。
「もっとやわらかく、柔軟に形を変えながら世界に広がって行けるような、そんなものを創り上げなければいけませんでした」
「それは一体?」
「おぼろげながら試してみたいことはあります。あなたには申し訳ないけど、その為にこの国の財貨の3分の1と、ここにいる4人は連れて行きます」
「そ、それは…かまいませんがこの国最大の宝は陛下ご自身です。陛下に見捨てられてはこの国の平和も民の安寧も長くは続かないでしょう。!?、……今4人とおっしゃいましたか?」
「ええ、私達が全員居なくなってしまっては、あなたが今言ったように不安が残るでしょう。この国での活動とあなたへの手助けはこのエリスに任せます」
控えていた女の1人がうなずいた。
「ただ政治には基本的に関わりません。あくまで国を護って行くのはあなたですよ?確かなその『眼』は、この国の民の助けになるでしょう」
男はうつむいたままケールの言葉を飲み込むためにしばらく押し黙っていた。
「それでは……これで永遠の別れとなりましょうか?母上…」
「そうね、そうなるかもしれないわね?」
「…っ、分かりました、陛下の忠臣として慎んで拝命いたします。そして私はこの血を絶やすことなく、この国と陛下の民を護ることをお約束致します……貴女は、自分の命すら守れそうになかった私に教育と未来を与えて下さった。どうか、死ぬ時はこの国の王として死に、魂となったあかつきには息子として貴女の元に参じることをお許しください、母上…」
「ええ、待っていますよ」
「ではこの先は、なんの憂いもありません…」
アドニスは私を見つめ、己の悲哀を訴えていた……………………
「…姉様…お姉様っ?」
「ん?んん…おまえは?」
「?!、お…?」
ケールとウレイア、混濁した記憶に、ほんの少し自分の収まるべき外殻が分からなくなっていた。今現実を知らしめるものは、頬にあたる冷たい滴とトリィアの声……
「ああ…トリィア?」
「おねえさまっ!」
「雨が…降ってきたのね…トリィア」
感覚が希薄だった。まだ夢の中にいるのだろうか?ウレイアは意識をこの世界につなぎ止めようとトリィアを抱きしめた。
「眠ってしまったお姉様の気配が急に、まるで他人のようになってしまって…お姉様がどこかへ消えてしまったような…こわかった、こわかったですっ……!」
「ああっ、眠ってしまったの?…大丈夫よトリィア、少し夢を見ていただけだから……」
(今のは私の想像?いえ、たとえ夢だとしても自分の夢とはとても思えない……ケールの考えていることや感情に飲み込まれて自分では無くなっていた。気持ちが…悪い)
ウレイアの脳裏に不意にあの石の玉座が頭に浮かんだ。
(…あの時?あの石に座っていた時、3人で何を話していたのか…思い出せない。記憶にモヤがかかっているようで………あの時に何かを植え付けられた?まさか記憶を他人と共有することなんて出来るはずが無いと思うけど……)
(そもそも何故あそこに座ろうと思ったの?…分からない、これは危険なことなのだろうか?エルセーに会って確かめなければいけないことが…できたわね………)
自己診断をすることで、ウレイアは自分の存在を確認する。
「どのくらい経ったの……?」
「そう、ですね……夜が明けるまでまだ3時間以上あると思いますが…」
「これ以上体を冷やしてはいけないわ。何処かで…雨をしのぎましょう……」
………ウレイアは暗闇を視まわして気怠そうに立ち上がる。
「本当に大丈夫なのですか?夢を見ていたとおっしゃっていましたが、こんなことは初めてで……?」
「大丈夫…大丈夫よ……少し行った所に小さな林があるわ。行きましょう」
馬がつまづく程の完全な闇の中を手綱を引きながら歩く、誰も進めない道も彼女達なら進んで行けた。
「うふふ、まるで地の果てをお姉様と旅してるみたいです」
「ふ、そうね」
林に入ると手頃な枝振りの木をすぐに選び出し、トリィアの外套で低い屋根をかけた。幸い、地面はまだ乾いている。そしてウレイアの外套を地面に敷くと、替わりに荷物の中から大きなブランケットを取り出した。
「ここへいらっしゃい、トリィア」
「はーい」
横に座ったトリィアに体を寄せて一緒にブランケットを巻き付けた。
「そんなに厚みが無いのに暖かいですね?」
「山羊の毛をたっぷり使って密に編んだものだもの、少しの風や雨では通らないわよ。それと…」
ウレイアはブランケットの中で膝を抱えて立てているトリィアの脚の下に手のひらほどの箱を置いた。
「ん?おお……?何ですかこれっ?暖かくなってきましたけど?じんわりと……」
「水晶を石綿で包んで、鉄の箱に入れた物を布でくるんでみたんだけど、家に有った物でパパッと作ったからどうかしら?」
「えっ?じゃあ、今この中で水晶がかっかと燃えているのですか?あのこれ……実験はされているのですよね?」
トリィアは少し脚を浮かせた。
「うん、してないわ!だから熱くなりすぎるようだったら蹴り出してね、燃えるかもしれないから」
「もえっ?」
「火力を弱く調整するのは難しいの」
「えー?んっ?ちょっと熱い?いえでも、まだ…」
トリィアは火だるまの恐怖に耐えるか、蹴り出すのか、ぎりぎりの葛藤をしている。だが、ブランケットの中はまるで暖かいお湯で満たされているようだ。
「うーん、ぬくい、ぬくい…これは歴史を変える大発明です……」
「残念ながら、世には広まらないけどね」
「でも何か嬉しいです…私達の力は人を傷つけるばかりでは無いんですよね?お湯を沸かしたり、暖をとったり…」
「そうね、どんな力も多様性があるけれど、これが正しい使い方かもしれないわね?」
吐く息はまだ白く散っていく季節だが、体も心も寒さなど感じることはない。
「うふふ、こんな状況だけど私は今とても幸せです」
「そう?本当にさっぱりな状況だけど?」
「こんな暗闇で雨が降っていて、冷たい風が吹いていても…お姉様が隣に居て肩を抱いてくれてますから、あの時とは…違って、えへへ」
(あの時……?)
そう言うとトリィアが静かにうつむいてしまった。かと思うと、ひとつ大きく息を吐いて、突然、静かに語りはじめた。
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