第74話 蛇は這う 1
怪我人はおろか目撃者もおらず持ち去るものは価値の無い物ばかり。そんな謎めいたカッシミウの怪盗はあっという間に街の噂の中心となっていた。
誰にも捕まえられない怪盗は、実は精霊の悪戯ではないか?という噂まで尾ひれが付いて、盗みに入られた家には幸運がおとずれる……などと、妙な事になっているようである。
随分と前だがいつの間にか終息した子供ばかりの失踪事件、その次は精霊の悪戯による窃盗事件と、こちらを無視するかのような謎めいた事件ばかりで、新人警備兵のカイルは想像していた実務とのギャップに目を回していた。何故ならば……
「初めは皆んな躍起になっていたんですが、大した被害が無いからと上からは通常警備を言い渡されるし、精霊の噂は立つしで、何かもう馬鹿馬鹿しくなってますよ」
警備隊のカイルが詰所の前でトリィアに愚痴をこぼしていた。
「挙句に精霊を見れば凄い幸運があるに違いないなんて…違う方向で詰所まで盛り上がっちゃって」
「うふふふ、確かにそれじゃあどうすれば良いのか分かりませんねえ?うーん、突然現れた精霊かー、見てみたいなー」
「でもこの精霊、ここへ来る前はモーブレイで出ていたらしいですよ?」
「そうなんですか?」
「あっちはここよりもずっと警備が厳しいですからね、それでも全く手がかりを掴めなかったらしくて。隊長も凄くデキる人なんですけどね?」
(ん?それはもしや…あのかわいそうなひとかな?)
トリィアが覚えているパーソンズの印象と言えば、ウレイアにいじめられて意気消沈していた『かわいそうな人』だった。
「本当に会ってみたいですねえ、まあ、ウチみたいな小さな家には興味も無いでしょうけれど」
「ダメですよ?やはり只の盗賊でしょうから、十分注意をして下さいね」
「分かりましたー」
「…なんてことをおっしゃってました」
「ありがとう、トリィア」
「いえいえ、おかげで美味しいお菓子も買えましたし。さあさあ、お姉様もご一緒に!」
「ん?え、ええ……」
トリィアは大量のお菓子と中々良い情報を仕入れてきてくれた。
「それで、どうなさるおつもりですか?」
「そうね…その精霊と話をしてみたいわね」
お菓子を並べていたトリィアの手がぴたりと止まった。
「それは危険な事ですよね、お姉様?今回の件はやり過ごすとおっしゃっていたじゃないですか?たしかに情報は期待出来るかもしれません、けど…やぶ蛇になる可能性の方が…」
トリィアは言いかけて、その言葉を呑み込んだ。
「すいません、お姉様のお言葉には逆らわないと決めているのに…」
「かまわないのよ、トリィア。あなたの言う通りだもの。囮が敵だった場合の対応が思い浮かばなくてね、手を出しあぐねているのよ」
「では、それでは軽々に首を突っこむおつもりは無いのですね?」
「ええ、あなたにお許しをいただくまでは、ね?」
ウレイアはクッキーをひとつトリィアの口に押し込んだ。
「んく、もうっ、そんないじわるをおっしゃらないで下さい」
「本心よ。あなたにも関係してくることだもの、無茶なことはしないわ」
トリィアは嬉しそうに、でも口角が上がるのをぐっとこらえると、
「生意気なことを言ってすいませんでした。私はお姉様のなさる事に反対するつもりは本当に無いんです。でも、その結果でお姉様に危険が及ぶことを考えるとどうしても…」
「そうね、私も同じよ。お互い、痛し痒しと言ったところね?」
「でも…お姉様の足を引っ張るようなことは……」
考えていたトリィアはウレイアの顔を見上げるとこんなことを言った。
「私も一緒に行きますっ。もし、悪い結果になってしまったら、セレは大お姉様に預けて一旦この街を離れるんです。そうすればやり直せます…」
「そうねえ……でも、もうこの話はよしましょう」
悪い結果とは、囮が味方、もしくは寝返らなかった場合以外の全てということになる。
自分達の存在を知られれば、その後に大勢の神兵、もしくはテーミスが登場となるのだろう、かなり分の悪い賭けになるのは分かっている。しかし今はまだ、取り返しのつかない選択を無理にするほど追い詰められてはいない。
ただの気持ちの問題で、後手にまわることと、自分と、自分のまわりの者をその爪に引っ掛けようとつけ狙っている者の存在が許せないだけだ。
それがどれほど愚かな行為なのかを今すぐにでも後悔させ、償わさせなければ気が済まないのだ。でもそれはウレイア個人の感情であって、トリィア達の安全を天秤にかけるようなことは出来ないし、たとえ天秤に乗せても今のウレイアにとってどちらが重いかなど…分かりきっていた。
「うーん、ワインでもいただいて頭のネジを締め直すわ」
「えー?普通はゆるむのでは?……あ、ではお供にエッグトルテなどいかがですかっ?」
「えっ?うーん……」
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