第62話 セレーネ 3

 昨晩は『はい』とは言ったエルシーだったが、死の館に近づくのはやはり不安だった。


 この街に来てからはウレイアに頼らず自分ひとりで任期をまっとうするつもりではあったが、会いたいと思ってもあの館には近づかなかった。近づけなかったのは、ウレイアの忠告を恐ろしく、重く受け止めていたからだ。


 そんな彼女にとって初めて対峙した小さな死の家は、尚更のこと冷たく禍々しいモノに見えたことだろう。見上げると確かに切り妻の小窓の暗闇に薄らと白いロウソクが見えた。


(ノック、するんだよね?)


 エルシーがおずおずと握った手をドアに近づけた時。


「だーれーだーっ?」


「ひっ!?」


 驚いて身を引くとバンッとドアが勢い良く開いた。


「どーーーーんっ!!」


「ねっ、姉さんっ!?」


「びっくりしたっ??……て、エルシー…あなたその振り上げた拳をどこに振り下ろすつもりなの?」


 エルシーは慌てて拳を左手で隠した。


「でも入ったら死ぬんじゃ?」


「?、ああ…あなたじゃねー、それじゃあ行きましょう。おっと、お手紙をチェックしなきゃ」


「…?」


 言われるままにおとなしく、トリィアの後をエルシーがついて行く。


「良かったわね…まぁ初めてあった時から、こうなるような気はしていたけど」


「?、あの、どこに…?」


「ここよ!」


 歩いて僅かに100歩程度、ありきたりで何の変哲も無い一軒家の前でトリィアは止まった。


「ここが…お姉様と私の家よ!」


「!!、ここっ、が………?!」


「なによぅ、まさか大きな邸宅でも想像していたの?」


 いいや、エルシーにとってそんなことはどうでもよかった。


 初めてウレイアに会ってから幾らも経ってはいないが、エルシーにとっては初めてだった強い願いと希望が……この家の中にある。だから宝箱の姿なんて、どうであろうと気にもならなかった。


 トリィアが開けたドアの先……外から見ればドア枠に切り取られた室内の薄暗いその景色は、自分が過ごしてきた今までの世界とは違って見えた。


 エルシーがその境界線を前に一歩を踏み出しあぐねていると


「ほら、いらっしゃいっ!」


 それに気づいたトリィアが、境界線の向こう側からエルシーに自分の手を差し出した。


 迷わずに掴んだ手に引かれて、確かに存在した見えない壁を目をしばつかせながら通り抜けると、さっきまで遠く恐ろしげにも見えた暗い世界が、一瞬で鮮やかな色を帯びる。


「ああ……いい香りがする…」


「ん?お姉様、連れてきましたー」


 エルシーは呆けて手を引かれるままに奥のリビングに招かれた。


「よく来たわね」


「お師さま……?」


「どうしたの?とりあえず、お座りなさい」


 ソファーテーブルの上には既にお茶とお菓子が用意されていた。


「でも、さっきの香りとは違う…」


「なに?」


「いっいえ…」


 エルシーは迷わずウレイアの正面に座ると、ウレイアの隣りに座って、そそとお茶を注ぐトリィアを見つめている。


「はい、どうぞ……」


「まずはお茶をいただきましょう、エルシー」


 お茶の席ではどんな話よりもまずは出されたお茶を一口いただくことが茶の湯の作法というものだ。


「!、美味しい…」


「そう、よかった」


 カチャ……


 そしてまず口火を切りたい者がカップを置くと良い。


「私が、私の家を教えた意味が…あなたには分かるのではなくて?エルシー…」


「うん…でもまだ1年経っていないから勘違いだったら嫌だし」


「私が決めたことよ。もしまだ、嫌だと思うなら…断りなさい?」


「え?」


「あなたが望むなら、弟子入りを許します。今日、この場で…」


「っ!、ほ、ほんとに?ほんとうにっ?」


 やっと聞くことのできた許しの言葉…エルシーは握りこぶしに力を入れ、ぐぐっと身を乗り出した。


「ただし、ここに通うことを許された外弟子です。私はあなたがあなたの『あてど』を見つけられるよう、同族の先達として指導しましょう」


「あ…あてど?」


 エルシーがつまづくとトリィアが手を差し伸べてくれる。


「あなたが人生の目標を見つけられるように、先輩として導いてくれるということよ。ちなみにお姉様はあなたを尊重して、凄くへりくだっておっしゃっているのよ」


「!、私なんかを……?」


 エルシーは膝の上で両手を固く握って、ようやく辿り着いたひとつ目の『あてど』にいることの喜びを実感した。


「エルシー、お姉様に返事を……」


「あっ!ありがとうっございます」


 すっかりメイドらしいおじぎになってしまったが、ちゃんと立ち上がって一礼をした。


「ではお茶の続きをしましょう」


「あの…それで、私は何をすれば…?」


 ウレイアはカップを口に近づけながら静かにエルシーの問いに答える。


「私の期待に応えなさい」


「え?」


「あなたに求める見返りは、そのひとつだけ。だから私に師事する以上、みすぼらしい体たらくは許しませんよ?」


(あははー、お姉様が既に鬼モードに)


 氷水をかけられたようなトリィアの笑顔にエルシーも怖気づく。


「でも心配はしていないわ。だからあなたを弟子と認めたのだもの、頑張りなさい」


「ほ…良かったわねエルシー?」


「あなたは幸か不幸か、他の同族には出会わずに生きてきたようね?でもねエルシー、私達も…変わらず人間だけど、他の人達とは掛け離れた生き物だと分かっているかしら?私が教えてあげられるのは私たちとその力のありさまだけ。そこから何を見出せるかは、あなた次第なのよ?」


 ウレイアの言葉にエルシーはまたしても首をかしげた。


「はい、お師さまっ……何を言われているのか解りませんっ」


「あ…………そう」


「おお、お姉様、落ち着いてっまだほんの小娘ですからっ、ねっ?」


「?、あなたは何をさっきから一人でうろたえているの?」


 まあ、もどかしいと言えばその通りだが、幸いはらはらとエルシーの心配している本人のおかげでこのような初心者講習はウレイアも幾度となく経験してきたことだ。今更そんなことに目くじらを立てることは無い。


「今日はまあ、いいでしょう。さて…互いを認めた以上は名乗らないわけにはいかないでしょう」


 はっと、エルシーは緊張して姿勢を正した。

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