第54話 バートン通り探偵社 1
枢機卿と教会の一団がこの街に来た目的は分からず仕舞いなのだが、腹の内では彼等を侮っていることも手伝って、カッシミウにはただの布教の為に訪れたことにしておくことにした。だからといって油断して良い訳では無い、しばらくは周りにも気を配り、教会とそのまわりの体制に変化がないか観察を続けていくつもりだった。
「そういえば、エルシーは無事だったのでしょうか?まさか余計な事はしないですよね?」
朝食のジャガイモを口に放りながらエルシーを思い出すトリィア。
「まあ、別に心配はしていないけれど、どうしたの?気になるの?」
「いえ、まあ…気には、なりますけど……」
「会いに行ってもいいのよ?トリィア『姉さん』」
「うっ、あ、あんな可愛げの無い妹はいりません」
このところトリィアはエルシーのことをたまに思い出してはそわそわと心配顔を見せることがあった。
結局はことある毎にエルシーを擁護していたのが自分に他ならないし、無事にウレイアの期待に応えて妹弟子になって欲しいような……欲しくないような、そんなふわふわもやもやしたものを抱えて持て余しているようだった。もしかしたら思いがけずエルシーは良い役目を担ってくれているかもしれない、ウレイアは微笑ましく見守っていた。
「!」
2人がぴくりと外へ意識を向ける、どうやらリードがやって来たようだが、しかし、毎日のように来てはいるが早朝からやって来るのは初めてのことだ。
コンコン…
リードは訪れたことを知らせる為ではなく、入室の許可を得る為のノックをする。トリィアはノックよりも早く、ジャガイモを飲み込みながら立ち上がっていた。
「はいはい…おはようございますっリードさん」
扉を開けると、いつにも増して神妙な面持ちでリードが立っていた。
「おはよう御座います。このような時間に訪ねたことをお許しください」
それに彼1人きりで訪ねてきたことも珍しい。
「どうしたの?」
「失礼いたします。えー、実は今朝、屋敷の鍵を開けに行きましたところ、既に鍵が開いておりまして……」
「っ!、あら、泥棒?」
「はい。あ、いえ、よく分かりませんが、中で男が死んでおりまして…」
……?
一瞬間を開けてごくりと口の物を飲み込むと、トリィアが声を上げた。
「ええーっ?」
「確かなのね?」
「はい……残念ながら」
どうやら冗談では無いようだ。
ウレイアはすぐに2階に行きコートを掴むと、トリィアのコートを本人に手渡し手早く出掛ける支度をする。
「エルセーには?」
「はい、まずはエルセー様にお知らせしたところ、ウレイア様にも声をかけるようにと」
「そう」
ウレイアはリビングのチェストを開けてコートのポケットに小袋をひとつ押し込むと、フードを深くかぶった。
「行きましょうか」
細かい雪がちらつく中、ウレイア達は家を出た。
「2人とも、急がないでね。いつも通りに歩いて」
「はい」
「はい…」
ウレイアはしばらく歩いて人目が無くなった所でトリィアに声を掛ける。
「トリィア、一応『偽装』を……」
「はい、お姉様」
トリィアの擬装はまだ不安定な為に、ネックレスに通した石のひとつで補助することが必要だ。
ウレイアの…いや、元々はエルセーから学んだこの偽装は、姿形を変えられるわけでは無い。もう少し複雑な手順を加えるとこちらが望んだように見せることができるようだが、基本としては顔を見た相手の視覚に影響を与えて絶妙にぼやかし、ぼやけた顔を相手の脳が勝手に補完する、という仕組みになっている。
加えて実際にはぼやけた像を見ているので記憶にはっきりと残ることはまず無い。しかも都合の良いことに、ぼやけた顔に再会した時には、脳は補完した顔をちゃんと甦らせるようだ。つまりは自分の顔が相手にどの様に見えているのかは自分にも分からない。が、これが面白いようにばれないのである。
ところがエルセーの今の偽装は誰に対しても同じ顔が見えているようなのだ。その方法がウレイアにも分からない、今もってこの分野では彼女は権威のようである。
屋敷に着くと、エルセーは中には入らず玄関の前で待っていた。ウレイアは敷地に入る前あたりから2人を制して先頭を行く、ここで見落としがあってはならないからだ。
「おはよう」
エルセーはいつも通りの急迫感も無い挨拶で、手を振っている。
玄関までのアプローチは石のため、昨晩の雨で洗われてしまっていた。
「おはよう御座います、大お姉様」
またトリィアがにこやかに挨拶を交わしているが……確かにまあ、今ここにいる者で死体くらいで動揺する者などいるはずがなかった。
「おはようございます、それで死体は?」
「扉を開けてすぐの所に倒れてますよ、いやぁねえ、もう……迷惑な話しでしょう?」
まるでもう、ねずみの死体でも見つけたような言いぐさである。しかも全員が『ウンウン』とうなずいているぐらいである。
何にせよウレイアは扉に手をかける前に玄関周辺を観察する。
「幸い工事の人間が来るまでには時間がありますよね?それまでに何らかの始末をしましょう。扉は…こじ開けられた様子は無いですね?」
「もう工事自体は終わっているのよ。今日は掃除が入る予定だったのだけどねぇ」
玄関を開けるとすぐに死体が目に入った。扉に背を向ける形で男がうつ伏せに倒れている。その光景を前にウレイアとエルセーはとりあえずため息を吐いた。
足下に注意をはらいながら死体に近づく……死体の手元近くの床には金てこが転がっていた。
「背中を…いっち、にー、2回刺されていますねー」
トリィアも平然と観察している。ウレイアは立ったまま死体を見下ろして一通り探ると、足で死体をひっくり返そうとした。すると…
「ウレイア様、私が」
リードがすかさず死体を横にひっくり返してくれた。
「ありがとう」
「おや、この方は…」
ひっくり返した顔を見たリードがすぐに気が付いた。
「知っている顔なのね?」
「はい、出入りしていた漆喰職人です」
「あらぁ、本当ねえ……ずっとここの工事をしていたわ。あとリード、ベストの前ポケットを」
リードがポケットから何かを掴み出して手を広げて見せると、小銭と2枚の金貨が乗っていた。
「あー何か面倒な予感がしてきたわよ?レイ…」
「そうですね、しかし本当に面倒なのはこちらのほうでは?」
ウレイアに促され全員が家をよくよく見回してみると、方々が金てこで引き剥がされていた。
「何なのこの有り様はっ?それも直していない所ばかりじゃないの!」
エルセーにはかわいそうだが工事はもうしばらくかかりそうだった。
ウレイアは広い家を手早く見て回ると再び玄関に戻った。1階と同様に2階も所々が壊され、せっかくの工事が台無しかと思われたが、新たに直された所には手を付けず、古い板張りや固定された家具などばかりをあさっていたようだ。
「侵入したのは裏手の窓からのようですね?泥棒で間違いは無いようだけど、ふむ、目的が…分からないわね…?」
工事をしていたこともあって中は埃っぽく散らかっているし、大勢の人間が動きまわっていたことから足跡を区別するのも大変だ。ウレイアは改めて玄関付近に注目した。
この男を殺した人物が屋敷の中からは浮かんでこないし、殺されたのはこの場所で間違いは無さそうだからだ。
扉のすぐ横には縦に細長い窓がある。その真下の床をよくよく見てみると、ホコリを押し除けたような小さな斑点が残っている。そして窓ガラスにもちょっとした異変を見つけた。
ウレイアは幾つかの手がかりを整理して頭の中で時間を巻き戻す。
「どうやら、前の住人を調べる必要があるようですね。とりあえずは、泥棒として警備詰め所に知らせたほうが良いでしょう」
「やっぱり?そうよねえ。面倒くさい…」
エルセーがこの上なく煩わしそうにうなだれた。
「とにかく目的を知りたいですね?場合によっては、この家にまだまとわりついてくる可能性がありそうですから」
「しょうがないわねぇ。リード、ちょっと詰め所まで行ってきてくれる?ありのままを説明すればいいわ」
「かしこまりました」
おかしな事件だが普通に泥棒として処理されるだろう。問題は2人目の人物とその目的なのだが…
「誰かが来る前に私達は出ましょう、トリィア」
「は、はい」
「それからエルセー、落ち着いたら私の家に来て下さい」
「分かったわ」
リードが警備兵を連れて来る前にウレイアとトリィアはその場を離れた。今は一旦家に戻って、後でまた出掛けることにしよう。
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