第41話 エルシー 4
ウレイアがエルシーの所へ戻ると、彼女は素直にぶつぶつと傷の回復に努めていた。
「どう?」
ローブを取って傷の具合を確認すると、出血も止まり肉も塞がりかけている。
「痛みも大分収まっているはずよ、もう動けるわね?」
「貴女が治してくれたの?」
エルシーは今まで大した怪我をした事も無かったのだろう。
「いいえ、私達の基本的な能力よ、よく覚えておきなさい」
「全員……死んだ?」
「ええ、ここに居た者はね」
彼等への哀れみがエルシーの表情から見て取れた。相手がどの様な人間だったとしても、しばらく生活を共にしていれば情が湧くのも仕方がないだろう。それにこの娘はまだ、自分に対する認識が足りていないのかもしれない、ウレイアやトリーにとって人間は、既に違う生き物に感じられるのだが……
「悪いけど、馬車と馬2頭は貰っていくわ。残りの馬で、あなたも早くここを離れなさい」
「お姉様っ、お待たせしました」
そこへ握りこぶし2つ分くらいに膨らんだ袋を2つぶら下げてトリーが戻った来た。
「結構有ったのね…悪いことをしたわね?」
「いえ、探してたら何か楽しくなってしまって。泥棒も面白いですねー?」
「くす、悪い子ね」
ウレイアは袋を受け取り例のごとく中身を確認すると、ひとつをトリーに返す。
「これは戻ったらあの人に渡して」
そしてもうひとつはエルシーの横に置いた。
「これは持って行きなさい。当分は凌げるでしょう」
「!…………」
エルシーは重そうに身体を起こすと、掛けてもらったウレイアのローブを慣れない手つきで小さくたたもうとしている。
「良いのよ、それもあげるから持って行きなさい」
エルシーが貰ったローブを大事そうに胸に押し付ける姿を見てトリーはせつない気持ちにさせられたが、
「あなたが無礼なのは知っているけれど、ここまでして貰ってお姉様にお礼も言えないの?」
そんなふうにトリーが彼女を叱りつけている光景もすっかり見慣れた光景になってきていた。しかし心の内ではエルシーを気遣っていると知っている以上はトリーが暴走しない限りウレイアも黙って見ていることにした。
「あ…ありがとう……」
エルシーはウレイアと目が合うと顔を赤らめて緊張した様子で礼を口にした。
「もっと上手に生きることね、それではね。さあ、行きましょう」
ウレイアはトリーに目配せをすると立ち上がる。
「頑張りなさい」
心配そうなトリーの激励と共に立ち去ろうとした時、ウレイアはエルシーに裾を掴まれ引きとめられた。
「待って、ください。わたしも一緒に……お願いしますっ。そばにおいて…ください」
「あなたを連れて行く気は無いわよ?」
ウレイアはため息を吐きながら冷たくあしらった。
「おねがいしますっ、おねがい……」
「〝離しなさいっ〟」
びくっと手を離すが、身体に全力を込めてウレイアの言葉に抵抗すると、すぐに裾を握り直す。裾を掴んだそのままエルシーは突っ伏した。
「おねがいします…貴女の側がい…」
「しつこいわね、殺されないとでも思っているのかしら?」
エルシーはなおさら裾を強く握ると顔を上げてぐっとウレイアを睨みつけた。
「わたしを助けた責任を取ってっ、ください」
「っ!、エルシー……」
思わずウレイアが名前を呼んでしまうと、エルシーの顔に喜びが滲む。ウレイアはしまったと、更にため息を吐いた。
「ふう、あなたあの時……あなたは何故、『自分を魔女と呼ぶな』と言ったの?」
「?……!」
会話を聞かれていたとは思わなかったエルシーは少し困惑していたが、すぐに思い当たってその表情は驚きに変わった。
「あっ!そ、それはっ…もしも、私と貴女が同じモノなら、魔女なんて呼ばせていい筈が無いと……なぜかそう思ったんだ……」
この言葉に目をみはって喜んだのはトリーだった。
「あの、お姉様…」
「…………」
ウレイアは考える。この娘をどうするべきなのか?いや、自分はこの娘にどうなって欲しいのか……?
そして、また自分の甘さに呆れながら決断をした。
「いいでしょう…とりあえず1年、私に頼らず自分の正体を隠して生活してみなさい。他の人間達に紛れて暮らすのよ?まあ、外弟子の見習い、それを入門試験にしましょう」
それだけの許可で、エルシーの胸は高なった。
「貴女のあの街で?」
「それは好きになさい。それからこの住所を覚えなさい、バートン通り32」
「バートン通り32?バートン通り32…」
エルシーは繰り返す。
「そうよ、この家の屋根裏部屋の窓にロウソクを立てておきます。私に会う必要がある時はこのロウソクに火を灯しなさい、そして中央広場のどこかで私を待つのよ?でもこの家の中に入ろうなんて思わないこと…入れば間違いなく死ぬことになる、いいわね?」
「そんなっ、じゃあどうやって…?」
落ちている小さな枯れ枝を拾いエルシーの目の前に差し出すと、トリーに目配せをする。
「はい、お姉様!」
すぐに枯れ枝の先が燃え上がった。
「見たでしょう?これくらいは初歩の初歩よ」
まずは驚いてからエルシーはすぐに自信の無い困った顔をした。
「あ、貴女の家は?名前は?」
「今は…教えない」
本当は自力でウレイアを探し出すくらいで丁度良いのだが、あえてこの娘は探すことはしないだろう、そんな確信があった。だからなのかエルシーはひどく落胆していたが、それでもかまわずウレイアは話しを続ける。
「それから…」
また小指くらいの小枝を拾い、今度は自分の髪の毛を一本抜くと、枝の芯にいとも自然に髪の毛を滑り込ませた。余分にはみ出た部分は千切って捨てる。
それをくっと軽く握ってからエルシーに差し出した。
「もし、自分では対処出来ない緊急事態になった時には、身を隠して待つことができる場所でこれを折りなさい。私の手が空いている時に助けに行ってあげる」
エルシーの広げた両手に小枝を置く。
「無くしてはだめよ、それに呼び出した理由で私の機嫌を損ねたら二度と渡さないから、いいわね?」
「わ、分かった…」
告げられた条件はこの娘にとって優しい事ではないだろう。それでも、不安ながらも真剣に頷くエルシーには好感と同時に、やはりまだ幼さを感じた。
「この後、ここには大勢がやって来る。早く離れなさい」
そしてこうなると、ウレイアにはもうひとつ悩みがあった。黙って動かないウレイアを見てトリーが声をかける。
「お姉様?」
ウレイアはエルシーの前にしゃがむと、ゆっくりとエルシーの首に手を伸ばして以前埋めた石を取り出そうとした。
しかし埋め込まれている位置を確認した時、逃げるようにエルシーが後ずさって首を押さえた。
「これは、わたしのものっです。絶対に返さない」
必至に訴えられて目的を失ったウレイアの手は空を彷徨う。そして彼女はその行動に困惑させられた。
「そのままでいいと言うの?」
「……はい」
「そう…あなたの自由よ」
ウレイアが振り返ると、トリーが慈愛顔でエルシーを見つめていた。
「行くわよ?」
「あ…はい」
2人は馬を馬車に繋ぐと、去り際に残った飼い葉に火をつけておく、おそらく町の警ら隊が気付いてエルセーが手際良く閉じ込められている子供達を救い出すことだろう。石造りの家が延焼してしまうこともないだろうし、そのまま2人は隠れ家を後にした。
「切ないですねぇ、エルシーの気持ちが私には良く分かります」
胸に手を当てながら、エルシーの心情をトリーは自分と重ねていた。
「なに?」
「お姉様に頂いた物なら、毒だと分かっていても喜んでお飲みします……」
「……そう?」
「何ですかそれ、もうっ…憎たらしいお姉様っ!」
「くす」
「もー……あっ、そうだ、大お姉様と事後処理のお話しをされていた時、このような事を懐かしいとおっしゃっていましたが……」
「ん?それがどんな思い出かを知りたいの?」
エルセーの前では2人だけの思い出に踏み入ることに遠慮していたがウレイアと2人きりだと好奇心が圧勝する。
「いやー、どうしても気になりましてー……でもおふたりだけの思い出に立ち入るのもなーなんて思って……」
「ん?ふうむ…べつに、気にすることはないわよ?」
改めてそう言われると気はずかしさが先に立つ。
「エルセーには良い事も悪い事も……まあ殆どは悪巧みね、とにかく大体の策謀にずっと付き合わされてきたけれど、同族とはぶつかるばかりでは無くて、黙って手を貸したり、正体を明かさずに窮地から救ったりすることもたまにはあったの」
「なるほど、今のお姉様と同じですね?」
「そう、ね。そんな事を何度か、正確には私が一緒にいた間に14人の同族に何らかの形で手を貸したわね」
ウレイアの正確な記憶にトリーは目をしかめる。
「お姉様……よく覚えてらっしゃいますね?まさかとは思いますが、相手のお名前まで……」
「ええ、知ることができた同族の名前は覚えているわよ?」
「げ…やっぱり」
「とにかく、そうやっていつもあの人に色々と押し付けられたのよ。そのおかげで随分と経験を積むことはできたけど」
ウレイアの口振りからすると納得できないこともさせられたのだろう。それが今なら理解できる事もあるし、やはり気まぐれとしか言えないような事もあった。それでもエルセーと共に成した事の全ては大切な思い出となっている。
「そうですか……うん、思った通りでした。そのひとつひとつを聞かせていただくのはわがままにも程がありますよね?あ、でももしかしたら、今まで私が聞かせていただいたお姉様の経験談って、その時のお話も含まれていたのですか?」
「ええ…そうよ。特に失敗した話の殆どはその頃の経験ね。とにかくあの頃は本当に多くの同族と出会ったわ、その中でエルセーが殺すには勿体ない、忍びないと思った相手には手を差し伸べていた。あなたに教えたエルセーの別名、『マザー・ゲー』と言う通り名もそうやって助けた同族達によって勝手に呼ばれるようになった名前よ。何しろ助けた相手には顔や正体も明かさなかったものだから……面倒を嫌ってね」
「かっ、カッコいいですっ!名乗りもしない正体不明の救世主ですねっ」
「でもね、ほとんど交流の無い私達でもそう言った噂はゆっくりと拡がって、遂には教会の耳にまで届くと謎の大物として指名手配までされて…当の本人は高笑いをして喜んでいたけれど……」
「うお……実際に大物感が凄いですものね?なんだろう…お会いしてまだ数日なのに大お姉様なら絶対そうだと思えます。」
「そう?…それだけ長生きしているということね」
ウレイアが言った言葉にビクッとトリーがおののいた。
「なっ!?、何故かそれも絶対言っちゃいけないということも解りますっ!」
「ふふ…そうね、うっかり口を滑らせると『パン屋』がやって来るかもね?」
「は?パン屋……??」
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