第26話 祝福 4
キンと…静寂と霊気が空間を支配する大聖堂、灯りは祭壇に灯された無数のロウソクと、見上げる程の天井に張り巡らされた鮮やかなステンドグラスのみで、過剰に金色に彩られた祭壇は室内の無彩色に演出された装飾と相まって、目にした者に神の尊厳を強制させる。
質素ながら重厚な石の祭壇の前には、膝をつき胸に手を当てて祈りを捧げる若い女がいた。
祭壇の両側には出入り口が設けてあり、右手の入り口から現れた聖職者らしき男が祈る女に歩み寄ってくる。
男は少女の姿に息を飲んだ。
白い大理石のような肌に透けて見えそうな白銀の髪、ぴくりとも動かない女はまるで生命を感じさせない。彫像そのものにしか見えなかったからだ。
「し、失礼いたします」
男が畏れながら声を掛けると、閉じていたはずの目がいつのまにか開かれていて男を驚かせたが、女は顔も視線すら動かさずに声を返してきた。
「どうかしましたか?」
「昨夜、また事件がありました。おそらく犯人も同一の者かと思われます」
「そうですか…」
「我々に見つからなかったとは……運だけは良いようですね?」
「運が良い?」
ゆっくりと、静寂の中できしむ音が聞こえてきそうにゆっくりと女は男に視線を合わせた。その目はガラスの玉のように冷たい感情しか発しておらず、男は恐怖で締め付けられたように動くことさえままならない。
「すべては神がお決めになること、私達から逃れるのも理由があったからです。それともあなたは、神がなされる事に異論があるのですか?」
男は凍りついた。15〜16歳か、それくらいにしか見えない少女の限りなく冷たい怒りと眼差しは、この世のものでは無かった。
「おっ、愚かな私をお許しくださいっ」
「かまいませんとも。心配には及びません、神がお造りになった世界を汚す害獣は、その時が来れば間違いなく…苦痛の後に神の御許に送り届けましょう」
冷笑か、氷笑か、しかし少女は人を魅了するには十分な微笑みを浮かべた。
マリエスタの馬車は観音開きの大きな門を通り過ぎると、大きな屋敷の正面玄関で止まった。
玄関の前にはスーツ姿の使用人が立っており、馬車から降りると2人を丁寧に出迎えてくれた。
「ようこそおいで下さいました。ベオリア様、トリー様。私はオリビエ様付きの執事でリードと申します。おふたりを出迎えるよう仰せつかっております。お荷物はその者に……」
「ベオリアと申します、この娘はトリー」
リードは近くにひと気が無くなったのを確認すると、にこりと表情を緩めて声を落とす。
「エルセー様が心待ちにしておられました。お会いできて光栄でございます、ウレイア様」
「!、あなたは……?」
にっこりと笑うこの男はどうやらウレイア達やエルセーの秘密を知っているらしい。
「私はエルセー様がこちらに嫁がれた時、共にマリエスタ家に入りました。元々エルセー様のお世話をさせていただいておりました者です。ウレイア様のお話も、よく伺っておりました」
「そう、それでエルセーは?」
「裏庭のテラスでお待ちでございます。荷物はお部屋へ運ばせますので、そのままこちらへどうぞ」
2人はリードの後に付いてホールから裏庭へ屋敷の中を突っ切って行く。このような大きさの個人所有の屋敷は見たことがない。
「オリビエ様っ、お2人をお連れしました」
テラスのテーブルでこちらに微笑んで座っている女性にリードが声を掛けると、合図を待っていたかのように立ち上がって歩み寄って来た。
「?!」
確かにエルセーだが、ウレイアの知る若い姿では無く、そこには初老の女性が居た。にじむ気品や美しさは当時のままだが。
「まぁ、まぁまぁ、本当に貴女なのね?」
エルセーはウレイアを抱きしめると、その名を囁いた。
「レイ、会えて本当に嬉しいわ!」
エルセーは昔からウレイアのことを『レイ』と呼んだ。師の老いた姿に戸惑いはあってもその腕に抱かれた瞬間に今まで強張っていたものは全て解きほぐされ、知らず知らずに自分の腕にも力が入っていた。
「エルセー……………お久しぶりです」
「ああ……これ程愛のこもった抱擁はいつ以来かしら……元気でいるとは思ってはいたけど、ますます美しくなって」
「オリビエ様も変わらずにお美しいですわ」
もちろん心から思ってのことだが、エルセーは苦笑いを浮かべた。
「年寄りになったでしょう?まぁ、当然よねぇ……あぁ、ごめんなさいね、興奮してしまって。ちゃんとあなたを見せて……」
ウレイアの肩に手を置くと、上から下まで愛でるように確認している。
「本当に…立派になってくれて嬉しいわ」
そしてターゲットはトリーに移った。
「それでっ?貴女がトリーちゃんね?」
「はい、トリーと申します」
トリーが裾を引き上げ可愛らしく挨拶をすると、
「まぁまぁ、抱きしめさせて」
「はい、よろしくお願いします。大お姉様」
「大お姉様…?」
エルセーが目を丸くした。
「はい、お姉様のお姉様は大お姉様ですから」
なるほど!それなら名前を間違えることも無いだろうが、ウレイアがトリーをたしなめようとすると、エルセーがそれを遮ぎった。
「トリー、あなた……」
「いいじゃないの、いいじゃないのっ。お姉様なんて気恥ずかしいけど気に入ったわよ」
エルセーはトリーをくしゃくしゃにするほど抱きしめた。
「まぁ、まあ…ちょっと落ち着いて、お茶をいただきましょう」
あらかじめテーブルには3人分のティーセットが用意されていた。揃ってテーブルにつくとリードが完璧なタイミングで淹れたての紅茶を持ってくる。
「これはっ…!」
ウレイアがティーカップを鼻に近づけると驚いた。そしてトリーはひと口お茶をふくむと感嘆の声を上げた。
「すごいっ、美味しいです!」
エルセーはそんな2人を見て嬉しそうに微笑む。
「気に入った?ウチでは手に入る中でも一番良い茶葉を使わせているの。レイは紅茶が好きだったものねえ?」
「いえ、エルセーには負けますが…私には何よりのご馳走です」
「そう…良かったっ」
最近では少しは手頃になったものの、紅茶は高価な趣向品で、ただ『お茶』と言えば、何らかのハーブティーであることが多い。
ウレイアも紅茶を好んで口にするが、これほどの茶葉は国が管理するレベルのもので、王族やそれに近しい立場にいる者しか口にできない最高級の紅茶だった。
それは交易を生業にするマリエスタだから手に入るものに違いない。
「2人ともお食事は?それとも旅の汚れを落としたいかしら?」
「そうですね、できればお風呂をいただきたいですね」
「そう、では用意させましょう。うちには少し大きな浴場があるから一緒に入ってらっしゃいな」
その言葉にすぐにトリーが興味を示した。
「一緒に?大きな浴場ですかっ??お城みたいですっ!」
「お茶をいただいたらお部屋に案内させるから、まずは汚れを落としてゆっくりとお休みなさい。時間は十分にあるわ」
エルセーとは本当に久しぶりとなる茶会をゆっくりと楽しんだ後、ウレイア達はリードに部屋に案内され、すぐに支度を整えるとそのまま浴場へと案内を頼んだ。
「これはすごいです、お姉様!大きな浴槽にお湯がたっぷりと……っ」
案の定トリーは大はしゃぎにはしゃいでいたが、これ程の屋敷を持てる侯爵とは一体どれほどの資産家なのだろうか?ウレイアの興味を引いたのはネストール・マリエスタの素性だった。
立派な脱衣場が別に仕切られ、至れり尽くせりのサニタリー、何にせよこんな豪勢なお風呂で旅の汚れを落とせるのは有り難いばかりである。
「お…お姉様……ここに高そうな香油が6種類も……何かラベルに同じ人のサインが…………」
素っ裸のままトリーが棚の瓶に釘づけになっている。
「調香師のサインでしょ?何を今更……ウチが使っている香油もオーダーメイドなのよ?まさか商品名だとでも思っていたの?」
「お?ええ、はい…思ってました。だって一本では見比べることが出来ないので……」
「お気に入りが一本有れば十分です」
そう言われるとトリーは持参してきた香油を鷲づかみにしてウレイアに掲げて見せた。
「も、もちろんですっ、これはお姉様が選び抜いた香りっ、その…オリジナルを作らせていたとは知りませんでしたが、ならば尚更これ以上はあり得ません!ですよね?お姉さ…ま……ったら…」
香油の瓶を突き出して仁王立ちしていたトリーはウレイアの一糸まとわぬ姿に気がつくと目が釘づけになる。ガン見である。
「おねえさまったら…相変わらずお美し……」
「はい回れ右……!」
「はっはい!」
「早くお風呂に入りなさい……」
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