第4話

「おはよう歩美、可愛い寝顔だったよ」


 起き抜けに甘い言葉を囁かれるとは思ってもみなかった。しかも囁いたのは不自然に整った顔と体を持つ半裸の青年。【篠原君・改】が正統派イケメンだとすれば、この男性は精密な彫像とも言える芸術的なイケメンだ。


 そもそも誰?

 どうして私の隣りで寝てるわけ?

 ――と、それよりも。


「なぜ普通に私の胸を揉んでるんだ?」

「揉んでないよ、ならしてるんだ。そもそも歩美の胸はトップとアンダーの差が二センチ以下なんだから揉めないだろ?」

「人の胸を勝手に整地するな」

「荒れた大地のように素敵な硬さだったから、つい。ごめんね」


 ディスられてるのか褒められてるのか。それとも誂われているのか。男性の澄んだクリスタルのような瞳からは判別できない。少なくとも私の隣りで寝ているのだから、敵意はないと思いたい。


「で、貴方は誰でしたっけ?」

「まだ寝ぼけてるのかい、歩美は本当に可愛いな」


 褒められたり好意を寄せられたりすることに慣れてないから、そんな台詞は吐かないでほしい。本気になったらどうしてくれるんだ。


「僕はマサヒコ。レンタル彼氏アンドロイドのマサヒコだよ」


 なるほど色々納得した。整った造り物っぽい顔だと思っていたら、本当に造り物だったわけだ。そしてこの世界の私は、そんなのをレンタルした、と。我ながら自分の所業が悲しすぎる。とうとうリアル彼氏を諦めてしまったか。


「今日は正午までの契約だけど、これからどうする?」

「あ、仕事に行くので帰ってください」


 まったりぐったり怠惰に過ごそうと思っていたが、さすがにこのシチュエーションからは遠ざかりたい。今日はいつも通り出勤するとしよう。


 玄関ドアは虹彩認証でクロスバイクも音声内蔵。この辺りは変化なし。街並みも通勤する人の服装も特に変わった様子はない。駐輪場で篠原君と出会うのも同じだが、残念ながら今日の彼は以前のチャラ男に戻っていた。そして会社名は【葛飾シャーマニズム胡瓜】。篠原君いわく、精霊に護られた畑で育てた胡瓜を販売する会社らしい。ニッチな需要に支えられた会社だな。


「先輩は課長の水やりをお願いします」


 ついに薄井課長が植物種になっていた。デスクの上、元気に葉を広げて綿毛を揺らすタンポポ。


「ねえ、雑草が課長ってどうなの?」

「精霊が宿ってるからね」


 …………精霊が宿ってるなら仕方ない。早退しよう。

 有無を言わせず早退して自宅アパートに戻った私は、その日一日惰眠を貪った。



 そして迎えた……もう何度目かも忘れた水曜日の朝。目覚めるとそこは森。私は地面の上に直接寝転がっていた。周囲には散乱した質素な服や安そうな革製の靴、そして粗雑な作りにランクダウンしたリュック。明らかに文明レベルが昨日までと違う。ここに住んでいると表現するより、ここを根城にしていると言ったほうがしっくりくるレベル。この世界の私はどんな生活をしていたんだ?


 ひとまず着替えて会社を目指してみることにする。ゴワゴワの、綿百%的な貫頭衣と編み上げ式の革靴を履き、縫製の甘いリュックを持って根城を後にした。クロスバイクは消えていて、アスファルトの道もない。一応、未舗装の道路は東西に続いていたので、それを頼りに進んでみよう。会社の方角は分かるので、近くに行けば知り合いに会えるかもしれない。


 歩きだして五分もすると森の出口に辿り着いた。前方には畑や民家もチラホラ見え、動いている人も確認できる。原始時代的な世界じゃなくて、もっと言えば人間が私だけじゃなくて良かった。


「おはよう、おはよう、グッモーニーン」


 ちょっと嬉しくなって手当り次第に挨拶をした。


「おう、おはようさん。今日も朝から元気だな」


 私を知っているらしい中年男性を発見。ガタイの良い、ザ・農夫って感じの出で立ち。素朴な笑顔がチャームポイントだ。当然ながら私は彼のことを知らないが、かと言って全く見覚えがないのかと聞かれれば、どこかで見たような記憶もある。


 朧げな、全くもってどうでもいい分類の記憶。それは私を構成する全てと呼んでも過言ではない重要なパーツ。そのひとつひとつが私を私足らしめんとするピース。それが上手くはまらない。


 はまるときが来るとすれば、それが回帰への鍵だろう。


 鍵を失くした記憶はないけれど、置いた場所が思い出せない。


 要は当分このままでも、誰も何も困らないってこと。


 私自身も困らないなら、それはそれで概ね正解。


 でも今日を生きるって、結局そういうことじゃない?




【了】

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非日常なんて、そこいらじゅうに転がっている 悠木 柚 @mokimoki1

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