第4話 能登麗神樹姫


 全身に鈍い痛みを感じながらも目を覚ます。

 朧げな視界に映し出されたのは、ひたすらに真っ白な世界だった……

 それを見た瞬間にアリッサが思ったのは、『あぁ、死んだのか』というシンプルなものだった。だが、それは、すぐに自分の意識があることで否定される。代わりに浮かんでくるのは、ここがどこなのかという疑念である。


 『なぜ、あなたがここに?』


 唐突に誰かに話しかけられる。アリッサは驚きながらも、そちらに振り向いたがそこには誰もいない。正確に言い表すのならば、そこにいたのは白い靄であり、『誰か』ではなかった。


 「あなたは……」

 『あぁ、そう言うことですか。ならばこれを……』


 会話にならない。

 まるで、アリッサの声が届いていない様にすら思える。それ以前に意思疎通ができているのかすらも怪しい。それなのに、その白い靄はアリッサの手を取り、何も言わせず、握り締めた。


 瞬間、アリッサが顔を歪める様な痛みが右手の甲に走り抜けた。

 だが、白い靄を振り払おうにも力が入らず、いつの間にか痛みも和らぎ、白い靄の方からアリッサと距離を取っていた。アリッサは何が起こったのか理解できず、痛みの走った右手の方を慌てて確認する。

 するとそこには、魔方陣のような幾何学模様が赤い線で描かれており、淡く光輝いていた。当然のことながら、擦ろうとも消えない。


 『さぁ、目を覚まして……。あなたは選ばれたのです』

 「————————ちょ、意味が分からないですけど!!」


 アリッサが必死の抵抗をしようと、白い靄を掴もうとするが、その前に視界が唐突に真っ白に染まり、アリッサの意識ごと深い水底に落としていった。



 ◆◆



 再び目を覚ます————————



 体の鈍い痛みはない……

 代わりにアリッサが覚えた違和感は、異様なほどに全身に力が入らないことである。それは、動けないという意味ではなく、今まで自然とできていた全身に魔力を巡らせて人間を越えたような動きができないということだった。

 つまりは、レベルという概念の喪失……


 もしかしたら簡単なことで怪我をするのかもしれないと思い、アリッサはぼやける視界でゆっくりと体を起こす。そしてようやく気付く……ここが、何らかの植物の中であり、そして自分が布一枚すらつけていないという事実に。

 アリッサは大慌てで自分の荷物を確認するが、当然のことながらマジックバッグなどあるわけがなく、絶望に打ちひしがれるしかなかった。


 「ま、まじか……あぁぁああああああ……」


 しかし、嘆いている時間などない。とりあえず、なんとかしてこの植物の檻を脱出しなければという思考の方が先にでる。だからこそ、力の入らない10代の女性の肉体でツタを引っ張ってみるのだが、当然のことながらビクともしない。


 「————————ってあれ?」


 そうして試行錯誤しているうちに気づく。自分の右手の甲が淡い赤色に光輝いており、そこには夢で見たような幾何学模様が刻まれていた。アリッサは不思議に思いつつも、右手の甲を擦ってみるが、やはり消える気配はない。


 「あぁもう!! せめて迷路とかにしろよ!! というかここから出せよ!!」


 悪態をつけながら、アリッサは無駄な抵抗とばかりに、ツタの上で地団駄を踏んでみる。だが、何の変化もない……そう思えた。


 刹那————————



 アリッサの手の甲が唐突に熱く感じられ、慌てて右手を確認することになる。直後、アリッサの視界で理解不能なことが起きた。それは、眩い光が足元で輝いたかと思った瞬間に、弾けたからである。

 そのあまりの光の強さにアリッサは驚き、年相応の悲鳴を出しながら、ツタの足場にバランスを崩して、盛大に尻餅をつくことになった。


 「いたたたた……なにが……」


 やはり、体の調子がおかしいのか、この程度のことで痛みを覚えてしまう。そして、この事実に、いつものようなレベルによる肉体強化の損失が直に感じられ、アリッサは困惑と喪失感で苛まれることとなった。

 だが、それを振り払うように、目の前にはアリッサには理解不能なことが起きていた。


 「僕と契約したのはキミであってるかな」


 綺麗なほど澄み渡る元気な声……。

 アリッサの視界に映り込んだのは、まるで姫のような赤色の羽織を見に纏った少女だった。しかし、十色に着重ねた着物には不自然な点が多数存在した。それは、アリッサの知識とはかけ離れたモノが散見されたからである。

 腰に巻かれた黄色の帯はまだいい。着物の裾があまりにも短く、代わりにショートスカートのような洋風衣装を履いており、その上で、アリッサが愛用しているブーツを履いているとなれば、アリッサが小首をかしげるのは無理ないのだろう。


 「えーっと……だれ? というか、なに?」

 「えぇ……酷いなぁ……キミの記憶にある最もなじみ深いモノに合わせたのに……」

 「いやいや、だったら統一しろよ。なんだその、下半身だけ変えました見たいな衣装は!」


 アリッサがツッコミをいれると、少女は困惑したように全身をくまなくチェックし始める。

 肩から二つのおさげを下げたアリッサと似ている茶髪の少女……丸く、赤黄色に輝く瞳は活力に満ちており、姿かたちは10代前半の少女にしか見えない。


 「ほんとだ……まぁいっか!」

 「楽観的だなぁオイ!」

 「まぁ、そんなことよりアリッサが契約者ってことでいいんだよね!」

 「はぁ? というか、どうして名前を……」

 「そりゃあ、わかるよ。だって僕はキミの半身なんだから……」

 「いや意味わからんし……ってちょっと待て、さっきから全く力が入らないのって……」

 「うん、僕がいるからだね」

 「な、なんじゃそりゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 アリッサは驚きのあまり、咆哮してしまう。だが、それは虚しくツタの檻に反芻し、誰かに届くことはない。


 「そんなに驚かなくても……」

 「いや、返せよ。私のレベルやその他もろもろ」

 「無理だよそんなこと……だいたい、僕がいなければアリッサは死んでいたんだからね!」

 「そんな『救ったんですけど』みたいに言われてもわけわからんし!」

 「ふふんだ! 今の行動権は僕にある。何を言おうと無駄なんだから!」

 「ふざっけんな!! だいたい、あなたが私の力を奪っているんだったら、この状況を何とかしてみろよ!」

 「いいよ、出ればいいんでしょ?」


 あまりにもあっさりとアリッサの命令を受諾し、少女は軽く手を振るい、乱暴にツタの一部を蹴り飛ばした。

 刹那、右足の先から緑色の閃光が迸り、ツタを焼き焦がしていった。それは確かにツタの檻を破壊し、外へつながる道筋を作ったのかもしれない。だがしかし、それを発動すると同時に、アリッサは自分の中の魔力が急速に抜き取られていく感触に思わず歯を食いしばっていた。


 焦るほどの量でこそないが、事実として少女が自分の半身であるという裏付けができてしまった。つまり、魔力が共通で繋がっており、アリッサと少女は一心同体だということになる。

 ここでもし、何らかの手段でアリッサが目の前の少女を消した場合、考えられるのは、『大出血』である。

 それは、血液を噴出させることではない。魔力のパスを閉じないまま、強引に水道管を断ち切った場合に止めどなくアリッサから魔力が放出され続け、アリッサ自身が死んでしまう、ということである。


 「おま……おまぇ……」

 「お前じゃないぞ。僕の名前は能登麗神樹姫ノトウララノヒメ。ちゃんと名前で呼べ」

 「長い……じゃあ、ウララでいい?」

 「別にいいけど……いやむしろ、その方があるじてきにもいい?」

 「まぁ、覚えやすくもある」

 「じゃあそれで……あ、ちなみにアリッサはたぶん、外の世界では姫巫女様って呼ばれるから気を付けてね」

 「まーた、わけのわからないことを……」


 アリッサはため息を吐きながらも、ウララの作り出した風穴を通って外に出ようとする。ウララはそれを一度止め、自分が先行するように手を引いて歩き出した。アリッサよりも頭一つ分小さいその姿はどうにも恨めるような容姿ではないが、アリッサは今の状況にため息を吐かざる負えなかった。


 持ち物を全てなくした現状では、別れたキサラと連絡を取る手段がない。その上で、自分の半身を名乗る謎の少女の存在。

 それに、アリッサとしての能力のほとんどを吸い取られた現状では、命すらも危うくなってくる。今のアリッサならば、背中をナイフで刺された程度で死んでしまうのだろう。


 そんな悲惨な現状に対し、普通の人間ならば、恐怖して塞ぎこむことを行い、何かに縋っていたのだろう。だが、意外にもアリッサはそうはなっていなかった。

 むしろ、この状況を一番に愉しんでいるようにすら思える程、アリッサの表情は不気味なまでに笑っていた。

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