第26話 誰かのブーケ


 “即死”の起源魔術を、アリッサが打ち返した————————


 結論だけ言うのならば容易い。だが、現実問題として、それはあまりにも非常識な出来事であった。アリッサが自身の“ベクトル反射”の魔術を用いてテオドラムの“起源魔術”を打ち返すことなど通常ならばできない。しかし、起源魔術の軌跡を捉えることができる“過負荷”状態であり、それを可能にする武器エツェルと、演算を補助する防具ホライゾンならば、十二分に可能性はあった。


 「なに……が……」

 「流石に、ピッチャー返しとまではいかないか……」

 「跳ね返したというのか、お前は————————」

 「いったい、どんな起源魔術なのかって顔してるね……。残念だけど、直接関与しているのは、ただの魔術だよ」

 「そうか……そうなのか、よほど我を消したいらしいな、“管理者”ァ!!」

 「何をわけのわからないことを————ッ!」


 怒り狂うテオドラムを、倒れているイツキから遠ざけるようにアリッサが最初に動く。隙だらけのテオドラムに横薙ぎに武器を振るうが、これはテオドラムが咄嗟に生み出した魔力剣で防がれてしまう。だが、アリッサのパワースイングはテオドラムの腕力を上回り、体を浮かせて横薙ぎに弾き飛ばすことができた。


 吹き飛ばされたテオドラムはすぐに体勢を立て直してしまうため、アリッサは間髪入れず肉薄し、武器を振るう。二人が、互いの武器をぶつけ合うたびに、その余波だけで城は崩れ、瓦礫が吹き飛び、結界に当たって落ちていく。

 即死攻撃は来ない。何故ならば、テオドラムが意図的にカウンターすら切っているからである。もしも、自動的に攻撃を加えようものならば、先ほどと同じように跳ね返されてしまう恐れがあるが故に、使用できなくなっているのである。

 だからこそ、二人のぶつかり合いは、互いの積み上げてきた研鑽の打ち合いとなる。


 「ムカつくんだよ!! 人が闘っているというのに、真正面からこっちを見ないのは!!」

 「お前は! お前は何なんだ————ッ!!」

 「私は私だ!! “管理者”だかなんだか知らないけど、ちゃんと私を見ろ!!」

 「お前は“管理者”の差し金ではないと————————」

 「だから、さっきからそう言ってるだろ!! 誰がわけのわからない奴の指図なんか受けるか、バーカ!!」


 テオドラムが生み出した無数の漆黒の矢をアリッサは最小限の動きですり抜けていく。そして、カウンターのような攻撃を続け、テオドラムの攻め手を徐々に潰していった。


 “アーツチェインリボルバー”————————


 アリッサが得意とする戦術である。自身を上回る相手に対し、幾千幾万通りのパターンを切り替えながら、徐々に手数を潰して自身に有利な土俵にもっていく。天才ではない凡人のアリッサが扱う非凡な技術。

 それは、何もかもを苦労なく習得してきた天才ほど、深く嵌っていく。



 アリッサが逆袈裟に振るった剣は、体勢の崩れたテオドラムに弾くことができず、鎧を砕き、その胸元を浅く切り裂く。だが、その衝撃のみでテオドラムは結界の端まで吹き飛ばされ、瓦礫の上を一度転がった。


 「あなたがどんな人生を歩んで来たかなんて知らない。興味もない————————。でも、私はあなたを越えていく。リリアナさんに依頼されたからじゃない。神様の啓示を受けたからでもない。自分が負けて、クソ程悔しかったからここにいる」


 テオドラムはチェストプレートを砕かれて意味のなくなった上半身の鎧を脱ぎ捨てる。その胸元からは血液が一時的にあふれていたが、全身の筋肉が唸りを上げると、白い煙を立てながら塞がっていった。


 「ふふふ……フハハハハハハハハハハハハハハハッ!! 久しいぞ! この我と真正面から打ち合おうとする輩は!! リリアナがどんなことをするのかと見守ってみれば、このようなバーサーカーを連れて来るとは!!」

 「見守ってる?」

 「無論————————。敵地に乗り込ませたとき、折角の防護結界を抜け出すようなへまをして一時はどうなることかと思ったが、こうなるとはなッ!!」

 「でも、リリアナさんは……」

 「我はいつでも、リリアナを殺すことができた。でもそうしなかったのは、リリアナが大切な娘だからだ。そのリリアナが初めて反抗期を見せたのだ。真正面から打ち合わずして何が父親かッ!!」

 「意味が分からないんだけど……」

 「構わん! どのみち、貴様との闘いにおいては無駄な感傷よ」


 テオドラムが咆哮し、アリッサに突っ込んでくる。それは、テオドラムが無駄なプライドを捨てたことでもあり、純粋なまでに、闘いを愉しんでいることの裏返しでもあった。

 それを迎え撃つアリッサも、口角を僅かに上げ、自身の全力をぶつけていく。周囲を薙ぎ払いながら繰り広げられるその戦闘は、子供のような喧嘩ながら、邪魔するものを許さないほどに苛烈であった。


 ————————この闘いに善悪などない


 それは、帝国を沈めようとしている内戦も同じことであった。誰かのほんの少しの歯車のズレが引き起こした言動の結果にすぎない。確かに、テオドラムは己が力で民を押さえつけてきた。だが、そこには何か理由があったはずである。何か、帝国を憂う理由があったはずであった。

 王国に進行したのも、何らかの理由があった。しかし、それをアリッサは知りえない。なぜなら、その理由はこの闘いを止める程のものではなく、何の意味もなさないからである。


 しかし、そんな闘いは長く続かない。アリッサは“過負荷”の制限時間に苦しめられ、手数をなくしながらも果敢に責め立てるテオドラムに遅れていく。

 このままいけば、アリッサが先に力尽き、テオドラムが勝利を手にする……そのはずだった。


 「アリッサ————————ッ!!」


 誰かが、アリッサの名を呼び、ほんのわずかなチャンスを作るその時までは—————



 ◆◆◆






 あの時、何もできなかった復讐を成し遂げたかった————————



 本当は、こんなこと無意味であると、イツキは自覚していた。でも、己が感情を抑えられず顔を上げていた。もしも、それができなければ、自分の中の何か大切なものが崩れ落ちてしまう気がしていたから……


 でも、また何もできなかった————————


 アリッサのように、真正面からテオドラムと打ち合うことはできず、最大限の魔術をぶつけても倒すことはおろか、まともなダメージを与えることすらできなかった。その悔しさは、血まみれになりながらも未だに死闘を繰り広げているアリッサを見るたびに、深い悔悟の念として心臓を抉る。


 自分の居場所はどこにあるのか————————

  自分に生きている価値はあるのか————————

   自分はいなくてもいい人間ではないのか————————


 そんな疑念ばかりが頭の中を反芻する。だからこそ、イツキはここで旅を終え、亡き友人の元へと行くためにゆっくりと目を閉じた。




















 「だめですよ————————」


 だれかの優しい声が聞こえてゆっくりと目を開ける。するとそこは、一面に真っ赤な花が咲き乱れるどこか小高い丘の上だった。上を向けば果てしなく続く青空が見え、そして温かい風が頬を撫でた。


 「自分を嫌いになるような選択は、しちゃだめですよ————————」


 誰かがそこに立っていた。それは、今の自分と同じ姿の誰か……

 けれども、イツキは本能的にそれが自分ではないと認識する。それほどまでに、根本的な何かが違っていた。


 「あなたは……いったい……」

 「私は……難しいですね。あなたではあるのだけれども、私自身でもある」

 「もしかして、あなたは……」


 イツキが何かを言いかけたところで、目の前の女性は……フローラは優し気な笑みを浮かべた。それが全ての答えだった———————

 だからこそ、それを理解した瞬間にイツキは顔に影を落とし、静かに俯いてしまう。


 「そう……なんですね……。時間切れ……ですか……。あなたに、この体を返すその時がやって来ちゃったんですね」

 「後悔をしているんですか?」

 「はい……もっと、もっと……冒険したかったので……。けど、所詮は借り物の体で……ほんのわずかな間だけ見ることができた夢でした……」

 「楽しかったですか?」


 イツキは顔を上げて、短い間、自分の体であったフローラの素顔を直視する。その瞬間に、魔法が解けるように、自分の体は、どこにでもいるありふれた日本人の女子の姿に戻っていた。


 「楽しかった……んですかね……。わかんないです……。辛いことばかりで、正直に言って、酷い旅でした……。でも、レムちゃんがいてくれたおかげでそれもすべて吹き飛ぶぐらいに驚きばかりで……」

 「バカですね、あなたは……」

 「な————————ッ」

 「楽しかったからこそ、後悔しているのでしょう?」

 「それは————————ッ!!」

 「言い訳は醜いだけですよ。今のあなたは、自分を嫌いにならないために、必死に取り繕っていることがバレバレですから」


 イツキは事実を指摘され、思わず奥歯を噛みしめてしまう。復讐も、旅の始まりも、この終わりの場すらも、全ては自己弁護……。それは、否定しようのない事実であった。


 「————————でも、それでいいじゃないですか」

 「————————え!?」

 「自分を嫌いにならないために、必死になることがなぜいけないのですか? まだ消えたくない、もっと冒険をしていたいと思うことの何がいけないのですか?」

 「いや、でも————————ッ!! あたしはただの異物で……それにっ!! あなたの方がいろんな人から慕われてて、帰還を望まれているじゃないですか! だったらッ!!」


 イツキはいつの間にか自分が必死になって吠えていたことを、フローラの静かな瞳で我に返ることでようやく自覚する。


 「もう一度言います。バカですか、あなたは————————」

 「それは……」

 「まだ消えたくないと思うのならば、私を殺してでも戻ればいい。そうすれば、あなたは、まだ生きていられます」

 「ふざけたこと言わないでッ!! あたしはそんなことしたくない! そんなことをすれば、あたしは自分自身が嫌になる!! クソッタレの元の自分に戻ったみたいで……吐き気がする……」

 「だから、消えようというのですか? 自分が消えれば全て解決だと思っているのですか?」

 「わかってるんだったら、わざわざ口にしないでよ……」

 「三度、言います。バカですか、あなたは————————」


 フローラはゆっくりと前に足を進め、ぐしゃぐしゃの顔でいつの間にか泣いているイツキの頬に触れて、その涙を手で拭う。


 「足掻けばいいじゃないですか。辛い思いをしてきたのでしょう? 戻りたくはないのでしょう? だったら、どっちも得られるような選択肢を探せばいいじゃないですか」

 「無理ですよ……そんなの……」

 「どうしてそこで諦めるんですか? それじゃあ、レムさんは何のために顔を上げたのですか?」


 レムナントが最後に見せた背中……それをイツキはフラッシュバックのように思い起こされる。あの時、記憶の混濁と、恐怖で動くことができなかった。結果、レムナントはイツキを逃がすために、そのバケモノに立ち向かって死んだ……。


 「あたしは……その期待に応えられない……」

 「あの子が命を賭したのは他でもなく、あなたのためだと、あなたはわかっているでしょうに」

 「だからこそ……重すぎるよ……」

 「生きることから逃げている自分を、あなたは好きになれるのですか?」


 イツキは、フローラの言葉で気づかされ、顔を大きく上げる。そこには、静かな笑みで微笑んでいるフローラが立っており、彼女の手に触れると、冷え切った自分の体が芯から温まるような気さえした。


 「好きに……なれますかね……自分のことを……生き続けて……」

 「わかりません。でも、やってみないことには、答えは出ないと思います」

 「生き続けて……あたしに、居場所がありますかね……」

 「それは大丈夫です。アリッサはきっと、あなたのことも私のことも受け入れてくれます。そういう人ですから」

 「あたしはまだ……ここにいていいですか……」

 「————————当然です。一緒に、生き続けて……あなたの親友が羨むぐらいの冒険をしてやりましょう」


 フローラは軽くイツキの頭を撫で、そして自らの体温を伝えるように、額どうしを重ね合わせる。その瞬間、何もかもが解けるように、そして咲き誇る花全てが祝福するように風で舞い上がる。

 まるでそれは、花嫁が両手いっぱいのブーケを空へと放るようであり、夜露で濡れた花びらに乱反射した光の眩しさ共に、甘く優しい香りが周囲を包み込んだ————————



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