第23話 譲り受けたもの


 地獄を見た————————



 それは、目の前で、自らの母親を殺された瞬間の出来事……。きっかけは些細な痴話げんか……。しかし、皇太后がその先で皇帝テオドラムにとって不利益となることを望んだため、自らの母親は呆気なく動かない死体と化した。


 怪我一つなく、綺麗な死体……。それを見て、コンラードは困惑した。だが、今となってみれば、ここで復讐を望んだ瞬間に、コンラードも死んでいたのだろう。だからこそ、この“困惑”はある意味で言えば、コンラードの命を救ったことになる。

 現に、父に怒りを覚えた2番目の妹は、母親に覆いかぶさるように死に絶え、慌てて駆け付けた皇太后の使用人たちの一部も同じ結果となった。リリアナに関しては、このときはまだ父親に心酔していたが故に、難を逃れる形となる。



 ほどなくして、状況を飲み込めるようになってから、コンラードは一度死にかけることになる。だが、話を聞いていた一人の護衛騎士がすぐさま、コンラードの頬を殴りつけて自らに怒りを向けさせたが故に、難を逃れた。

 そこから先は、怒涛のような出来事ばかりだった————————



 魔術で自らの意思が外に漏れない結界を作り、改めて腰を落ち着かせたコンラードは当時の帝国4騎士の一人にとある提案を受ける。それは、コンラードに一種の催眠魔術をかけることであった。内容はとてもシンプルであり、『皇帝テオドラムへの敵意や復讐心を全て、民衆を豊かにすることへの意欲に変換する』というものであった。

 当時に帝国4騎士の一人は、『国の繁栄』を望んでいたが、コンラードが『それでは国を捨て札にできないから』と断ったため、このような形に落ち着くことになる。


 この催眠魔術により、コンラードは表向き、皇帝テオドラムの指示の元、政治の一端を担う歯車に成り代わった。すべては民衆のため……それすなわち国のため……結果的に、皇帝テオドラムの利益となることしか行わなくなったため、命の危機はなくなった。



 コンラード・エルドライヒは酷く壊れた復讐者である————————



 それが、これらの記憶を死の間際に彼から押し付けられたリリアナの感想である。すべては民衆のため……国を変えることは皇帝テオドラムにとって利益となると信じてリリアナの指揮する新生エルドライヒ合衆国軍に情報を流し続けた。


 知らなければ、悪意はない————————

  敵意がなければ、悪意は生まれない————————

   そこには、純粋に民を思う正義感しか存在しない————————


 だがそれは、時にどんな悪意も凌駕し、酷く歪な邪悪の化身に変貌する。本人にはその自覚はなく、つい数刻前までは、道化師のように舞台で踊り続けた。

 全ては、あの日、あの時、自らの妹と母親を殺した父への復讐の為に————————



 そんな長年の間、歪に溜まり続けた感情を押し付けられたリリアナが、耐え切れずに倒れてしまうのは無理もないことであった。しかし、リリアナもこんなところでは終わらない。なぜなら彼女も、コンラードに負けず劣らず、歪なまでに純粋な願いをその身に秘めているのだから……

 それは、とてもシンプルであり、誰もが持つ当たり前の感情————————



 ◆◆




 ヴァゼルは、リリアナと既に死に絶えたコンラードを塵一つ残さず消し去るために、両の拳を突き合わせる。だが、その瞬間、ヴァゼルの目の前で奇妙なことが起こった。それは、エネルギーを両こぶしの間に凝縮させた途端に、狙いを定めていたはずのリリアナだけが突然消えたのである。当然、ヴァゼルは慌てて、どこに消えたのかと首を振りながら状況を確認した。


 次の瞬間、ヴァゼルの体は勢いよく後方に弾き飛ばされた————————


 背の高い家屋をいくつもなぎ倒し、瓦礫に埋もれてようやく、ヴァゼルは自らの胸元に、皮膚が焼けただれる様な火傷をしていることを自覚した。それは動くたびに皮膚が引きつられ、激痛が走り抜ける。しかし、この程度でヴァゼルが止まるわけもなく、瓦礫を己が筋肉で蹴り飛ばすと、勢いよく脱出し、再び大地に足をつけた。


 ヴァゼル自身は何が起きたのかを完全にできていない。

 消えたリリアナを探そうとしたその瞬間に、拳の間に込めていた自らのエネルギーが暴発してこちらに向かってきたことだけはわかったが、どうしてそうなったのかまではわからなかった。だが、原因を作った人物ならばすぐに分かった。


 それは、顔についた鼻血を服の裾で拭い、トネリコの杖を握り締めながら、こちらをマゼンダの隻眼で睨んでいるリリアナであった。その瞳の輝きは、揺らめく炎のようであり、見ていると戦慄してしまうほどの怒りや憎しみが肌でひりつくように感じられ、思わず生唾を飲み干してしまほどであった。


 「敵の攻撃を真正面から受け止めないとは、根性の欠片もない奴め!! 腐った性根は死ななければ治らないか!!」

 「黙りなさい、ヴァゼル・エルトマン卿。その口を閉じなければ、わたくしは卿を殺してしまいます」

 「やってみればいい!! 根性の欠片もないお前には無理だろうがな!!」

 「“生きること”に対して必死に足掻くことが罪だと卿は語りますか……。ならば、死ぬまで理解できないのでしょうね」

 「死ぬことを怖がっている人間など“漢”ではない。恥をし————————」


 ヴァゼルには、リリアナの瞳が放つマゼンダの一筋の光が波打つような細い線を描いたことまでは確認できた。だが、気づいたときには目の前に自分よりもずっと劣るはずのリリアナが立っており、魔術の詠唱を終えていた。

 ヴァゼルは咄嗟に腕をクロスさせて防御に回る。しかし、その上からヴァゼルの巨体を弾き飛ばすように、リリアナの振り回したトネリコの杖を魔術で加速させた攻撃が炸裂し、ヴァゼルの体は再び後方に弾き飛ばされることになる。

 地面を何度も転がり、痺れるような腕を見て、自らの腕に青あざが作られてなお、ヴァゼルは目の前で起こった出来事が理解できていなかった。


 「な、なぜ……お前のレベルは精々30程度……オレの体に————————」

 「それは単なる勘違いですよ」

 「まさか、オレを倒すために血のにじむような努力を……」

 「暑苦しいですわね……。まぁ、大きく外れていますが————————」

 「そうか、コンラードだな。アイツが、一時的にお前に強化魔術を……」

 「—————30点……お兄様である部分は当たっていますが、それ以外は、理解できていないようですわね」


 リリアナはトネリコの杖を振るい、火属性魔術で一本の炎の槍を生み出し射出する。ヴァゼルはそれを迎撃するために、自らの拳を叩きつけようとした。だが、炎の槍は途中で黒炎となったかと思うと、急激に加速し、ヴァゼルの右腕の骨を容易に砕き、軌道を変えて虚空に吹き飛んでいった。その威力を見て、ヴァゼルは右腕の骨で済んだことに安心するほかなかった。


 「あなたはお兄様の能力を……起源魔術を根本的に勘違いしています」

 「アイツの起源魔術は、洗脳だろう。そうやって何人もの奴隷を作ってきた————————」

 「いいえ、違いますわ。お兄様の起源魔術は結果的にそうなってしまっているだけの産物……。その本質は……“譲渡”————————ッ!!」


 リリアナがトネリコの杖振り上げる。すると、空中にいくつもの炎の槍が生み出され、振り下ろすと同時に、断続的にヴァゼルに射出されていった。ヴァゼルはバックステップを踏みながら、それらを回避していくが、最後の一つだけ回避できず、脇腹を浅く切り裂かれてしまう。その傷は“切れた”というよりは“侵蝕”に近く、出血が最小限である代わりに、傷口が腐敗するように壊死していった。


 「お兄様は……他人に自身のレベルを譲り渡すことができる……けれど、その代償として、お兄様自身の記憶やそこに付随する感情を押し付けてしまう……。この意味を卿は理解できますでしょうか」

 「くだらないことを……その程度で人の感情を操ることなどできはしない!!」

 「やっぱり……卿はお兄様のことを何一つ知らないのですね」

 「知ってどうする。事実として、アイツは今の今まで帝国にその身を捧げ、最後には我が身可愛さに帝国を裏切った“漢”の風上にも置けない人間ではないか!!」


 ヴァゼルが地面を蹴り飛ばし、リリアナの頭を殴りつけるために拳を振り下ろす。しかし、リリアナはこれを左腕の義手で強引に軌道を変え、直撃をどうにか避ける。その拳の風圧は、足腰に力を入れていたリリアナの体を容易に弾き飛ばし、空中へと放り投げる。だが、リリアナは空中で身を翻すと同時に、トネリコの杖を右腕と、壊れかけた左腕の義手で強く握り直し、再び怒りを露わにした。


 「お前にお兄様の何が分かる!! お父様を十年以上も前から恨み続けたお兄様を知らないくせに!!」

 「戯言を———————。そのような人物であれば、陛下に殺されている。あり得るはずがない」

 「————————だから!! そうならないために、お兄様は自分に呪いをかけた。えぇ……本当にすごいお方でした……。お兄様が王になったのならば、このようなことにはならなかったのでしょうね……」

 「この期に及んで、陛下を侮辱とは……恥を知れ!!」

 「恥を知るのはあなたの方です!! あなたのような短慮な人が帝国で4騎士を名乗るとは片腹痛い!!」


 リリアナが杖を前に構えると、先ほどと同じように炎の槍が正確無比に射出され、ヴァゼルへと迫った。ヴァゼルは即座に腕を交差させて、直撃を防御するが、それでも、2メートルを超える巨体を持つヴァゼルの体ですら、易々と弾き飛ばすほどの衝撃が駆け抜けた。

 弾き飛ばされたヴァゼルは再び、瓦礫へと叩きつけられ、それを追いかけるようにしてリリアナは積み重なった瓦礫の上に飛び乗った。


 「もはや、卿の反論は聞くに堪えません。その性根を叩き直して差し上げます……。我が名は新生エルドライヒ合衆国代表、リリアナ・エルドライヒ。卿に改めて決闘を申し込みます。この身にかけて、今こそ、帝国の不浄を焼き払わせていただきます!!」

 「弱々しい体で何を吠える……いや待て、あの男の起源魔術が本当に譲渡だとして、お前は何故、平気でいられる……。お前の話が本当であるのならば、他人を支配する程の強すぎる復讐心……何故それに支配されない!!」

 「その程度を飲み干せないものは、王たる器に非ず————————ッ!!」


 リリアナは瓦礫を蹴り上げ、ヴァゼルの元へと飛び込んでいく。そして、トネリコの杖に強化魔術を付与し、ヴァゼルと真正面から打ち合い始める。しかし、火属性魔術で推進力を生みだし、加速した杖だとしても、ヴァゼルの体には青あざを作る程度の威力にしかならない。それでも、有利な条件を捨てて近接戦を挑んだ理由がリリアナにはあった。


 「自らが仕える王に疑念を持ったのならば、それを明らかにする! そしてそれが間違いだというのならば、誰より先にそれを正し導く! 王が間違いを認められないというのであれば、己が命を賭して、これと闘う!」


 ヴァゼルの回し蹴りを、リリアナは体を逸らしながら強引に回避し、元の体勢に戻る反動を利用して隙を見せたヴァゼルの胸元に杖を振り下ろした。その計算しつくされた動きに回避が間に合わず、ヴァゼルは数メートル程弾き飛ばされ、地面に小さな轍を作った。だが、やはり、動くことに支障はないらしく、大したダメージにはなっていない。


 「————————それが……帝国が積み上げてきた騎士道ではなかったのですか……」


 コンラードに譲渡され、レベルが50程上昇しているリリアナではあるが、それでもヴァゼルにはまだ届かない。肉体も、辛うじて近接戦についていけている程度のものであり、戦う姿はあまりにも不格好過ぎた。それでも、ヴァゼルにはその一撃一撃は見た目以上に重く感じられていた。

 だからこそ、苦虫をかみつぶしたような表情を見せ、凛としているリリアナを打ち負かすためにもう一度前へと踏み出す。


 「騎士道とは“漢”の象徴だ! 誰よりも前に立ち、卑怯なことなどせず、命燃え尽きるその時まで、戦い続ける勇ましき姿を現したもの。そこに他人など関係ない!」


 ヴァゼルの猛攻を杖で打ち払いつつ、リリアナは一歩も退くことなく、歯を食いしばり、咆哮する。そして、武器を振るい、真正面から逃げることなくヴァゼルと打ち合い続ける。強化魔術の付与された自身の肉体が悲鳴を上げようとも、リリアナは決して退くことをしない。逃げたところで、生き残る道がないと理解しているが故に……


 「ならばあなたは、一体誰を護っているのですか!! 誰かの前に立ち、護るその姿が騎士道だと考えるのならば、あなたが行った虐殺は正しいと、胸を張って言うことができますか!!」

 「それは、陛下が決断されたことだ! 個人の感情を優先することは騎士道に非ず!」

 「ならば今、あなたが拳を振るう理由は、個人の感情ではないと? いいえ、あなたは自身の都合のいい部分だけを『他人の決断である』と蓋をして、自分をかっこよく見せたいだけです。それは、あなたが言う騎士道とも、わたくしが語る騎士道ともかけ離れています!!」

 「理想を叶えるのならば、その程度の振る舞いは————————」

 「理想を語るのであれば、何故! 一人でも多くの命を救える道を選ぼうとしなかったのですか!! それが、どんなに夢物語だとしても、歯を食いしばり、立ち向かうその姿に憧れたからこそ、騎士となったのではないのですか!! その姿が、あなたが語る“漢”の姿ではないのですか!!」


 リリアナの気迫に押され、狙いの甘くなったヴァゼルの伸びきった拳をリリアナは左腕の義手の甲で勢いよく弾き飛ばす。その瞬間、ひびが入っていた義手は内部から弾け飛び、粉々に砕け散る。だが、そのおかげで、ヴァゼルに体を逸らさせるような大きな隙を作らせた。


 「その原点を忘れ、己が感情のままに戦い続ける。そんな情けない姿である自身の姿を、あなたは————————騎士として、己を誇れる“漢”だと言えますかッ!!」


 当然のことながら、リリアナがその隙を逃すことなく、超至近距離でヴァゼルの空いた胸元にトネリコの杖の杖先を向けた。

 刹那の時を経て、赤色の魔方陣が光り輝き、ヴァゼルの胸元を穿つように炎の槍が撃ち出され、ヴァゼルは後方に大きく跳ね飛ばされることになる。衝撃波が荒波のように周囲に走り抜け、ヴァゼルがぶつかった建造物は瓦礫をさらに粉砕され、土煙を舞い上げる。



 だが、この瞬間、リリアナの魔力は底を尽き、膝から崩れ落ち、うつ伏せに倒れ伏す。もはや片腕の力で立ち上がることもできず、土煙の先にいるヴァゼルに魔術を放つこともできはしない。

 反対に、ヴァゼルは、舞い上がった土煙を振り払うように拳を振るい、一気に瓦礫もろともに弾き飛ばして立ち上がった。胸元は浅く穿たれて黒く壊死しているが、ヴァゼルの肉体はこの程度で止まることはなかった。


 勝敗は完全に決した————————



 ヴァゼルは、倒れ伏しているリリアナにゆっくりと近づき、見下すように睨みつける。そんなヴァゼルを見て、リリアナは静かに不敵な笑みを浮かべる。もはや立ち向かう余力など在りはしないにも関わらず……。だが、最後には自身の死を受け入れ、静かに目を閉じた。



 痛みはない————————


 むしろ、自身の体が誰かに抱き上げられたかのように宙へと浮いた感覚があった。だがそれはほんの数秒の間のことだけであり、リリアナが再び目を開けたその時には、いつの間にか瓦礫の椅子に腰かけている自分がいた。

 そして目の前には、膝を折り、こちらに首を垂れているヴァゼルがいる。次の瞬間、当然のことながらリリアナは何が起きたのかという混乱に見舞われるが、その混乱を振り払うように、いつになく静かな声でヴァゼルが語りだす。


 「我が王よ————————。我が御心は全てあなた様に捧げます————————」

 「————————へ!?」

 「あなたの魔術を受け、オレは目を覚ましました。願わくば、あなたが目指す理想の末席に不肖の我が身を加えていただけないでしょうか」

 「いやいやいや、急にどうしたのですか————————ッ!!」

 「オレはあなた様に、皇帝テオドラムには見えなかった強い輝きを見たのです。そしてそれが、オレが目指す騎士道に沿ったものであった……。ならば、首を垂れるのは当然のことでありましょう」

 「そ、そうですかぁ……な、ならば、卿の力は、新たな国となったその時、存分に使わせていただきますわ」

 「御心のままに————————」


 リリアナはヴァゼルの急激な変わりように困惑しつつも、生き残ったことに安堵の息を漏らす。未だに戦闘音は鳴りやまないが、自身の役目を終えたリリアナは結界に覆われた帝城を見上げて、仲間の勝利を祈る。戦争そのものの勝敗はまだつかない。何故ならば、全てをたった一人で覆せる男こそ、皇帝テオドラムという化け物だからである。


 故に、勝利の命運は皇帝テオドラムと相対した二人に託されていた————————


 

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