第12話 退路を開く


 自身の頭よりも大きな拳が眼前に迫り、リリアナは自身の死を覚悟した。しかし、いつまで経ってもその衝撃は訪れなかった。それを不審に思い、ゆっくりとまぶたを開くと、そこには、どこかに消えて逃げてしまったと思っていたアヤメがいた。

 アヤメは自身の腕の中にリリアナを抱え、ヴァゼルから距離を取り、向こうの出方を伺っている。そんなヴァゼルは突き出した拳を未だに引っ込めないまま、こちらを冷ややかな目で睨んでいた。


 「皇女殿下……これ以上は危険です。交渉決裂と判断いたしました」

 「いいえ、まだですわ。それならば、第二プランに移行するまでです」

 「第二プラン……とは?」

 「あの頑固者が扉の前から移動すれば勝ち……ならば、いくらでもやりようがあると言うものですわ」


 リリアナはアヤメの腕の中からゆっくりと体を起こし、杖を支えにしてもう一度ヴァゼルの前に立つ。そして、不敵な笑みを浮かべながら軽くジャンプし、足の回復具合を確かめ始める。


 「片腕片目で何をするというんだ、偽物の根性なし!」

 「えぇ全く……卿と正面から勝負しても埒が明かないと判断いたしました」

 「不要な殺生は好まない。お前がここから立ち去るというのであれば追いはしない」

 「『立ち去る』とは、これまた異なことを……」


 リリアナは歩行の支えにしていたステッキを軽く振り、そしてそれをまるで魔術杖のように振り、詠唱を開始した。

 皇族として育てられたリリアナは当然のことながら多少なりの護身術や魔術を嗜んでいる。しかしそれはやはり、あくまでも自衛用であり、ブリューナス王家のように戦闘に特化したものではない。だからこそ、ヴァゼルと正面衝突しようものなら、敗北は必須であり、彼女の死が決定する。

 しかし、今回の勝利条件はヴァゼルを倒すことではない。ヴァゼルをこの場所から移動させることなのである。


 「何をしようとも、すぐにお前の首を跳ね飛ばせば済むこと……」

 「アヤメさん……次に敵が動いても、一度目は無視をしてください」

 「御意————————」


 リリアナの周囲にいくつもの赤色の帯状の魔方陣が展開されていく。それはやがては球状をなし、そして、少しずつ肥大化していく。リリアナは自身の魔力が吸い取られ、底を尽きかけることに歯をくいしばって耐えながら魔術を完成させた。


 「させるかぁぁぁ!!!」


 なにか嫌な予感がしたヴァゼルは、焦りにも似た感情に苛まれながら地面を蹴り上げる。その瞬間、ヴァゼルの肉体は爆発的な加速を伴い、リリアナとの距離を一気に詰めていく。そして拳を振りかぶり、リリアナの顔面を吹き飛ばすために殺意の籠った正拳突きを打ち放った。


 「この瞬間を待っていましたわ———ッ!!」


 リリアナが笑う。眼帯のある瞳で土に汚れながら笑みを浮かべたその姿はさながら悪女のようであり、今までの淑やかさはウソのように消えていた。


 ヴァゼルの拳がリリアナの顔面を捉える。

 しかし、それはリリアナを取り囲む赤色の帯状の魔方陣に触れた瞬間に、急停止し同時に魔方陣すべてが異常なまでの輝きを見せた。


 「オレの拳を……止めた……だと……」

 「フフフ……どうにも、わたくしだけの魔力では壁を破壊することは叶わないようなのですよ……。ですから……卿のエネルギー全て……お借りいたしますわ」


 リリアナは首を傾げながら悪戯っぽく、もう一度笑った。すると、その直後に、リリアナを取り囲んでいた帯状の魔方陣は全て解け、そして地面を這うように四方八方に拡散していく。

 ヴァゼルが気付いて周囲を確認したときにはもう遅い……。既に帯状の魔方陣はヴァゼルが対処をあぐねる程に拡散していた。


 「『リニアエクスプロージョン』————————」


 リリアナが静かに最後の合図をとばす。するとその瞬間、まるで導火線に火をつけたかのように帯状の魔方陣が、リリアナを始点にして一気に消えていき、その直後、街の外周部のあちこちで断続的な爆発が起きた。


 それを確認すると、リリアナは満足げな表情を浮かべ、そして倒れ込むようにアヤメの腕の中へと戻っていった。


 「お前は……いったい何を……」

 「簡単なことですわ……。あなたはそこを守り続けるのならば、『他に出口を作ってしまえばいい』————————」

 「まさか……そのために……」

 「えぇ……地形把握に少々手間取りましたが、卿のおかげで、全てつつがなく」


 ヴァゼルの表情が怒りへと変化する。それは当然、リリアナに向けられたものであり、それを察知したアヤメは、即座にリリアナを抱えて後方へ飛びのいていた。

 直後、地揺れのような衝撃が駆け抜け、先ほどまでリリアナがいた位置に大きなクレーターが出来上がる。それはヴァゼルがリリアナに向けて振り下ろした拳であり、直撃していれば死に至らしめることはすぐにでも分かった。

 その証拠に、衝撃波だけでリリアナの耳が数秒間、くぐもったように聞こえ、耳と鼻から粘性の赤い粘性の液体があふれていた。それは受け身を取るように着地したアヤメも同様であり、彼女は着地すると同時に、息を切らせるように荒い呼吸をした後、口元から詰まった赤黒い淡を吐き出していた。


 現状で、ヴァゼルに追い回されれば、どちらの身も危険である。特に、魔力を使い果たしたリリアナはそれが顕著であり、リリアナたちが撤退を選択することは必然であった。



 しかし、ヴァゼルはリリアナたちを逃がすつもりはなかった。何故ならば、自身が虚仮にされたことで頭に血が昇っていたからである。

 リリアナは最初からこちらと対話するつもりはなかった。執拗にステッキを地面につけるその動作は、周囲の地形を把握するための魔術探知。そして会話を重ねたのは、そのための時間稼ぎであり、最後にヴァゼル自身が攻撃することまで見込んでのエネルギー吸収。自身よりも脆弱だと思っていた存在に、ここまでしてやられたとなれば、ヴァゼルのプライドが許すはずもなかった。


 だからこそ、己の持ち場を離れ、逃走しようとしているリリアナたちに飛び掛かるように襲い掛かった。しかし、その体は横からの衝撃で意図もたやすく弾き飛ばされ、建物を破壊しながら突っ込み、一時的に封殺する。土煙の中で叫ぶような声が聞こえるため、まだ終わってはいない。


 リリアナたちはヴァゼルを横から弾き飛ばした人物をしゃがんだ体勢から見上げるように見る。それはセミロングの黒髪と黒く丸い目、黄色味を帯びた肌と平凡な顔立ちを持つ軽装鎧姿の女性。その右手には彼女の体を覆い隠すほどの大盾が握られており、その武器でヴァゼルを弾き飛ばしたことは見て取れた。


 「ご無事ですか。皇女殿下……」


 少したどたどしい共通エルドラ語……。流暢に話すキサラやアヤメと比べると、あまり慣れていないことが目に見えてわかった。しかし、聞き取れないほどではないため、気にはならない。


 「あなたは……味方?」

 「ご挨拶が遅れました。私はガリツィア伯爵様の身辺警護を受けていたカスミと申します。皇女殿下はそこの忍者の女性と共にお逃げください」

 「あなたはどうするのですか?」

 「帝国4騎士となれば、倒すことは叶いませんが、遅滞戦闘を続けます。私はこの街に恩がある故、逃げるわけにはいかないのです」

 「わかりました……ご武運を——————」


 リリアナはアイコンタクトでアヤメに指示をとばし、この場から離脱を開始する。できるだけ遠くに……自身の開けた複数の壁の穴から逃げるように……そして、雑踏という闇に消えるように静かに……

 それを見送ったカスミは静かに、土煙が未だに立つ建物を凝視する。やがて泥のヴェールが取れ始めると、そこには傷一つ負っていないヴァゼルが、先ほどよりもさらに、顔に青筋を走らせて立っていた。


 「リリアナ……覚えたぞ……」

 「彼女は追いかけさせません。そして、これ以上————————」


 カスミが何かを言い終えるよりも早く、ヴァゼルは拳をカスミに振り下ろしていた。それを真正面から大盾で受け止めたカスミは踏ん張ることができずに弾き飛ばされ、いくつもの建造物を破壊しながら転がり、そしてようやく停止する。

 二人の実力差はやはり圧倒的であり、勝敗は既に決していた。それでもカスミは大盾を支えにしてもう一度立ち上がり、向かってくるヴァゼルに備え、血まみれの口元を拭う。


 彼女は逃げない……


 なぜならば、この街に恩がある上に、目指すべき存在がいるからである。それは、どうしようもなく荒んだこの街を救った二人の女性……。その行いに憧れ、そして、弱い自分を打ち払うようにカスミは立ち上がった。だからこそ、例え敵わない相手であろうとも逃げない……。


 この街でたった一人だけ生き残ってしまった最後の“コウコウセイ”は不敵な笑みを浮かべ、ヴァゼルに向かって一歩、前へと踏み出した。


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