第5話 撤退しない理由



 杖のつく小気味よい音と共に誰かが遅れて部屋へと入ってくる。それは深い赤色であるカージナルレッドの柔らかく腰まで伸びた長い髪を持つ女性。しかし、星のように煌めくマゼンタの丸い瞳の片方には黒い眼帯がつけられ、見る影もない。そして、わずかに幼さが残る顔つきは既になく、笑みを浮かべれば、吸い込まれてしまうような芯の強さを感じられる気高い顔つきがそこにあった。杖を持つ彼女の上腕部から先の左腕には温もりがなく、今はネジを調節して掴むことしかできない木製の義手が取り付けられていた。

 その女性……第一皇女リリアナ・エルドライヒは、義手で持っている杖で数回、床を軽く叩き、アリッサの疑問に答えるように微笑む。


 「————————こういうことですよ」

 「リリアナ……さん?」

 「————————はい。どうにか、命だけは助かったようです」

 「すみません……私が護り切れずに……」

 「あ、あたしも! ごめんなさい、あの時は気が動転して……」

 「もう過ぎたことです……。しかし、罪の意識を感じるというのならば、追加の依頼……この国の革命を手伝っていただけないかしら?」


 部屋の空気が一瞬のうちに静寂に包まれる。何故ならば、リリアナが『革命をする』ということは、当初の対話による説得を半ば放棄したということに等しいからである。

 『皇帝テオドラムは、話の通じる相手ではない』ということは既にアリッサたちも身をもって実感した。あらゆることに興味を示さず、気に入らない相手が何かを言おうものなら、すぐに殺して黙らせる。だから、リリアナが彼の前に立って対話を試みたところで結果は同じ……

 だからこそ、リリアナの一言は衝撃的であり、そして、同時にアリッサたちに拒否権がないことを如実に示していた。


 「成る程……リリアナさん……あなた……」

 「アリッサさん……あなたならば是非協力していただけると信じておりますわ」

 「この状況を意図的に作り出した……わけではないですよね」

 「まさかそんな……死にかけたんですよ?」

 「ちょ、アリッサさん! どうして彼女を————————」

 「アリッサ……どのみち、リリアナ殿下と我々の目的は同じ……仕組まれたものであろうとなかろうと、やることに違いはありません」


 アリッサはキサラの言葉を聞き、ようやく溜飲を下げ、深いため息を吐いた。アリッサとしてもキサラの言い分は理解できるし、裏切られたから怒り狂うような人間でもない。だからこそ、アリッサは笑みの消えた顔立ちに戻し、静かにリリアナに歩み寄ると、右手を差し出した。

 リリアナもその右手を手に取り、アリッサに向けて妖艶な笑みを浮かべて笑いかけた。


 「交渉成立ですね。アリッサさん……」

 「いいよ……やってあげる……。イツキの依頼のついでにね」

 「えぇ……“厄災”と名高いあなたが、お父様を討ち取ってくだされば、こちらはそれで構いません。もちろん、それまでの間はこちらの手伝いをしていただきますが……」

 「一つだけ、条件がある」

 「なんですか?」

 「こちらが、必要ないと判断した行為は拒否させてもらう」

 「えぇ、それで構いません。あなた方をバックで操っている方にもそうお伝えください」

 「伝えておく」


 アリッサは握手する手を放し、数歩下がってイツキの隣に並ぶ。対し、リリアナは少し疲れたような顔立ちをしてキサラの方を見る。すると、キサラは近くにあったイスを持ってきて、リリアナの傍に置いた。

 そして、リリアナがその椅子に腰かけると同時に、再び口火が開かれる。


 「それで……まずはどうするの?」

 「そうですねぇ……。まずは、わたくしと一緒に、各貴族との密会に付き添っていただきます」

 「仲間を増やすんだね。でも、当てはあるの?」

 「えぇ、二日後……南部にあるガリツィア伯爵の元で小規模なダンスパーティが開かれる予定です。そこには、地方貴族の中でもそれなりの武力を有する貴族たちが集まります」

 「ガリツィア伯爵……って、あの……なんだっけ? “アビスホール”だっけ? その近くにある?」


 イツキは頭を捻りながら異様な単語を口にする。すると、リリアナは感心したようにイツキに相槌を打ち、杖を軽く床に叩いた。


 「よくご存じで———————。星の大空洞と呼ばれるモンスターの巣窟を有するガリツィア伯爵はさながら魔獣番です。必然的に、その周囲の領主たちも武力に特化していく……だからこそ、今回の件には必要なわけなんですよ」

 「へぇ……『モンスターの巣窟』かぁ……」

 「アリッサ……なにか良からぬことを考えてはいませんか?」

 「べつにぃ……なにも考えていませんよーっだ」


 明らかに悪だくみをしている顔をしているアリッサに、キサラは顔を引きつらせながら笑いつつ、リリアナの方へアイコンタクトで続きを促した。


 「お話を続けますね。正直にいって、交渉は難航すると思われます。しかし、最低でもガリツィア伯爵だけでも、仲間にしなければ、帝都を包囲することは難しくなってしまう」

 「あのさぁ……さっきからリリアナさん……可能性の話だけをしてて、やることをぼかしている感じがするんだけど気のせい?」

 「はて……そのように聞こえましたか?」

 「だからさ……簡単に言うならさ……『交渉が難しい』とか、今議題に出す情報じゃないってこと……。この場はシンプルに、リリアナさんがどの貴族を仲間にしたいのか、述べてくれた方がこっちは動きやすい」

 「全くもってその通りですね。『石橋を叩いて渡っている』時間はありません」

 「まぁ、確かにそうだよね。あたしもそこまで待ってられない」

 「『石橋を』? え? ごめんなさい、意味がわからないのですが……」


 イツキとキサラはリリアナが困惑している姿に首をかしげてしまうが、アリッサだけは何かに納得したように、ため息を吐き、イツキとキサラを交互に見て、もう一度補足した。


 「慎重になりすぎるのは良くないってこと。こっちが下に見られている現状で、あまり自信がないような言動をしていると、交渉は上手く行えない。相手が準備を終わらせていない段階で致命的な一撃を入れて、そこから一気に押し広げる。“先輩”の押し売りだけどさ、今回はこれが一番効く」

 「しかし、それではこちらの準備が終わりません。こちらもさながら戦場なのです。戦場では9割が事前の準備で————————」

 「アリッサ……彼の説得はできますか?」

 「どうだろ……ついさっき、大喧嘩しちゃったんだよね」

 「ならば、今すぐに何とかしてください。あなたの恋人ですよね」

 「恋人じゃないです……。残念ながら……」

 「あ、あたしは何をすればいいですか?」

 「とりあえず、イツキさんは一日待ってもらえない? 先輩を何とかしたら一緒にやることがあるから」

 「イツキで大丈夫です。待機の件はわかりました」

 「あ、あの————————ッ!! 勝手に話を進めないでください!!」


 リリアナの一喝で、アリッサたちは一度口を閉ざす。焦りに顔を歪ませているリリアナに、最初のような余裕は見られない。それは、思い通りにならない事実に駄々をこねているようにすら見えてしまった。


 「あなたたちはこちらの指示なしで何ができるというのですか!! わたくしが交渉の場に立たなければ、北部最大貴族のグディタル侯爵とも、南部のガリツィア伯爵とも、話せないのですよ!!」

 「それ、私たちが平民だからそう言ってるの? だとしたら、流石に酷くない?」

 「それ以外になんだというのです。コネクションを持たない相手にはアポイントメントはとりにくいのです。学生のあなた方にはわからないと思いますが!!」

 「————————で、それのどこが問題なのでしょうか? アリッサが言う通り、こちらが平民だからできない、と言うのであれば、別な手段を考えます。手段を問わなければ、やり方はいくらでもありますね」

 「も、もうちょっと平和的にですね」

 「え? 革命を起こすんですよね? 『平和的』に、とか常識的におかしなこと言ってませんか?」


 アリッサやキサラのみならず、イツキすらもリリアナの意見を聞こうとはしない。否、聞いてはいるが、リリアナの思惑や作戦から遥かに逸脱し始め、次への作戦を練り始めていた。それは、リリアナからしてみれば、異常な光景であり、理解しがたいものだった。


 リリアナはアリッサたちを御せると勘違いしていた————————


 自分の思い通りになる手駒の冒険者として、『たかが学生のおままごと』と高を括っていたのである。しかし、相手が悪すぎた。

 ギルド『月のゆりかご』の前身となる組織であるギルド『華の同盟』の三人は、“人の話を聞かない”ことで有名な変態ギルドであった。それは、意見や忠告などを聞かないのではなく、それらを聞いて、『じゃあ、やってみようか』と平然と言えてしまう、そしてほんとにやってしまうような集団だった。

 たしかにアドリブが要求されるような“行き当たりばったり”の出来事は数多くあった。でも、その中で彼女たちが生き残れたのは、周囲に恵まれたこと、そして、彼女ら自身が『不可能だ』と決めつけなかったことに由来する。


 今の今までは、ピースが一つ欠けていたため、上手く機能していなかったが、そこに『イツキ』という存在がはまったことにより、三人は暴走列車の如く突き進む。そのスピードたるや、依頼主のリリアナの置き去りにしてしまうほど……


 「だから、わたくしの話を聞いてくださーい!!」


 リリアナは大声で会話を遮り、同時に大きな声を出したが故にすぐにむせ返り、咳を繰り返してしまう。しかし、それでも、彼女たちの組み上げ始めた一件馬鹿馬鹿しそうに見える作戦の立案を止めることはできず、すぐに会話を再開させてしまう。

 その暴走たるや……このままいうことを聞かないのならば、他の協力者を探そうかとリリアナが本気で考えてしまうほどだった。

 しかし、今更、他の協力者を探そうとしても時間がかかる。そして、彼女たち以上に今のリリアナに協力してくれる人物など帝都にはいないため、リリアナには選択権などありはしなかった。


 この日、リリアナ・エルドライヒという人物は、彼女たちに依頼をしたことを激しく後悔した————————




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