第15話 託された皇女の手紙
「……サ————————。ア————————。アリッサ————————ッ!!」
体を揺すられ、脳まで響くような大声が耳元に聞こえてきたことで、アリッサはようやく目を覚ます。体中に鈍痛が走り抜け、未だに気怠さが抜けていないが、呼吸はしており、目を開ければ、親友のあきれ顔が飛び込んでくる。
渇いた血液と泥や煤を体中に浴びながらこちらを心配しているキサラの呼びかけに応じて、頭を揺すりながら上半身を起こせば、アリッサは、ようやく状況が飲み込めるようになる。口の中の土や、衣服にこびり付いた乾いた血液……しかし、外傷の類が見られないことから、寝ている間にキサラが治療魔術を施してくれたことは最初に理解した。
続いて周囲の状況に対して、首を振りながら、未だに熱が残る頭で整理する。周囲に散乱しているのは土砂の山……村だった残骸はその土砂に押しつぶされ、炎すらも既に鎮火している。その状況下で、アリッサは自身が無傷ではなかったことを改めて理解する。
おそらく、偶然にも表層付近に倒れ、そして引き上げられて治療を受けた。もしかしたら四肢の数本……もしくは酷い裂傷があったのかもしれない……。
同じようになっているであろう村の住人たちは、この土砂崩れの前から既に死に絶え、崩壊した村の結界の外から流入した汚染マナの影響で動く屍に成り果てた。
腹部に爆弾を抱えている状況から言って、もしかしたら、アリッサたちを仕留めるためにそうされたのかもしれないが、今となっては証拠の一つも出てこない。
だからこそ、それより今、最も重要なことは……
「リリアナさん————————ッ!!」
アリッサは、未だに気怠さが残る体を刎ね起こし、自分の周囲の瓦礫の山から何かを探すように必死に目線を動かす。しかし、そこにはアリッサの探しているものはなく、ただただ、無機質な岩肌の上に、薄く雪が積もり始めた光景しかなかった。
「キサラさん!! リリアナさんが!!」
「————————っ」
「リリアナさんを助けないと……そうだ! キサラさんなら探知系の魔術で————————」
「アリッサ————————ッ!!」
焦るようなアリッサを、キサラが大声で制し、落ち着かせるように、静かにアリッサの薄桃色の瞳を見続けた。そんな冷徹なキサラを見て、アリッサは少しだけ恐怖を覚えつつも、ようやく冷静さを取り戻していった。
「アリッサ……残念ながら……任務は失敗です……」
「私が……私のせいで……」
「今は責任を追及している時間ではありません。こちらも損耗が酷い状況ですから、近隣の街に立ち寄って帰還しなければなりません」
キサラの言葉は頭で理解できる……。確かに現状ではそうするべきであるし、アリッサとてキサラの判断に間違いはないと認識している。しかし、何かが心に棘をさすようで、受け止めきれていなかった。
その理由は明白……この惨状になる直前で出会ったあの女性……フローラの容姿をした襲撃者の存在……
「キサラさん……驚かないで聞いてくれるかな……。私……確かめたいことがあるんだけど……」
アリッサの問いかけに対し、キサラは何も答えることなく、真正面に立ったまま続きを促した。
「ここで……死んだはずの……フローラに出会ったんだ……。でもそいつはフローラの容姿をしてて……。それで、私は……アイツがこちらをバカにしているのだと……」
「アリッサ……あなたは……気づいているのではないのですか?」
「————————気づく?」
キサラの問いかけに対し、アリッサは首をひねる。何か重要なことを見逃しているのだろうかと思考を巡らせるが思い浮かばない。しかし、その度に心の棘がより深いところに突き刺さるようで、心臓に痛みが走り続けた。
「アリッサがその人物と会っている間……わたしも燃え盛る村の中でとある人物と再会しました。その人物曰く……その人物は本当に、フローラで間違いはないと思われます」
「な—————ッ!! でも、アイツはこっちのことをこれっぽっちも認識していなかったし、何より言動が違い過ぎた。魔術で容姿を歪めていないのだとしたら、考えられるのは記憶が————————」
「そうです……。彼女は————————」
アリッサはふらつく頭に手を当てながら、自分の愚かさを嘆き始める。記憶を失っていのならば、こちらのことなど憶えているわけがない。だからこそ、反抗的な態度も、武器の違いも、何もかもに辻褄があってしまう。
「そっか……でも……フローラが生きていて……本当に……」
アリッサはその事実に気づき、悲しさと共に、安堵のため息を漏らした。今まで死んでいたと思われていた人物が生きていて、記憶をなくしているとはいえ目の前に現れてくれた。
少なくとも、死亡して永遠に会うことができないという状況よりかは希望が見えてきたように思われた。だが、そんな希望を打ち砕くように、キサラは首を横に振って、全てを否定してみせた。
「アリッサ……。非常に言いにくいことなのですが……フローラはもう……」
「なんで? 一時的に記憶を失っているだけなら、何らかのきっかけで————————」
「いないんですよ……彼女は……」
「それは……どういう……」
「言葉のとおりです……。あの子曰く……あの体には————————」
アリッサはその言葉を申し訳なさそうに話すキサラの両腕を掴み、押し倒すように迫る。それは認めたくない事実が聞こえそうになった故に防衛本能。
「キサラさん。嘘だと言ってよ……」
「いいえ事実です……。フローラの体には別の誰かがいるようです。本物の彼女の人格など既に……」
「い……やだ……いやだよ……」
キサラの両腕を掴むアリッサの力が徐々に弱まっていく。キサラの胸元に寄りかかるようにしてうなだれるアリッサの声は弱々しく、受け止めきれない事実に負けていることを如実に示していた。
転生者————————
その言葉がアリッサの頭に浮かぶ。
アリッサもその“転生者”の枠組みに当てはまるが、その人格や記憶は、元の人物を引き継いでいる……というよりは、同じ人格として統合されていた。それは人格同士の親和性が高く、記憶や知識のみ上乗せされただけで済んだからである。
しかし、アリッサの良き相談役のパラドイン・オータムは違った。同じ“転生者”の枠組みの中に当てはまるのだが、彼の過去の話を聞く限り……元々のパラドインは幼い頃に殺され、別の誰かがその体を使っている……。でもそれは、アリッサと出会う前の出来事であり、アリッサはその誰かのことしか知らない。だからこそ、『パラドイン・オータムという人間はそのような人物である』と認識しているおかげで、特にこれと言った違和感もなく接することができる。
でも、アリッサとは正反対の反応を示した人物もいた。
それは過去のパラドを知っている妹のユリアであった。
ユリアは、自分の兄が入れ替わっていたことを知り、激しく嫌悪した。そしてその溝は未だに埋めきれず、体裁上の兄妹は保っているが、まともに会話すらしなくなってしまった。その反応に対し、当時のアリッサは、ユリアが過剰すぎると思ってしまった。
けれど、今ならばわかる————————
自分の親友や家族が別の誰かに成り代わっていた時の恐怖や嫌悪……。悪意がなかったとしても、それを容易に受け止めきれない感情があった。
長い時間をかけ、少しずつ受け入れることさえできれば、やがてはよい関係を築くこともできるのかもしれないが、それでも、永遠という他ないほど、入れ替わる前の人格が脳裏に焼き付いたまま離れようとはしないだろう。
「落ち着きましたか、アリッサ……」
キサラの透き通るような声を聞き、アリッサは随分と長い間、キサラの胸元でうなだれていたことに気づく。未だに感情の渦を抑えることはできないが、それでも動かなければ、今度はこちらが息絶えてしまう。アリッサたちが立っているのはそう言った薄氷の上なのである。
「うん……ありがとう……キサラさん……」
「彼女は……フローラの件は、少し落ち着いたら、会いに行きましょう」
「そう……だね……」
「大丈夫……今度は、落ち着いて……面と向かって話せるはずです。だから今は、動きましょう」
「わかってる……。とりあえず、任務の失敗と帰還する旨を先輩にほうこ———————」
アリッサの言葉が止まる。腰のマジックポーチから取り出した通信機器すら落としそうになるほどの出来事がそこにあったからである。
それは、普通ならば聞き逃してしまうほどの音……
岩盤を規則的に叩く音は、少々くぐもって聞こえ、喧騒にまみれてしまえば、無音に成り果てる程の非常に小さなもの……。でも、誰もいない瓦礫の上の静寂だからこそ、その音を聞き逃すことはなかった。
しかし、キサラはその音に気付いた様子はなく、唐突に止まったアリッサに対し、小首をかしげているように思えた。アリッサはそんなキサラが視界に入っていないというように、地面に対し、這うように頭を近づけ、自身に聴覚強化の魔術を付与する。
「アリッサ?」
「少し黙ってて————————」
それでも先ほどよりもマシになっただけで、ほとんど聞こえてこない。だからこそ、キサラの言葉すらもアリッサは強い言葉で制してしまう。
全ては、その音を聞き逃さないため……
音は誰かの声ではなく、何か金属のような硬いもので岩を叩くようなもの……しかし、規則的に並べられた0と1の配列を言語に直していけば、短文の繰り返しであることがすぐにわかる。
アリッサがその音に聞き入っていると、やがてその音は弱くなり、聞こえなくなる。そのタイミングでアリッサはゆっくりと立ち上がり、戸惑うキサラの両肩を挑みかかるように掴んだ。
「キサラさん!! サーチの魔術を使って!!」
「な、なんで……」
「いいから!!!」
アリッサの勢いに促されるまま、キサラは探知魔術を発動させる。範囲は土砂と瓦礫の下に対して……。すると、地中の中にたった一つだけ……人間と思しき生命反応が確認することができた。しかし、今のキサラでわかるのはここまでであり、これが本当に人間なのか、そして誰なのかはわからない。
「これ……は?」
「わからない……。でも、誰かが助けを求めていた」
「更なる罠かもしれません」
「なら、私が吹き飛ばして確認する————」
アリッサはキサラに背を向け瓦礫や土砂を吹き飛ばすため魔術を発動させるために腕を前に出し、構えた。だが、そんなアリッサの腕をキサラは掴み上げ、強制的にキャンセルさせた。
「キサラさん?」
「あなたの制御の欠片もない魔術で吹き飛ばせば、簡単に下敷きになってしまいます。全身が潰れた人間を復元できる程、わたしの治癒魔術は高度ではありません」
「だから————————」とキサラは付け加え、自らの影から、テイムしている魔獣の白銀の狼を出し、しゃがみながらその立派な毛並みを撫でて落ち着かせた。
「時間がかかりますが、少しずつ、上から除去していきます」
「どれぐらいかかる?」
「はっきりとは断言できません。時間との勝負です」
「助かるの?」
「断言はできません————————」
アリッサは少しだけ考えるために目をつぶる……。どちらかわからない関係上、任務が本当に失敗したとは言い難い。無事とはいかないかもしれないが、生きて送り届けることさえできれば、可能性はある。
それ以前に————————
「なら、お願い……。キサラさんを信じる」
強い返事……。その言葉にキサラは呼応するかのように深いため息を吐く。そして、静かに魔術杖を構え始めた。アリッサはその動作を見守りながら、忘れかけていた一つの希望を思い出す。
それは、出発前、自身がこうなるかもしれないと予測してアリッサに手渡された一つの封書……。エルドライヒ帝国皇帝に送られたその手紙は、間違いなくリリアナのものであり、何かを動かすきっかけでもある。
「キサラさん……私……先に帝都を目指していいかな……」
「どうしたのですか?」
「手紙を託されたんだ……。リリアナさんの思いを……」
「わかりました。こちらはできるだけのことをしますから、先に向かってください」
キサラはアリッサの自信がない顔を振り向きもしないまま、魔術の詠唱を開始する。しかしながらその背中をアリッサは誇りに思い、そして強く信じる。
そして自らを奮い立たせるように胸を強く叩き、涙と泥を振り払い、前を向く。
村の近くに繋いでいた馬は、轟音と爆風に驚き、既にどこかに逃げてしまっているのだろう。探せば見つかるのかもしれないが、今はその時間すら惜しい。
だからこそ、アリッサは自らの足で大地を踏みしめ、一歩、また一歩と歩き始める。やがてその歩幅と歩調は大きく、そして早くなり、いつの間にか走り出していた。
落ちかけた太陽に向かって走るそんなアリッサの姿は、まるで消えかけた希望に縋って走るようであり、あまりにも脆弱であった。しかしながら、その踏みしめた四肢の力は意外にも力強く、そして、一度前を向いたアリッサが止まることなど、ありはしなかった。
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