第14話 幼き日々の忘れ物



 パラドイン・オータムの前世は、どこにでもいるような普通のIT企業に勤めている人間だった。少しだけ色々なことに詳しくて、少しだけ考えることが得意なだけの人間。


 この世界で目覚めて、順応できたのは他でもない、パラドイン・オータムの前世の魂が持つ“起源”のおかげである。パラドが持つ“解析”はありとあらゆる情報を手に入れることができた。

 だからこそ、ゲームのようにレベリングをこなし、敵よりも多い情報で勝利を収めてこれた。故に、特別な精神性など在りはしない。


 勇者のように誰かを救えるようなものでも、聖女のように全てを愛しむような心など在りはしない。


 臆病で……一人ぼっちで……寂しがりやな存在……それが、パラドイン・オータムだった。

 復讐するためと理由をつけて、他人と関わることを拒絶すれば幾分か楽になる。誰ともかかわらなければ、傷つくこともない……。そう思っていた矢先、訪れたのが嵐のような存在の襲来である。


 ————————第一王女ヒルデガルド・ブリューナス


 彼女の行うすべてのことに巻き込まれたパラドは危機を回避するために知恵を巡らせることになる。その最中で、婚約者として数回顔を合わせただけであったミセス・ヴェラルクスとも親密な関係になり、復讐の対象であるルイス・ネセラウスとも親睦を深めた。


 パラドは存外に、このドタバタが嫌いではなかった————————


 毎日の鬱憤とした日々よりも、誰かに手を引いてもらえる楽しさにいつの間にか溺れてしまっていた。だからこそ、自らの作戦の結果で死んでいく人間たちを見たとき心を痛めた。


 自らの手で暴走したヒルデガルドを殺めたとき、絶望に打ちひしがれた。

 自らの手でルイスの首を絞めたとき、力を緩めてしまった。


 復讐者として生きていながら、復讐を果たすことすらできず、途中で折れてしまう。そこに踏み込んでしまえば確かに全てを解決できていたはずなのに、「何か」がパラドを阻み続ける。


 その「何か」がパラドにはわからなかった————————


 パラドは、やはり、自分の中で決着がつかないことを理解して、もう一度目を開けて、ルイスとの戦闘を再開しようとする。

 そんな時、ふと、暗闇の中から声がした————————


 「パラドは将来、どんな大人になりたいの?」


 パラドは目を開けて振り返る。未だに視界は暗黒の中で、自分はまだ夢の中にいることがすぐにでもわかる。

 なぜなら、そこには昔の姿と何も変わっていないヒルデガルドが立っていたからである。それを見た瞬間、パラドは唇を震わせて言葉を失っていた。これは、マルミアドワーズが見せた彼女の残滓に過ぎない……。それをわかっていても、堪えきれないものがこみあげてくる。


 「それが見えてないから、パラドは悩むんだよ」

 「なんだよ……それ……全部を見透かしたように言ってくれちゃってさ……」

 「まぁ、実際、全部見えちゃうからね、私の場合————————」


 パラドは気が付いたら、ただの残滓であるはずのヒルデガルドを抱きしめていた。涙を見せないための誤魔化しすら、心を読めるヒルダには効果がないことをわかっていながら……

 ヒルダは驚いて声を一度止めるが、すぐに微笑み背中を軽く叩いてみせる。


 「どうしたの? いつものあなたらしくもない……」

 「どうしてなんだよ……。どうして急にいなくなるんだよ————————ッ!!」

 「はいはい……お説教はほどほどにしてね。時間もないんだし」

 「いやだ……俺は……」


 強い力で抱き留めるパラドからすり抜けるようにしなやかな動きで抜け出し、ヒルダは一度距離を取り直した。


 「今度は私がお説教する番かな。ねぇ、パラド……あなた、ルイスをどうすればいいか悩んでいるんでしょ」

 「そ、それは……そうだが……」

 「ここでもし、私がいつものように方針を決めちゃえば楽に終わる。でもそれじゃあ意味がない。それじゃあ、パラドの心にある空白に答えを入れられない」

 「なんだよそれ……」


 ヒルデガルドはパラドの胸元を指さしながら笑って疑問に答える。


 「あなたは私のことを“自分導いてくれる星”のように思っていたけど、本当はそうじゃないんだよ。私はずっと、その星を目指してきた。あなたが持つとびっきり大きな星を目指して……。それを裏切らないため走り続けてきた」

 「一体、何を言っているんだ?」

 「あなたは大局を見るけれど、足元に落ちているものが見えていない。それを『取るに足らないもの』と目を逸らすから、本当に大切なものを見失う」

 「わからない……わからねぇよ……」


 パラドはヒルダの言葉の意味が分からずにたじろいでしまう。足元を見ても、後ろを振り返っても、そんなものありはしない。


 「パラド……あなたは、“大人”になり過ぎているんだよ」

 「大人になり過ぎてる?」

 「そう……出会ったその時から、ずっと心にあるはずなのに、いつの間にか忘れさられてしまう、そんな大切なもの……」


 ヒルデガルドは不器用に笑いながら、いつも無茶なことを切りだす口調で、楽しそうに言葉を口にした。


 「————————“ワガママ”ぐらい、言ってもいいんじゃないの?」

 「————————ッ!!」


 ここで、ようやくパラドイン。オータムという人間は、足元に落ちている「何か」が何であるか気づく。それは、大切なものではあるが、今のパラドでは絶対に気づくことができなかったもの。


 前世で大人として日々の仕事に追われ、この世界の誰かになって復讐を目的に動いてきたパラドには絶対に見えるはずのないモノ。



 いつの間にか、パラドは忘れていた—————



 周囲を言動で振り回すことも。周囲を呆れさせることも。周囲を困らせることも。全部、いい人間になろうと努力し続けた結果、視界から消えてしまっていた物だ。

 「本当にしたいこと」を思いついたとしても、周囲に迷惑がかかることを考え、実行を止めてしまう。全体の秩序を考えて、全てが丸く収まる方ばかりに舵を切る。


 そんな妥協ばかりの人生————————


 だが、もし……そんなパラドの“ワガママ”を汲み取り、真っ先に口に出すような人間がいたらどうだろうか……。

 そんな人物は“心が読める”ような人物以外はありえない。



 だからこそ、ありえないはずの理由は“自分の心の中ソコ”にあった—————



 パラドには、ヒルデガルドが自分でワガママを言うような人物のように見えていた。しかし、それが間違いであったのならばどうだろうか……。

 いつも、すぐに否定して答えを心の奥底にひっこめてしまうような臆病者のパラドの“ワガママ”を口にして、皆を動かしてきた。そう考える方が妥当ではないだろうか……

 もちろんそこには、ヒルデガルド自身の意思もあったはずだ。

 それは恋心なのか、それとも純粋に平和を愛するが故だったのかはわからない。


 ただ一つ言えることは、ヒルデガルド自身もまた、“ワガママ”だった、ということだけであろう———————


 それをこの段階にきて、ようやく理解したパラドは、自分の愚かさに打ちひしがれ、頭を抱えることになる。

 そんなパラドの不安を取り除くかのように、ゆっくりと歩み寄ったヒルデガルドは、自身の足りない身長を精一杯の背伸びで誤魔化しながら、パラドのくしゃくしゃの頭を撫でた。


 「ねぇ、パラド……あなたは将来、どんな大人になりたいの?」




 原点に立ち戻る————————

 それは、パラドイン・オータムとしての原点だったのか、それともそれよりも前の人生の原点だったのかはわからない。

 ただ、たった一つだけ……

 答えは得た————————


 「———————俺は……私は……自分が笑顔になりたかったんだと思う……」


 それを聞いたヒルデガルドは頭を撫でていた手を止め、少しだけ満足げな表情をしながら、俯いたままのパラドの表情を下からのぞき込む。


 「それは、どういうものだった?」

 「大切な人と一緒に、友達と一緒に……たまに出掛けたり、贅沢したり、バカやったりしてさ……。たしかに辛いこともあるけれど、それ以上に、自分が満足して、楽しい日々を過ごすような……ごく当たり前なもの……」

 「じゃあ、それに“彼”は含まれる?」


 パラドは少しだけ言葉に詰まる。でもそれはほんの数秒だけであり、不気味なほどすぐに喉の奥から答えは出た。


 「アイツを俺が殺したら、たぶん俺は後悔する。だから、きっと、含まれている……と思う」

 「ふーん。じゃあ、あなたが行うべき“ワガママ”は決まっているんじゃない?」

 「そうだな。あぁ、でも忘れるな。その“ワガママ”の中に、お前も含まれていたんだからな!」

 「強情だね、まったく……」


 ヒルデガルドは驚くと同時に少しだけ照れながら、それを隠すようにパラドを強引に前に向かせて、自分は後ろに立つ。そして、パラドの背中を強く叩いて前に出した。


 「いつっ……なにすんだよ……」

 「ほら、時間がないって言ったでしょ。早く行ってこい、ヒーロー!」

 「なんだよ、それ……。————————ったく、俺はヒーローなんて柄じゃねぇっての」


 パラドは振り向かずに前を向く。

 目の前にはいつの間にか眩いような光が差し込んでいて、背後の暗い景色とは対照的になっていた。

 それを見て、パラドは臆することなく走り出す。その最中、たった一言、ヒルデガルドに向けて「ありがとう」と口にした。


 ヒルデガルドはそれを聞き届け、パラドに聞こえるはずもない声で、彼女の思いの丈の“ワガママ”を口にする。

 パラドがこの言葉を聞き届けることはない。


 何故なら、ヒルデガルドの物語は、もう終わってしまったのだから———————


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