第4話 泥中の撤退戦Ⅲ

 「あなたは————————ッ!!」


 アリッサが何かを言いかけた瞬間、遠くの地面で何かが大きく爆ぜた。それは土柱が天高く上がるほど強烈であり、火焔と衝撃がまき散らされたことを、少し離れたアリッサの位置でも視認できる程であった。

 遅れて轟音と強風がアリッサとルイスを襲うが、爆心地から離れているせいもあり脚を地面に踏みしめれば、飛ばされることはなかった。


 「チェックメイトだ。確かにお前は勝負には強い……だが、試合には弱すぎる」


 彼はその言葉と共に遠く離れた大地を見つめる。アリッサもそれにつられてそちらの方を見ると、氾濫した河川の濁流が、こちらに向けて迫りつつあった。それは、キサラのいるはずの砦の方に進行しており、両軍を巻き込むようになだれ込んでいる。


 「お前は……あそこには帝国軍だって……」

 「関係ない……皆、喜んで志願してくれた」

 「だからと言って、それを無碍に扱っていい理由には————————」

 「誰が何と言おうと、おれの軍だ。彼らの命運はおれの手の中にある」

 「————————ッ!!」


 アリッサは歯噛みすると同時に、無防備な背中を見せながら氾濫している河川に向かって走り出す。大きく跳躍し、最短ルートで走るが、間に合うかどうかはわからない。


 そうしているうちに、背中に嫌な汗が伝う。しかし、それを避ける余裕などなく、最低限の魔力障壁だけを発動してアリッサは走り続けた。


 しかし、その程度の障壁など意味をなさず、やがて、腹部に刺し貫くような痛みが走り抜け、壊れた内臓と皮膚から雨に混じって真っ赤な液体が滴り落ちる。それでも、アリッサは止まらない。

 見逃してしまえば、自分の命だけは助かることぐらい理解はしている。


 それでも———————


 アリッサは痛みをこらえながら、左手に持っていた白銀の剣に魔力を通す。すると、一瞬のうちに白銀の剣は紅蓮のように赤く染まり始める。

 刀身自体が赤熱しているのか、蜃気楼のように周囲が揺らめき、雨水がぶつかると、即座に揮発して煙を上げる。


 「あああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」


 アリッサは声にならない咆哮を轟かせながら最後に大きく跳躍し、灼熱剣の許容量を遥かに超えた魔力を一気に流し込む。その瞬間、刀身が真っ白に輝き、天まで貫くような巨大な剣が浮かび上がった。

 アリッサは躊躇なく、それを振り下ろす。



 激しい閃光が明滅し、周囲一帯の木々が生み出された爆風で薙ぎ払われていく。大地がめくれ上がり、押し寄せる土砂もろともに、押し迫る濁流の一部を削り取る。


 しかし、それはほんの一部……意図的に決壊させられた堤防からあふれ出した水は低地に向かって一気に広がっていく。それは一部のみを削ったところですぐに補われて意味をなさない。


 だからこそ、反動で灼熱剣が塵も残さず砕け散ると同時に、アリッサは腰にあるピッケル型魔術杖を引き抜き、同時に急速に魔力を充填させ始めた。

 ある程度の強化を施しているとはいえ、これも最高位魔術を放つような設計にはなっていない。だからこそ、一定以上の魔力を込めた瞬間に、魔石が粉々に砕け散り、杖を全て喰らいつくす勢いで消滅する。

 それでも、アリッサは魔力の充填を止めることなく、込め続け、右手を前に突き出したまま、左手でその手首を支え、大地を踏みしめた。


 瞬間、アリッサの体の数倍はあろうかという魔方陣が生み出され、同時に、閃光を伴いながら、地面を抉りながら極大魔術が放たれた。


 “ドラゴンブレス”と呼ばれるそれは、一直線上に放たれる無属性魔術の光線である。しかし、その威力はすさまじく、城一つならば容易に吹き飛ばすこともできる。本来であれば、数千規模の人による多重詠唱で発動するものを単独で補ったアリッサの魔力は、当然のことながら一気に底をつく。


 それでも、どこまでも伸びるような巨大な線状痕を地面に作り出し、遥か彼方にある河川に激突して一時的に流量をなくすように揮発させてようやく止まるような威力を生み出す。

 これが、本当のアリッサの狙い……。最初の攻撃では威力が不足していたせいか、望んだ結果は得られなかった。だからこそ、二発目の“ドラゴンブレス”の発動。


 結果として、意図的に氾濫した濁流は、生み出された線状痕を辿るようにして新たな川が生み出される。その流れは、氾濫したはずの河川が再び本線に合流するような動きを見せ、被害の拡大を最小限に食い止めていた。



 だが、その代償は大きく、アリッサは無理な魔力行使のせいで、片膝を地面につき、未だに振り続ける雨の中で浅い呼吸を何度もしながら、回復を待つしかなかった。完全に底をついているわけではないが、立ち上がるだけの魔力量は残されていない。



 刹那———————



 動けないアリッサの背中に嫌な汗が伝う。

 それは何度も経験したことのある自らの死ぬ間際の警告……。しかし、魔力が底をついているアリッサが動くことはできず、当然、これに反応することもできない。





 直後、アリッサの体が弾き飛ばされた———————


 しかしそれは、アリッサの体を穿つように放たれた弾丸ではない。件の弾丸は、抉られた地面に激突し、地中深くへと潜り停止している。

 アリッサが目を開けると、自身の体ともつれるようにして茂みの中に埋もれている女性がいた。大雨の中でもわずかに鼻孔をくすぐる甘い花の香り……曲線の少ない顔立ちの中にあるみずみずしい唇と、丸ブチのメガネの下にある力強いローズレットの瞳。間違いなく、こちらに無線で指揮を飛ばしていたはずのフローラがそこにいた。

 アリッサが彼女の腰に手を回し、ゆるいウェーブのかかった珊瑚色の髪をどけて布越しに触れてみれば、大雨の中を飛んだきたせいか、体温が下がっているように思える。


 「フローラ?」

 「アリッサ!! 無茶し過ぎです!!」


 会話の途中でもう一度、アリッサの背中に嫌な汗が伝う。アリッサはその瞬間にフローラを庇うようにして突き飛ばした。反動でわずかに移動できたため、致命傷こそ避けられたが、弾丸がアリッサの皮膚を貫通し、左太ももに大きな穴を穿った。


 「あぐ————————ッ!!」


 フローラがこちらを庇うようにしてすぐに治療を開始しようとするが、アリッサはそれを、杖を掴むことで強引に制する。


 「逃げて!」

 「いやです————————ッ!」

 「逃げなきゃ、どっちも殺される!」

 「それでも嫌です!!」


 フローラは奥歯を噛みしめながら、力のないアリッサの腕を掴み、強引に肩に担ぐ。そして、ブーツの形をした飛行デバイスを起動させ、一気に体を上昇させた。

 相手への攻撃を警戒して、最大限の防護魔術を展開させ、空中を移動する。


 時折、銃弾が防護魔術と激突し、降りしきる雨の上空で、フローラの体が揺れる。だが、それでも彼女は姿勢を崩すことなく飛び続けた。


 速度を上げれば振り切れるのかもしれないが、その場合はアリッサにも負荷がかかる。その上、現在は普通の冒険者防具であり、以前のような防護機能はない。だから、この状況を必死で耐え忍ぶしかなかった。


 「もういい……。もういいから……」

 「ダメです……。あなたを失うのは、もう嫌なんです……」


 幾度となる衝撃を経て、防護魔術が貫通し、フローラの腹部に弾丸が突き刺さった。それでも、彼女は止まることをしなかった。


 「離して! あなただけでも!」

 「それじゃ意味がないんです!! 私の大好きなアリッサは————————ッ」


 何かを言いかけたところで、フローラの再展開した防護魔術が再度砕け散った。何度も展開しようとしても、ここまで相当の無茶をして飛んできたせいもあり、フローラ自身の魔力量も心もとなかった。


 「ふざけないでよ、フローラ!!」

 「ふざけてません!! 私はいつだって、あなたを————————」


 壊れた防護魔術の隙間を縫って弾丸が右足に命中する。その瞬間、フローラはもつれるように空中で体勢を崩してしまう。右足の飛行デバイスが破損したせいか、まともに飛ぶことができず、自由落下が始まっていた。


 それでも、フローラは諦めることなく、最後の魔力を賭して、アリッサを森の奥地へと弾き飛ばした。すでに数キロも離れていることから、これ以上の狙撃は不可能である。


 それは、偶然の不幸に見舞われたフローラの最後の被弾を見て明らかであり、相手もそれ以上の追撃は生まれてなかった。


 「フローラぁぁああああああああああああ!!!」


 アリッサの叫び声が豪雨の中にこだまする。離れていくフローラの姿に追いすがることも、飛び跳ねて追いかける魔力も残されていない。

 重ねて不幸なことに、フローラの落下地点は泥水が濁流となって流れている河川であり、落ちてしまえば捜索が困難になることが明らかであった。


 アリッサは届くはずのない手を虚空へと伸ばす————————



 それは虚しくも指先から雨により熱を奪われていき、同時に、濁流に消えていくフローラを視界にとらえることしかできなかった……


 やがてアリッサも木々の枝を折りながら地面へと叩きつけられ、全身が泥にまみれていく。それでもなお、動こうとして、這いつくばるように歩こうとする。だが、枝が脚の傷口に突き刺さったせいなのか、それとも魔力切れのせいなのか、まともに動くことができない。


 数歩、這いつくばったまま前に進み、アリッサは停止する。



 何度も経験した感触……。リタとして幾度となく繰り返してきた別れの一つ……。

 既に慣れてしまっているはずの心が酷くざわつき、胸が締め付けられるような感触に襲われる。泣いているのか、それとも、降りしきる雨が頬を伝っているのか、わからないほどアリッサの体温は次第に下がっていく。


 「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ————————ッ!!」


 アリッサは力ない拳を泥の地面へと叩きつける。そんな雨音とアリッサの悲痛な叫びだけが森の中に反芻し、雨音と共に虚空へと消えていった————————



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