第11話 魔の手は誰にでも忍び寄る
リリアルガルドでの一件の数日後、アリッサは元魔王、もといアストラル王国第二王子エニュマエル・アーストライアの依頼を受け、平民ながらアストラル王国の建国パーティに参加していた。
当日までクッション性が良すぎる部屋で過ごし、給仕たちにメイクやドレスを着させられ、あれよあれよという間に平民とは思えない美しい女性へと変貌していた。
少しだけ高めのヒールを履きながら、着飾り、護衛の兵士に連れられるまま、会場近くの待機室まで案内される。するとそこには、待ちわびていたかのようにアスティ……つまりはエニュマエル・アーストライアが長椅子のソファに堂々と腰かけていた。
優雅にワインを嗜んでいた彼であったが、アリッサが様子を見るために彼の正面に回った瞬間に放心し、危うくワインを落としかけることとなった。
セミロングの茶色の髪を宝石のついた髪飾りで結い、リップのつけた柔らかい唇と凛々しく真っ直ぐな薄桃色の瞳が印象的な端整な顔立ち。そして白を基調としたドレスとを見れば、いつもの粗暴さ一切が抜けきり、どこかの令嬢のようなたたずまいに見えたのである。
「洋服が紳士を作ると言うが……。見違えたな……」
「おいこら、失礼な事いうな、バカ王子」
「いやすまない……あまりにその……」
恥ずかしそうに視線を逸らすアスティを見てアリッサは調子が狂い、思わず頭を触りそうになるが、セットしたことを思い出してため息のみで済ませることになる。
「————————で、衣装はいいとしても重要な事を忘れてないよね」
「わかっている……お前に貴族としてのたたずまいなどできるはずがないということを」
「そりゃそうだよ。魔族語もしゃべれない上に、唯一話せる共通エルドラ語に関して言えば、お上品に……なんて夢のまた夢だと思って」
「少しは練習する気がないのか、全く……」
「あるわけないじゃん。だって、私は貴族とは無縁の平民ですからねー」
「はぁ……。これなら語学研修にでも行かせるべきだったか……」
「大丈夫。あなたが話している間、愛想笑いでも浮かべてるから」
「そうだな。お前は一切喋らない方がよさそうだ」
「おい、それはそれで傷つくぞ」
淑女らしからぬたたずまいで拳を握り締めるアリッサを見て、今度はアスティがため息を吐き捨てる。
「まぁ、それでも名乗るときに苦労するが故、名前程度は整えた方がいいと思ってな。貴様の名前で男爵位を買っておいた。受け取るがいい」
「あーうん、今回の間だけね。終わったら丁重にお返しするから」
「返さなくとも良い、ほれ、これがお前の性だ」
そう言いながら羊皮紙に書かれたものを投げ渡してきたものを、アリッサは空中で受け取り、封としての紐を解く。
するとそこには確かに証明書に似たものと共に何かが書かれていた。魔族語で————
「読めないんだけど」
「おっとすまない、ならば口頭で申さねばならないな。こっちに寄れ」
アリッサは手招きするアスティに対し、少々嫌悪しながらも恐る恐る近づき、目の前に立つ。すると、アスティはアリッサの右手を優しくとると、その人差し指に小さな指輪を差し入れた。
「アストラル王国第二王子、エニュマエル・アーストライアの名において、我を下し、その強き生き様を示したことを称え、これを贈る。貴様はこれより、アリッサ・ハミルトンと名乗ることを我が許す」
「……はい?」
「おい、雰囲気が台無しだ。もう一度最初からやるぞ」
「いや、いらないから、続き……」
「何を言っている。続きはお前だ————————」
「あー、うーん……そっかぁ……」
アリッサは少しだけ悩んだのち、知識がないが故にそれっぽい言葉を羅列して応答した。
「拝命、承りました。これよりその名には恥じない、剣となることを此処に誓います」
「うーん……意味不明だが、今日のところは貴様に免じて及第点としてやろう」
「二度とないけどね。こんなこと……」
「だろうな。オレ様以外に、貴様にこんなことを施す輩などいるはずがない」
「ふーん……。もう怒る気力もないからいいや……。それより、そろそろ時間でしょ、早く行かないと、あなたに変な噂が立つんじゃないの?」
「今更、噂の一つや二つ、気にする程度ではない……が、行かねばならないのは確かであろう。エスコートする。ついてこい!」
「乱暴すぎるぞ、おい……」
立ち上がってもう一度アリッサに手を伸ばすエニュマエル・アーストライアの姿を見て、アリッサはため息を吐きながらも静かに手を取り、共に歩き出す。
そして、静かな廊下を抜け、たどり着いた先は、広間に繋がる大扉の前だった。
アスティが来ると、兵士たちは呼吸を合わせるように扉を開き、煌びやかな貴族の世界に二人を誘うのであった。
◆◆
煌びやかな内装に、心地よい演奏。
これが、貴族社会の戦場なのだとアリッサは理解しつつ、ボロを出さぬようにほとんどしゃべらずに軽い挨拶のみをこなしていく。
たまに、肌の色のみならず、姿かたちが人間とは違う魔族の男性から、何かを申し込まれたのだが、アリッサは何を言われたのか、ニュアンスと状況でしかわからず、苦笑いをうかべるしかなかった。
おそらく、ダンスなどを申し込まれているのだろうが、その場合はアリッサが断るよりも早く、アリッサのパートナーであるアスティが寄ってきて、手を取って引き離してくれる。
たまに、彼があいさつ回りで抜けているときなどは、アリッサは周りを見渡しつつ、奇異の眼差しを向けられていることに気づきながらも堂々とした佇まいを続けるしかない。見渡してみれば、アリッサと同じように人族も交えているように見えるのだが、皆、当たり前のように魔族語で話しているため、アリッサに入る余地など存在しなかった。
まさに、アウェイであることを身に染みて感じながら、アリッサがさらに話しかけられないように端の方へ歩いていくと、ふと、椅子に腰かけている初老の魔族の男性と眼があった。
なにやら声を他の人たちが引っ切り無しに声をかけているところと、豪華な一張羅を見るに、国の重鎮であることは間違いない。そう、アリッサが認識した次の瞬間、その初老の男性は話しかけていた人物たちを人払いし、アリッサに手招きしてこちらに来るようにうながした。
ただのパートナーとしてここに来たアリッサがそれを断れるはずもなく、誘われるがまま、初老の男性の前に立った。
「遠慮せず、腰かけてくれ」
以外にも、初老の男性は共通エルドラ語でアリッサに声をかけてくれた。アリッサは同じく、共通エルドラ語で「ありがとうございます」と返礼をしつつ、初老の男性の横の椅子に腰かけた。
「はじめまして……わたしはオスニエルだ。このような場は初めてかね、ハミルトン男爵」
アリッサは名乗ってすらいない。それにもかかわらず、オスニエルと名乗った初老の男性はつい先ほど与えられたばかりの自分の男爵性を告げてきた。それに僅かながらアリッサは驚きつつ、一礼して、共通エルドラ語で言葉を続けた。
「浅薄なこと申し訳ないです。よろしければお名前をもう一度お願いいただけますか?」
たどたどしい、正しいかどうかもわからない敬語を使いつつ、アリッサは必死に応答する。すると、それを聞いたオスニエルは少しだけ驚きつつ、すぐにお腹を抱えて笑ってしまう。多少なりの喧騒は打ち消されているものの、彼の周りの護衛の兵士が若干騒がしくしたため、初老の男性はすぐに笑いを止めてそれらを制することとなる。
「これは失礼。改めて名乗らせてもらおう。わたしの名はオスニエル・アーストライアだ。立場上、この国の王にあたる人物であるのだが、それすらもわからないときたか……」
「あー、えーっと……すみません。この国のことも、貴族のことも、全てが初体験でして……」
「ふむ、そのことは他の貴族に嘗められるから、自分の口から言わない方が良いと思うがね?」
「誤魔化せるならそうしますけど、王の目から見て、可能であると思いますか?」
「ふむ……それもそうだな……。あまりにも腹の探り合いばかりで少しばかり疲れているのかもしれないな……」
「うーん、それでは、陛下には……『アリッサ・ハミルトンがアストラル王国の太陽王にご挨拶いたします』と堅苦しくご挨拶申し上げた方が響くのでしょうか」
「くくく、これは確かに体に答えそうな挨拶だ……。しかし、きみには無理せず、今のままでいてくれて構わないとも」
「では、お言葉に甘えて……」
オスニエルは静かに赤ワインを飲みつつ、アリッサの実情を探るように興味津々に聞き耳を立て始める。
「それで……きみを呼んだのは他でもない。孫についてだ————————」
「あす……ゴホンッ! エニュマエル殿下についてですね。何が聞きたいのですか?」
「フムそうだな……。学校生活についてだ。報告では、かなりの揉め事を起こしているようだが、事実かね?」
「あー……そうですね。最近は、大人しくなりましたが、入学当初はことあるごとに呼び出されていたような気がします」
「やはりか……。やんちゃなのは父譲りといえばそうだが……そろそろ大人になってほしいものだ」
「うーん……でも、先ほどの通り、最初にあった時より、かなり丸くなったと思いますよ。彼なりにクラスや学校に馴染もうと努力しているようですし、もう少しだけ待ってみてもいいんじゃないでしょうか」
「ふむ……。もしかしてきみは……孫のことが好きなのかね?」
アリッサは唐突な恋愛事情に対し、盛大に咳き込み、しばしの沈黙を要することになる。そして咳が収まると同時に、身振り手振りのジェスチャーを用いて、苦笑いしながら答えることになる。
「絶対にないですね……。たしかに顔はいいですけど、彼とはそういう間柄になる気はありません」
「そうか……それは残念だな……」
「何が残念なんですか……。この世間知らずが嫁いだら、王家としては大問題でしょうに……」
「そうならないために、孫はきみに爵位を与えたのではないのかね?」
「まさか……そんな……ねぇ……」
「はたして、真実はどうなのやら……」
アリッサは顔が熱くなっていることを自覚しつつ、笑ってごまかす。実際のところ、アリッサ自身の感情は今現在、アスティをそう言った対象として見ていないことは確かであった。
「しかし、実際問題、知識やマナーなどは後からでも身につくものだ。焦らずとも良いのではないか?」
「陛下……地盤を固めるのはおやめください。冗談はときに人を不幸にします」
「カカカッ! なるほど……やはり、そんなところにあやつは惹かれたのかもしれないな」
「単に、彼についていける人がいなかっただけでしょう」
「それもそうか! こりゃあ、一本取られたかもしれないな。どれ、わたしから祝いとして一杯注いでやろうではないか」
「すみません。お酒は弱いので——————」
アリッサは入学パーティで一口だけ間違って飲んだことある以外は、アルコールの摂取をしたことがないのだが、それ故に、自分の限界を知らないため、冷静に遠慮して盃を断ることなった。まったく別の意味が込められていることを露も知らず。
「そうか、それは残念……。ならば、ジュースを持ってこさせよう」
「どうしても注ぎたいのですね、陛下は……」
「無論だ。わたしは手に入れるものはとことん手に入れる主義」
「まさか、お礼に自分のワインも注いでくれ、というのでしょうか?」
「そうさなぁ……それを為せるのならば、手に入れたも同然ではあるのだが、先ほどからの反応を見るに、何も知らないと見える……。これでは、意味がない」
「あ、まさか! 私の知らない風習や儀式を行おうとしましたね、陛下……」
「なに、友となる。という意味にすぎない。本来ならば特定の銘柄のスコッチがいいのだがね」
「あぁ、それなら……。でも、私のものは水でかなーり薄めてください」
「無論だ。きみとの今の関係はそれで構わない。だがいずれ……いや、今はやめておくとしよう」
オスニエルは近くにいた給仕に指示をして、自身のお気に入りであろうスコッチとコップを二つ持ってこさせる。銘柄について、アリッサが知る由もないのだが、アリッサのコップだけ異様に水が注がれていた。そこにオスニエルが数滴注いだため、見た目上、ほぼ水であり、アリッサの願い通りにかなり薄いものになっていた。酔ってしまうのではないかという思いのためか、不安が背筋を嫌な汗となって伝うがそれでもアリッサは生唾を飲み干して堪えた。
そして、アリッサの分を注ぎ終えると同時に、オスニエルも自分のコップに注ぐよう、アリッサに無言でスコッチの瓶を渡したため、アリッサは彼が飲みそうな数量を一気に注ぎ、瓶をテーブルにおいた。そうして、両者がコップを手に取り、互いにグラスをぶつけずに軽く上げる。
「この良き出会いに————————」
「良き出会いに————————」
互いに言葉を重ね、同時に一口だけ喉を通した。アリッサはかなり薄めた上に少量しか飲まず、コップを降ろしたのだが、反対にオスニエルはアリッサの注いだ量を全ての飲み干し、コップを置いた。
そして、アリッサに対し、満足げに口角を上げた笑って見せた。
その直後だった————————
オスニエルが急に胸元を抑え、ふらつきながら立ち上がろうとしてテーブルを掴み、そしてそのままバランスを崩して地面に倒れ伏す。アリッサは唐突なことに困惑し、自身も立ち上がり、オスニエルに駆け寄るように近づこうとした。
聞こえてくるのはテーブルの上に置いていたグラスが割れる音と、困惑と狂乱に似た悲鳴。見えているのは、血液の入り混じった泡を吹きだしているオスニエルの姿。
あまりの唐突な光景にアリッサも当然のことながら困惑し、近づこうとして、自分の視界がわずかに歪んだことに気づいた。だが、目の前のオスニエルのように倒れる程ではない。
しかしながら、酒を飲む前よりも強く、心臓の鼓動が感じられ、同時に背筋にはいつもと同じような嫌な汗が死の警鐘を鳴らし始めていた。
アリッサは即座に自分の口元に手を突っ込み、強引に自分の胃の内容物を吐瀉し、荒い息をたてながら弱々しい呼吸を繰り返しながら、膝に力を入れてもう一度立ち上がろうとした。
そして、なぜこうなったのかという思考を巡らせつつ、周囲に比べて様子がおかしい者を探した。そして即座に見つけた————————
だが、その瞬間、まるで抑えつけられるように、後ろから首筋と腕を抑えつけられ、強引に床に叩きつけられた。
そして、それと同時に毒物のせいで薄れゆく意識の最中、誰かの声が聞こえてきた。
それは、アリッサを庇おうとするアスティの声だったのか、それともそれに反論している他の誰かの声だったのか……。それは今のアリッサに聞き取ることはできなかった。
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