第10話 星が降る夜に


 澄み渡るような星空と、地上の灯りがいつも以上に輝いている街の中、セイディ・ライスターは一人、誰かを待っていた。長かった大会が終わりをつげ、今は後夜祭へと移っている。街は露店などが増え、行きかう人も通常の数倍はいるのは確かだろう。

 今夜は、兵士も生徒も主婦も子供も、ありとあらゆる人が祝勝や慰労を行い、日々の疲れを互いに笑いながら空へと流していく。プログラムの最後に行われる『夢渡し』では願いを書いた熱気球を空へと飛ばし、その間にダンスを踊るというものがある。その『夢渡し』の最後に踊った人は永遠に結ばれるというゴシップ染みた伝承もあるが、宗教的にセイディは信じてはいない。


 だが、そんなセイディの格好はいつもと違っていた。

 庭一面に広がるような癖のない綺麗な深緑の頭髪は後ろで丸くまとめ上げ、なで肩のうなじを街灯にさらし、炎のように赤と黄色に揺らめく瞳は、化粧によりいつもより少しだけ大きく見える。同年代からすれば高い身長をヒールでもう少しだけ上げ、美しい女性のように唇をわずかに赤く染め上げる。白を基調としたレースのワンピースと相反するかのように、エルフ族のように長い耳は、恥ずかしさからか、赤みを帯びているように思える。



 セイディの最近の友人であるアリッサが勝手に連絡したことではあるのだが、自身の主人を待たなければならないという建前の元、セイディは意気込み、ここに立っている。



 だが、約束の時間になっても件の人物は現れなかった。



 「あはは……まぁ、あいつはいつも時間にはルーズだからなぁ……」


 セイディは一人だけで苦笑いを浮かべつつ、手提げのバックを手に取って歩き出す。ゆっくりとした足取りではあるのだが、行く場所は決まっているようにも思えた。


 「さて、どうしようか……。どうせ、サリーやエステルはこのお祭りを楽しんでいるだろうし……。あいつは……まぁ、終わったころに帰ってくるんだろうな……。そうしたら、今日のごはんがなくて困りそうだ……。なにか、お腹に溜まるものでも、お土産に買っておいてやるか……」


 そんな作り笑いを浮かべつつ、よく見知った幼馴染の好物を探すために歩き出す。だが、慣れない靴であるため、歩いているうちに疲れ果ててしまう。石垣に座り込んで踵を見れば、僅かに擦り切れていて、靴擦れを起こしていた。

 自分は一体何をやっているのだろうかと嘆きつつ、ため息を吐いて、ヒールの高い革靴を投げ捨てる。元より素足で歩くことの多いのが彼女の種族であるため、この程度ならば問題はない。


 そうやって身軽になった体で露店を回り、結局、お土産のトウモロコシの焼き物と、小さな御守りを買ってしまった。本当に何をやっているのか、自分でもわからなくなってきてはいるセイディであったが、今日だけは、貴族ではなくただの町娘でいようと決心したが故に、中途半端に体が動き続けてしまっていた。



 そんな折であった———————




 近くの露店で大規模な爆発事故が起きた。轟音と炎が上がり、そこから逃げ惑う人の波ができ始めた。その波に押されて、持っていた食べ物が落ちてしまった。拾ってきちんとゴミ箱に捨てなければならないと思った矢先、悲鳴が聞こえた。

 セイディはすぐにそちらの方を振り向く。そこには、他人のバッグを持って走り出す男がいた。だが、それは他の街の人によってすぐに取り押さえられる。


 ここまで来て、セイディは何か嫌な予感が頭の中で警鐘を鳴らし始める。なにか大きなことが起こり始めているのではないかという不安だけが拭えず、路地の中に入り込んで、建物の屋上へと自らのツルを伸ばして壁を駆け上がる。


 だが、状況を確認するために上がったはずの屋上で、セイディは見下ろすのではなく、見上げることとなった。



—————空が白く染まっていた


 ◆◆◆




 同時刻——————アリッサ



 アリッサとペルートス、そしてサリー、エステルは4人で後夜祭を楽しんでいた。サリーに先導されるまま、エステルは手を繋いではぐれないようにしており、その後ろから二人を追っている。たまに立ち止まって露店で食べ物を買ったり、大道芸をみたりと、アリッサにとっても初めての経験であった。


 そうやって、街をまわりながら、アリッサとペルートスは互いの情報を交換し合う。ペルートスは貴族ではない一般生徒であり、隣国のブリューナス王国出身であるそうなのだが、初対面の人に物怖じしない性格故に、様々な人と交流があるらしい。

 頭と下半身が白い毛並みで覆われている山羊であるだけに、その第一印象は計り知れない。


 「—————で、さっきの話だけど……。それって本当?」

 「えぇ、わたくしの聞いた話によりますと、どうやらダベルズ山脈西側での魔物が減少傾向にあるらしいです。なんでも、リーゼルフォンドが本格的な討伐に乗り出したのとかなんとか……」

 「へぇ……。でもすごいね。あそこの平均レベルはそこそこ高いじゃん。それを組織的な行動で減らすって……。集団的レベル上げがすごい大変なのによくやるよ」

 「いえ、実のことを言えば、勇者なるものが現れたおかげで、治安もモンスター被害も、内部抗争も全て収まり、国力が安定化したから、というのが商人の間では噂になっておりまして……。わたくしも風の噂程度なのですが、その勇者のことは吟遊詩人も鼻高々に歌っているとかなんとか……」

 「まぁ、何にせよ。いいニュースじゃん。—————って、アスティが言うような勇者ってそのことなのかな—————」



 遠くで何かが爆ぜる音が聞こえた。続けざまに誰かの悲鳴……。アリッサはペルートスに声をかけて、ペルートスはそれに反応して、即座に前方のエステルとサリーを背中に乗せて人混みの中を駆け抜けていく。アリッサもそれを追うように、走り出し、騒乱の街の闇の中へと消えていった。



 ◆◆◆



わずか数刻後——————セイディ


——————空が白く染まっていた



 それは自然的な現象ではない。ましてや隕石などという災厄でもない。だが、その眩い光は、水平線の彼方から現れ、まるで流星群のように降り注いだ。数にして1000から5000というその光弾は、リリアルガルドの首都ベネルクのありとあらゆる建物をその質量と運動エネルギーで破壊する。

 瓦礫が舞いあがり、あちこちから火の手が上がりだす。だが奇妙なことに、隕石が落下したはずなのに、その崩落地点は意外にも無秩序に壊れてはいなかった。むしろ、何らかの物体が着地の為に減速したとしか思えないような痕跡すらある。


 それらの光景を全て目撃していたセイディは屋上から屋根伝いに移動し、さらに何が起きているのかを目視で確認するために移動する。そこで、セイディはさらに困惑することとなる。赤と黄色に揺らめく瞳を見開き、元凶を見た瞬間に、目を疑うほかなかった。


 何故なら、そこには天使がいたからである————



 頭まで覆い隠すようなフルプレートの鎧を身に纏い、頭には天使のような輪っかがある。背中にはそれを決定づけるような白色の大きな翼……。だが、どこの国の種族であるのかは鎧などからは読み解けない。ただ一つ言えることは、その鎧の天使が、逃げ惑う人々を必死で先導しようとしている衛兵の男の体を背後からハルバードのような長く重い獲物で真っ二つに切り裂いた、という事実だけであろう。

 鮮血が破壊されたレンガ絨毯の上を伝い、焼けつくような空気の中で恐怖が伝播していく。


 セイディが放心していると、その間に鎧の天使は逃げようとする女性を背後から刺し殺し、何度も執拗に突き刺して、確実に絶命させていく。それを見た瞬間に、セイディの体は勝手に動いていた。

 路地の瓦礫の上から、魔術を詠唱し、相手を突き飛ばすような突風を作り出す。いつものように、魔術杖を持ってきていないため、魔力消費は多いが、市民から引き離すためには致し方ないことであった。

 竜巻に似た突風を受けた鎧の天使は、巨体を持ち上げられた瓦礫の壁に叩きつけられて大きな穴を作り出すが、死んでいるようには見えなかった。


 それを確認すると同時に、セイディは衛兵の腰からショートソードを奪い去り、鞘を捨てて泣き叫ぶ市民の前に立ちふさがる。セイディの後ろには、人間種族だけではなく、魔族や亜人族など、様々な人種の人々がいた。それを気に留めることなく、吠えるような声でセイディは喝を飛ばした。


 「何をしている! この場から逃げろ! 死にたいのか!!」


 そんな泣き叫ぶような声を聞いていたのか、それとも聞こえていないのか、後ろの市民たちは我さきにと、転んだ人を踏みつけながら散り散りに走り去っていく。だが、転んで動けずにいるものもまだいるため、セイディもここを動くわけにはいかなった。


 それを見ながらセイディは歯噛みしながら、体勢を低くして、ショートソード剣先を、瓦礫から起き上がろうとしている鎧の天使に向けた。


 (そういえば、昔、あのバカ王子に言われたことがあったな……。貴族や王は、こういう時の為に、民から命という金をもらい受けるのだと……。なら、アイツが戻るまで、ボクもそれを果たそうか……)


 静かに自分に言い聞かせながら、セイディはショートソード手に取り、大きく飛び上がる。飛び上がったセイディを地上から突き刺そうと、鎧の天使は槍を突き上げるが、セイディはそれを、身を捻ってショートソートで弾き飛ばし、鎧の天使の胴体に組み付く。そして間髪入れず首元の鎧の隙間にショートソードを上から地面に突き刺すように滑り込ませる。

 生きている肉や骨を引き裂く音と共に、鮮血が輝く白い羽や天使の輪に飛び散り、突き刺したセイディの深緑の髪の毛と純白のワンピースに深紅の汚れをべっとりとつけていく。

 鎧の天使は数秒間もがくように暴れたが、すぐに収まり、セイディを引きはがそうとする太い腕をだらりと地面へと降ろした。


 刹那、鎧の天使は光の粒子となり泡のように消えていった—————



 それは、鎧の天使が持っていた槍だけでなく、身に着けていた鎧、そして、飛び散っていたはずの血液ですら、一滴残らず泡沫の夢のように光となって消えていった。まるで、はじめからそこに何もいなかったかのように—————



 それを見たセイディの目は見開かれることになるが、先日も同じような現象を見ているため、必要以上に驚くことはなかった。

 それとほぼ同時に、各地でセイディのように動いている者たちや、出遅れたリリアルガルドの軍が動き出し始めた。だが、各地で上がる悲鳴や怒号はなかなか消えることはなかった。

 聞こえてくるのは焼けつくような空気の中で、泣き叫ぶ子供の声……



 セイディはショートソードをもう一度強く握りしめ、奥歯を強く噛みしめて、泥にまみれた素足で、鉄のように焼かれたレンガの上を飛び越えて走り出した。



 ◆◆◆



 わずか数刻後—————アリッサ



 人混みを抜け、街の灯りが燃え盛るような炎の灯りに移り行く道の中、アリッサはペルートスと共にひたすらに走り抜けていた。だが、こちらを追ってくる影がちらほらと現れ始めると、アリッサはペルートスと並走するような形で短い指示を飛ばしだす。


 「ペルートス……貴族宿舎までは走れる?」

 「お任せあれ。して、そこに何が?」

 「そこにはせんぱ……じゃなかった。パラドイン・オータムっていう頼れる人もいる。こんな状況だけれど、あの人なら必ず力になってくれるはずだから、サリーとエステルをお願いできるかな」

 「メェェェ!! お任せあれ! このペルートス、命に変えましても必ずやお二方を御守りいたします」


 心配そうな目でこちらを見つめるエステルとサリーに対し、アリッサは不器用に微笑み、そして、すでに瓦礫だらけとなった地面を蹴り上げる力を徐々に弱めていき、やがてその場で立ち止まる。

 街で見た鎧の天使の光は、ペルートス達の進行方向には見えないため、おそらくは問題ない。たとえ密偵がいたとしても、ペルートスならば撃退してみせるだろう。

 だというのであれば、今やるべきことは決まっていた。


 アリッサが立っている地点を通さないこと。その上で、一体でも多く倒すこと……。逃げながら、街の様子を眺めていたが、この街の冒険者や衛兵が束になって苦戦しているところを見るに、鎧の天使たちの推定レベルは60~80といったところであろう。現在のアリッサのレベルは65であり、一体ならば単独でも対処は可能……が、しかし、相手はまるで統率のとれた軍隊であるかのように、陣形を崩さずに、一糸乱れぬ連携をしているため分が悪い。


 おまけに、現在のアリッサが所持している武器に、一番使い慣れた剣はない。というのも、前日の大会の時に壊してしまったためである。短剣は一応あるが、学院支給のものであるため、今のアリッサが振えばすぐに壊れてしまう。

 だが、そんな状況にも関わらず、アリッサの口角は少しだけ上がり、膝や肩に無駄な力は入っていない。マジックバックから一本の槍を取り出し、少しだけ両手で回す。すると、足元の地面に一本の線が走り抜け、アリッサの死守すべき境界線を作り出す。

 回転を止めて、槍先を地面へと向けると、それは、アリッサの身長よりもほんの少しだけ長い両刃の白銀に光る穂が付いた管槍であった。柄の中間付近に備え付けられたかぶら巻と口金には青色の魔石が取り付けられている。これも、ララドス武器商店で作り出された試作品であるが、発想は、キサラの故郷であるヤマトの国から輸入された武器らしい。


 「さてっと……こっから先は通行止めですよー……なんちって……」


 そんなアリッサの軽い冗談に対し、こちらに向かってくる鎧の天使たちはわずかに聞き耳を立てているようにも見えた。ガチャガチャと金属の擦れる音を鳴らしながら不格好に翼を広げて低空で飛んでいる天使たちは、アリッサにまるで興味がないように通り抜けようとする。


 刹那—————


 アリッサはノーモーションから横を通り抜けようとした天使の肩に向けて突きを放つ。不自然な姿勢から突き出したのにも関わらず、槍に取り付けられた二つの魔石が輝くと同時に、槍本体が高速で回転し、突き出したときよりも数十倍の威力を伴って、空気を切り裂く音が遅れてやってくる。

 それは鋼のように鈍色に輝く天使のフルプレートアーマーの肩の部分を易々と砕き、左肩を切断し、胴体を半分ほど食い込ませたところで停止させる。

 だが、その感触にアリッサは想像以上の違和感を覚える。中身は確かにあると思っていたのだが、肉を切り裂く感触にしては弾力や抵抗があまり感じられなかったからである。だが、鎧が砕けた瞬間に見えた肩の肌部分などは、人間のような色味をしていたため、余計に思考を混乱させる。


 本来であれば、肩を粉砕して止まる計算をしていたはずの管槍も、想定以上に相手に食い込んでおり、赤黒い液体をレンガへと染み渡らせ始めていた。そのため、人間を殺してしまった感触というよりは、なにか泥人形でも叩いているかのような感触をアリッサは覚えたのである。

 そんな奇妙な感触からアリッサを現実に引き戻すかのように、鎧を貫かれた天使から中年の男性のようなうめき声が聞こえて、鎧の分だけ刺し貫いた槍が重くなる。

 しかし、それも数秒の間だけであり、アリッサが殺してしまったはずの鎧の天使の中身の男は、その肉体、鎧、武器、砕けた鎧の破片、飛び散った肉片や血液、その他すべてを含めて、一瞬で、まるでシャボン玉が弾けるかのように、光となって闇夜に消えていく。だが、モンスターを殺した時と同様に、僅かなマナがアリッサの中に入り込む感触もあった。


 アリッサは目の前で起きたことに眉をひそめながら、再度槍を構え直す。すると、仲間を殺されたことに反応して立ち止まっていた鎧の天使たちが、ひそひそと会話を始めていた。


 「あいつ、魔族じゃない、人間だ」

 「でも、ウォルマートをやった」

 「魔族を庇ってた」

 「ターゲットを逃がしてた」

 「じゃあ敵だ」

 「じゃあ魔族だ」

 「じゃあモンスターだ」

 「じゃあ死刑だ」

 「「「「敵は皆殺しだ—————」」」」


 残っている鎧の天使たちは声を重ねて、未だに困惑しているアリッサの方へそれぞれの武器を向けた。前衛の天使は大きな盾と、槍や大剣を構えて、視界や進路を塞ぎに来る。

 後方の鎧の天使たちは、魔術の詠唱をはじめ、アリッサを仕留めるために、丁寧に魔方陣を構築させていく。


 それを一つ一つ、両の目と耳で確認しながら、アリッサは静かに腰を落とし、武器を強く握る。アリッサとて、ここで折れるわけにはいかない。それは後ろにいるサリーやエステルのためだけではない。逃げている途中で、見て見ぬふりをしてしまった逃げ惑う誰かのためでもある。全てを守り切れるとは思っていないが、自分の出来る範囲で、やらなければならないという僅かな正義感がアリッサを動かしていた。

 たとえそれが、人殺しの道を歩み始める第一歩であったとしても……


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