第7話 敗北を超えて


 アリッサは全身に残る痺れを感じながら飛び起きる。上半身を勢いよく起こし、周囲を見渡して、ここがどこであるのかを確認する。アリッサの最後の記憶は、壊れた武器の魔石を暴走させたところまでである。そこから先は魔力切れと疲労により記憶が途切れてしまっている。

 周囲を見渡してわかるのは、ここが闘技場ではなく、リリアルガルド中央魔術学院の保健室の中であるということである。保健室には、レースの仕切りが設けられており、その向こうには怪我や体調不良を起こしたでろう生徒たちが休んでいることがわかる。窓の外を見れば、朝早くの試合を行っていたはずなのに、夕暮れ時特有の茜色の光が開いている窓から差し込んでいた。どうやら、想像以上に長い時間寝てしまったらしい。

 

 試合の結果はどうなったのだろうかと疑問に思いつつも、うなされていたのか寝汗が酷いことを自覚して思わずため息が出てしまう。だが、そんなアリッサを見て、ベッドの横で腰かけていたある人物が読みかけていた小さな本を閉じてこちらに目線を向けた。

 自らの耳を覆い隠すような少し長めの癖のかかった珊瑚色の髪。腰まで伸びた毛先がゆるいウェーブのその髪質はきちんと手入れがされているのか、艶やかに煌めいている。アリッサと同じぐらいの背丈であるのにもかかわらず、育成の行き届いた胸元と、曲線の少ない顔立ちから、彼女が今現在のような制服を着ていなければ学生であるという判別が難しい。最近、急激に落ちてしまった視力を補うためにかけている丸ブチのメガネの下のローズレッドの優しくぱっちりとした瞳で見つめられ、花の蜜のように甘い彼女の匂いを嗅げば、ありとあらゆる人が魅了されてしまうことだろう。

 彼女のことをアリッサはよく見知っている。一緒に立ち上げた冒険者ギルド『華の同盟』に所属し、同じ学科で、親友と呼べる人物……名前をフローラという。

 フローラは読みかけの本を膝の上に置き、飛び起きて困惑しているアリッサの方を見つめて静かに口を開いた。


 「起きたのですね。どこも外傷はないですし、寝ていたのは単なる疲労だと思いますよ。最近は、ずっと頑張っていたからですね」

 「フローラ……私……」

 「アリッサ……。お話の続きは別の場所でしましょうか。ここでは、他の人に迷惑が掛かってしまいます」


 フローラに促され、アリッサは言いかけていた言葉を喉の奥に押し込めて、そそくさと荷物をまとめる。いつの間にか取り外されていたマジックバックや、その他のベルトなどを付け直して、最後に自分が寝ていた布団を整える。

 起きたばかりのはずなのに、不思議と気怠さはなく、いつもと同じように動けていることにアリッサは安堵しつつ、病室を後にする。





 そうして、フローラに案内されて歩き、いつの間にか誰もいない校舎の廊下にたどり着く。窓がない大理石の手すりに手を突くと、初夏の風が自分の火照った顔を撫でる。瞳の奥に広がる景色は、リリアルガルドの中枢都市であるベネルクの灯りが星空のように見え、お祭りのようににぎわっていることがわかる。丘の上に立っているこの校舎特有の景色なのだろう。

 アリッサが立ち止まったのを見て、フローラも足を止め、アリッサと同じ景色を眺め出す。

 そうして、今しばらくの静寂が流れた後、フローラがこちらを振り向かないまま口を開いた。


 「見てたよ……アリッサの試合—————」

 「それは……その……。ごめんねー、あはは……。無様なところを見せちゃって……」

 「そんなことありませんよ。強敵相手にきちんと戦い抜いたじゃないですか……」

 「でも、ほらさ……。結果なんて聞かなくてもわかるぐらい一方的で……。結局、努力をしても私なんかじゃ勝てるわけなかったってわかったし……どちらかと言えばプラスになったかなーって……。ほら、経験っていうかさ、なんていうか……」


 早口でまくし立てるように、そして何かを誤魔化すように話すアリッサを、フローラは横目で少しだけ見て、すぐに夕暮れの景色の方に目線を戻す。まるで、わざとこちらを見ていないようであった。


 「それで……次はどうするんですか?」

 「え? 次って? だって、私は敗退しちゃったし、残るはキサラさんの応援だけでしょ? キサラさんなら強いしきっと優勝まで行っちゃうから、今から横断幕とか作らなきゃ……」

 「そうじゃなくて、アリッサが—————。いえ、私たち『華の同盟』が次になにをするかですよ」

 「なーんだ、そっちかぁ……。うーん、どうしようかなぁ……。流石に学校もあるし、もう一度、強化合宿もできないからなぁ……」


 悩むような素振りを見せたアリッサに対し、フローラは静かに沈みゆく太陽を眺めていた。何もしゃべらない長考が続き、沈みかけの太陽が水平線の向こうに沈んでいく景色だけがずっと続いていく。

 そんな静寂の最中で、フローラがたった一言だけ、アリッサに告げた。


 「アリッサ……お疲れ様です」


 フローラの母親のような言葉を聞いた瞬間に、アリッサの中の何かが切れた気がした。義理の両親のはずなのに、自分を本当の娘のように育ててくれた両親を思い出し、いつの間にか唇が震えていた。肌に食い込むほど拳を握り締め、奥歯を噛みしめても、頬を伝わる塩辛いものは止められず、とめどなく溢れ出す。手の甲で拭おうとも、気が付くと元の状態に戻ってしまう。そんな状態にも関わらず、アリッサはしおれた声を絞り出して、精一杯の笑顔を見せようとした。


 「フローラ……私ね……負けちゃった……」

 「そうですね。試合を最初から最後まで見てましたから、ちゃーんと知ってますよ」

 「フローラ……私ね……私は……」

 「自分の持てる力を全て注ぎ込んでも勝てない相手……。正直に言えば、私もそういう相手に嫉妬することはあります」


 俯いて何もしゃべらないアリッサを横目に、フローラは完全に沈んだ太陽から目を離し、灯りの差し込まない廊下に『トーチ』の魔術で小さな太陽を作り出す。


 「私からしてみれば、キサラさんも、あなたも、才能に溢れている人です。でも、それを上回る天才が世の中にはいる。そんな人たちには永遠に勝てないのかもしれません。でも—————」


 フローラはローズレッドの瞳を静かに閉じて、言葉を止めた。そして、アリッサの方へと向き直り、再びまぶたを開ける。


 「どんな才能を持っていようと、どんなに勝てない相手だろうと、私やあなたが歩いている道は同じ地続きにあります。だから、歩いていけばきっと、そこにたどり着ける。どんなに遅くても、どんなに挫けても、どんなに相手を妬んでも、笑ってもう一度立ち上がることができれば、私たちはどこまでもいける」

 「でも、その間に、あいつは……あいつらは……どんどん強くなって—————」

 「『だからどうした』———————」


 唐突なフローラらしからぬ言葉にアリッサは驚き、思わず顔を上げてしまう。だが、きつい言葉とは裏腹にフローラの顔を見ると、朗らかに笑っていた。


 「いつもなら、この言葉をアリッサが言っているのでしょうけど、今回は逆ですね……。あぁ、それと、負けたぐらいでうじうじと縮こまっていたら、キサラさんにも笑われてしまいますよ。第一、あなたはまだ生きているのですから、次に勝てばいいだけじゃないですか」

 「それができれば……」

 「才能がなんですか。知識がなんですか……。いつだってアリッサは、使える手札を全部使って、ありとあらゆる逆境を何とかしてきたじゃないですか……。この程度がなんだというんですか……」

 「方法はなんてない。私は……結局……」


 奥歯を噛みしめて、アリッサは自分を振り返る。おそらく、アリッサが『先輩』と慕っているパラドインと肩を並べるには、数えきれないほどの地獄を潜り抜けなければ無理なのだろう。アストラルと対等に戦うためにもまた、何度死にかけても、何度挫けても、立ち上がることができなければならない。

 アリッサという少女は結局のところ、『普通の人間』でしかない。小説やアニメの主人公のように、あらゆる場面で役立つようなチートのような才能があるわけでもなく、数百年という長い間で同じことをし続けて精神が壊れない化け物でもない。

 使える能力も中途半端で手数が少ない。精神も、楽な道があるのならば例え破滅だとしてもそちらの方を取ってしまうほどに年相応で脆い。


 そんなアリッサの手を取るように、フローラは俯いて動かない縮こまったアリッサの両肩を軽く叩いた。


 「アリッサ—————。今、私が言いたいことがわかりますか?」

 「——————フローラ?」


 アリッサは掴まれた肩に驚いて顔を上げてフローラのローズレッドの瞳を覗きこんでしまう。真剣なその表情は優しく笑っているように見えるが、何かを訴えかけているようにも見えた。


 その瞬間に、アリッサはなんて自分が愚かなのだろう、と気づいてしまった。


 『周囲のことを見ろ』と説教をしたこともあった。『周りが悲しむことを考えろ』と遠まわしに言われたこともあった。そんな自分が、今まで何をしていたのだろう。


 二週間前に死にかけて、戦力外通告を受けて、そのことが悔しくて泣き叫んで、それからなのだろうか……。


 一体、いつから、自分の視界はこんなにも狭かったのだろうか—————



 一体いつから、周りのことが見えなくなっていたのだろうか……。バカみたいに突き進んで、バカみたいに努力して、バカみたいに一人で負けて、バカみたいに泣きじゃくって……。

 一体いつからこんなにも単純なことを見落としていたのだろうか……。その間に、どれだけ愚かなことをしたのだろうか……。耳を塞ぎ、視界を狭めて、何も聞こうともせず、だれにも頼ろうともせず、一人で考え、一人で走り出して、一人で——————



 「あ……あぁ……あっ——————」



 声にならない声がアリッサの口から洩れた。あれだけ忠告されていたのにも関わらず、また独りよがりになっていた自分が恥ずかしくて、同時に情けなくて、いつの間にか溢れ出ていたはずの涙が止まっていた。

 奇しくも、1か月前にフローラにかけた言葉と同じような言葉で、今度はアリッサがそのことに気づかされていた。


 「もう一度だけ聞きます。アリッサ……あなたは次に何をしたいのですか?」


 アリッサは、フローラにかけられた言葉とその意味をもう一度考える。今度は間違えないようにしなければならないと、頭を回転させ、何かをしゃべろうと口を開く。だが、そんな時に限って空回りを始めて、声にならない声だけが口から出ていく。


 あまりの自分の不甲斐なさに後悔しながら、いつまでも返答を待ってくれているフローラの顔を濁らせるわけにはいかないと、アリッサはもう一度拳を強く握りしめ、そのまま右手を胸に当てて、一度だけ深く空気を吸い込む。

 ゆっくりと吐き出していったときには、何かがかみ合わさったように、思考が元の状態に戻りだす。それを確認し、アリッサは自身の薄桃色の瞳を見開いて、半歩だけ前に歩き、肩を掴んでいたフローラの顔に自身の顔を近づけた。


 「私は、もっと強くなりたい!」


 強く力強い返事に、フローラは思わず表情を崩して、口角をわずかに上げて優しく微笑む。


 「では、もう一度頑張りましょうか。あ、でも、前みたいな特訓はごめんですからね!」


 そう言いながら、僅かに赤みを帯びたエルフ特有の長い耳を揺らして、フローラはアリッサに背中を向ける。


 「えー、あれが一番効率いいのにー」

 「効率がいいことと、持続力があることは話が別です。このまま何度も続けるのならば、あの方法ではそのうち止まりますよ」

 「じゃあ、どうすればいいのさ!」

 「そうですねー……」


 そう言いかけたところで、フローラは何かを思い出したように、アリッサを置いて歩き始めてしまう。アリッサも置いていかれないように、フローラの少し後ろを追いかけて歩き出す。


 「なにかいい方法思いついた?」

 「うーん……。これから考えましょう」

 「えー、なにそれー……」

 「あなたの癖でしょうに……。それじゃあ、帰りますよ。三人で考えれば少しはまともな意見が出るでしょうから——————」


 自信気に胸を張るフローラも、それに茶々をいれるアリッサも、どちらも少しだけ顔の一部を赤くして、互いに歩調を合わせだす。ただ一つ言えるのは、どちらの表情も、病室を出たときのような固さがなく、朗らかに笑っていた、ということだけであろう。



 だが、そんな二人の空気を切り裂くように、十字きられた廊下の曲がり角でとある人物たちとすれ違った—————

 


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