第2話 いざ、貴族の寮宅へ
アリッサはサリーを送り届けるために一度、少し離れたセントラルへと戻り、居場所の聞き込みを開始する。結果だけを言うのであれば、探している相手がド派手な立ち回りばかりしているせいもあって、学院の中で住んでいる宿舎などは苦労せずに手に入れることができた。
だが、その過程において、左腕に抱えた子供のせいで、あらぬ疑いをかけられているアリッサであったが、事情を説明するわけにもいかず、軽い否定のみで済ませるしかなかった。
後日、校内新聞で騒がれたのだが、一時の風の噂だけで、すぐに下火となって消えていくこととなったという。
話を戻し、今現在はようやくたどり着いたセントラルの領内にある貴族用の貸し出し別邸にアリッサは来ていた。だが、普段脚を運んだことのなかったため、驚きつつも、かなりの場違い感があるような服装で進むしかないアリッサであった。というのも、貴族のようにお茶会やパーティの為にドレスを購入するような習慣はない上に、街中を出歩く際もスーツやドレスを着ることもない。したがって、昼間のままの冒険者装備であるため、すれ違う人からは注目を集めることとなる。
そんな痛々しい視線に、多少なり居心地の悪さを覚えつつ、目的の一軒家の前までたどり着く。1階建ての家のように見えるが、アリッサの住んでいるような2人一部屋の寮の部屋と比べると、世界観が丸ごと変わる。
だが、臆してもいられず、アリッサはサリーをいったん地面におろし、ドアにつけられた呼び鈴代わりのリングを打ち鳴らす。すると、何やら物音は聞こえてきたのだが、ドアが開け放たれる様子はない。ただし、ドアの前に誰かがいる気配はするため、とりあえずアリッサは聞こえるように声を張り上げる。
「あのー、すみませーん。ここ、アストラルが住んでるところで間違いないですよねー」
当然、反応はこない。それを加味してアリッサはドアののぞき窓から見えるようにサリーを両手で持ち上げてもう一度声を張り上げた。
「あのー、こちらのお宅のアストラルさんにこの子を路上に放置してどこかに行ったみたいなんですけどー。いらっしゃらないんですかー」
わずかにドアが開いたため、アリッサはさらなる追撃をかけるために、サリーを大事そうに抱きかかえ直す。
「空腹で倒れそうなところを保護したのですがー、もしかして知られたくない隠し子だったりしますかー。おーこーたーえーくーだーさーい」
近隣住民の迷惑も考えず、言いふらすような口調で声を張り上げるアリッサの手を、ドアから伸びた細い腕がからめとり、抱きかかえたサリーごと中に引きずり込まれるまでそう長い時間はかからなかった。そうして、即座に閉じられたドアの内側で、アリッサは感嘆の表情を浮かべていた。
扉を即座に閉じてこちらに何かを訴えかけるように見ているのはおそらく、この家で家事などを行っているアストラルの侍女であろうか。
足先まで伸びているフリルのついたロングスカートのメイド服を着た彼女の頭には白い毛並みの耳が付いている。金色のようなゆるくふんわりとした長いウェーブに、同じような金色の丸い瞳。長袖のメイド服の内側にある腕は華奢であり、すぐに折れてしまいそうなほど細い。
「—————————」
そのメイドは頬を膨らませて、こちらに何かを訴えかけているが、何もしゃべろうとはしない。その光景を不思議に思い、アリッサは逆に相手に尋ねだす。
「あのー……。ごめんね、とりあえず門前払いされるわけにもいかなかったからさ……」
「……——————」
「いやだから、しょうがないじゃん。私だってこの子を置いてけぼりにした人の関係者がアストラルだってことしかわかってないんだから……」
「———————?」
あまりにしゃべらない上に、顔だけで喜怒哀楽を示していることから、アリッサの顔の眉間に少しだけしわが寄る。だが、何かを察したのか、アリッサは目の前のメイドにとあるものを取ってくるように促す。
「とりあえず、奥にあがっていい? あと、紙とペンを用意してきて……。私はアイツみたいにテレパシーとか使えないから」
「———————っ!!」
アリッサが申し訳なさそうにすると、メイドの女性は驚きの表情に似た口の形を示し、アリッサたちに奥へと上がることを促す。そんな会話をしていると、いつの間にか腕の中のサリーが眠ってしまったらしく、すやすやと穏やかな寝息を立てていたため、アリッサは案内された応接間にて、メイドが戻ってくるのを待ちながら自身も腰を下ろす。
サリーに関しては、アリッサの膝を枕にして起きる気配を見せないため、頭を撫でながら、さらなる睡眠を促していく。
そうして、サリーの様子を見ていると、高級そうな菓子と共に、紅茶が運ばれてきて、アリッサの前に置かれた。だが、一向に対面のソファに座ろうとしないメイドを見て、アリッサは苦笑いを浮かべつつ、座るように促しだした。
「あなたも座って……。私も貴族とかじゃないから、気にしなくていいよ」
「——————?」
「あのね、私は今、あなたとお話がしたいの。だから、話しやすいようにそこに座ってもらえるかな?」
アリッサの言葉を聞いて、メイドは小さく頷くと、アリッサの対面のソファに恐る恐る腰かけた。
「私はアリッサ。アストラルとは同級生なんだけど……あなたの名前は?」
メイドは膝の上で、メモ帳に似た小さな紙の束にスラスラと文字を書き、アリッサに見せる。そこには丸くかわいらしい字で『エステル』と書かれていた。
「エステルさんね。ごめんね、急に押しかけちゃって……。私もこの子と今日あったんだけど、どうやら、この子の知り合いの中にアストラルがいるみたいでさ……。なんか訳ありっぽいし、衛兵の詰め所に連れて行くより先に、本人に確認を取ったほうがいいかなって思って……。あいつは、どこにいるの?」
「———————っ」
ペンを持っていたエステルの手が止まり、ペンを動かそうともせずに小刻みに震えているため、アリッサは会話を切り替える。
「もしかして、名前とかしか書けない? 無理そうなら首を振るだけでいいよ」
エステルが小さく、かつ弱々しく首を縦に振ったため、アリッサは少しだけ考えるそぶりを見せつつ、会話内容を『YES』か『NO』で限定できるように思考を巡らせていく。ちなみに、リリアルガルド以外の国で、こういった文字の読み書きができない子供がいるのは別段珍しいことではない。加えて、彼女は声が出せないハンディキャップを背負っているらしい。
前世で半身不随だったアリッサにとって、その程度のことで何かを憐れむようなことはしない。むしろ、どうするべきかを考えてコミュニケーションを取ろうとする。
「えっと……あいつの居場所は知ってる?」
これには首を横に振って『NO』
「じゃあ、帰る時間は?」
これにも『NO』
「うーん……。じゃあこの子のお世話はできる?」
これには『YES』
「できるんだったらまぁいっか……。ちなみにエステルさんとアイツの二人でここに暮らしているの?」
少し悩んだのちに『NO』
「頻繁にここに来る人がいるとか? その人はあなたが信頼できる人?」
二回連続で強い『YES』で首を大きく振る。
「じゃあ、その人が帰ってくる時間とかはわかるかな?」
自信がないのか、小さく『YES』
「詳しい時間とはいらないからさ。もうすぐ帰ってくる?」
ポケットの中の懐中時計を確認してから、力強く『YES』
「じゃあ待たせてもらっていい? あ、これ、お土産。持って帰ったら悪くなっちゃうだろうし、そっちで食べて」
そう言いながらアリッサがマジックバックから市場で買った羊肉を手渡す。受け取ったエステルは小さく頷くとしまうために一度、駆け足で退席しようとする。アリッサはそれを見て、廊下にも聞こえるような声でエルテルに話しかけた。
「しまってきたら戻ってきてねー。もうちょっとお話しましょー」
その言葉に対し、走り去っていったエステルがどういう反応をしたのかは見えなかったが、すぐに戻ってきたため、どうやら意図は伝わっていたらしい。そうして、アリッサはエステルと共に、アストラル以外の同居人が帰ってくるのを小一時間ほど待ち続けた。その間に、アリッサの膝の上で寝息を立てているサリーを起こさないように、たまにエステルと位置を交換しながら少しずつ打ち解けていくアリッサであった。
◆◆◆◆
日常的な会話を、お菓子と紅茶と共にエステルと嗜んでいると、カギを開ける音と共に誰かが家の中に入ってくる。どうやら、エステルが言っていた信頼できる人が帰ってきたようだ。エステルはそれに気づいて、即座に立ち上がり、迎えに行くために小走りで玄関の方へ……そして十数秒後に中性的な顔立ちの人物を部屋に招き入れた。そんなエステルの表情はどこか興奮気味で、新しいおもちゃを見せびらかすようであったため、アリッサは思わずその人物に苦笑いを浮かべてしまう。
「えっと……その……お邪魔してます」
「あなたは……誰です?」
「あ、えっと……アリッサです。アストラルと同級生の……」
エステルのいう信頼できる人は、アリッサを見るなり、ポーチの中から杖を見えないように取り出していたが、アリッサはそれに臆することなく会話を続けた。
フローラよりも長く、少しだけ垂れ下がった耳、庭一面に広がるような癖のない綺麗な深緑の頭髪、炎のように赤と黄色に揺らめく瞳には見るものを魅了する独特な雰囲気がある。身長はアリッサよりも少し高く、顔立ちや体型は女性にも男性にも捉えられそうではあるが、今現在は春物のワンピースを着ていた。
その人物は、アリッサのあまりの堂々とした態度と、興奮気味に腕を掴むエステルを見て、大きなため息を吐きつつ、静かに魔術用の小さな杖をしまった。
「あの……名前を聞いてもいいですか?」
「名前? あぁ、セイディ・ライスターだ。エステル、そろそろ夕食の時間だろう。準備をお願いできるかな?」
セイディがエステルに軽く声をかけると、エステルは嬉しそうにしながら部屋の外へと駆け出していった。残されたのは、完全に初対面のセイディとアリッサの二人だけである。ついでに言えば、アリッサの膝の上で寝ているサリーがいるが、これは起きる気配がないためノーカウントである。
おそらく、セイディは意図的に二人の空間を作り出したであろうということがアリッサにはすぐに分かった。それを証明するかのように、セイディは談話室のドアを閉めて、アリッサの対面にゆっくりと腰かける。
「さて……お前は何者だ……」
「だから、さっき言った通り——————」
「では、質問を変えよう。ボクは遠まわしな表現が嫌いでね、単刀直入に聞かせてもらう……キミは何の目的でここに来た?」
「あぁ、この子についてのお話です。サリーって言うんですけど、この子がどうやらアストラルの関係者みたいなので」
「嘘をつくなら、もう少しまともな嘘をついたらどうだい? エステルにはどうやら好かれたようだが、ボクが彼女みたいにお前のような奴を信用すると思わないでくれ」
「嘘はついてないです。私はただ、サリーが訳ありみたいで衛兵詰所に引き渡すこともできず、話を聞いたら、この子がアストラルのことを知っているみたいだったので、これはもう、そういうことなんじゃないかと……」
「そういうこと……とは?」
「ご想像にお任せします」
セイディはサリーを凝視して、少しだけ悩んだのち、無言で立ち上がる。そして、話が長くなると思ったのか、自分でワゴンの上にある紅茶瓶からティーカップに紅茶を注ぎ、元の席に戻って、何もしゃべらないまま、無言の一杯を飲み干した。
そして、気持ちを落ち着かせて、ティーカップをテーブルの上に置いてから、まるでこの長い無言の間が存在しなかったかのように、会話の続きに花を咲かせる。
「つまり、キミは……『数年前にアストラルが天使族の女性とセックスをして、子供を作り、あろうことかそれを、この街に捨てて放置し、今になってそれが出て来たのではないか』と言いたいのか?」
アリッサも優雅に紅茶を飲みつつ、セイディの想像を聞き終えてから、まったりとした動作で紅茶のティーカップを再度テーブルの上に置く。
「まぁ、その線もあるのではと考えましたが、私としては、『この街の遊女と遊んだ際に名前を覚えられて、無理やり押し付けられた説』とか、『遠い親戚がアストラルの噂を聞いて放置した』というのも捨てがたいと思いますね」
「確かにその線もあるか……。まぁ、いずれにしても、あいつは初心だ。誘われればホイホイと腰を振る野獣ではあると思うのだが、自分から歓楽街に行く勇気など持ち合わせていない。つまり童貞だな」
「じゃあこの子は?」
「天使族の子供か……。たしかに、おいそれと詰め所に持っていっていい案件ではないな。まぁ、こちらに厄介事として持ち込んでいい案件でもないわけだが—————」
「この子を引き連れてここまで誘拐紛いに連れてきた私を褒めるべき……っと、それより、私の目的ですけど、ぶっちゃけて言えばこの子の保護と親元へと返還なんですけどできます?」
「む……たしかにそうだな。アストラルがセックスしたのか否かは重要ではないな。保護と返還に関して言えば可能だろうな。だが、ここで問題になってくるのは、彼女の出自だ。奴隷で流されてきているならば、下手に手を出してさらなる面倒ごとになるのは回避したい」
「それ、どうやって見分けるんです?」
「まぁ、脱がせるのが一番早いな。体のキズやら焼き印の有無を確認する」
「なるほど……って、ここはリリアルガルドですよ。奴隷は法律で禁止されてますし、その可能性は低いんじゃないですかね」
「名前を変えているだけだ。馬車馬のように働かせられているやつもいる。それに、お隣のクソリーゼルフォンドでは魔族を奴隷として扱う風習もあるしな」
「噂通り、リーゼルフォンドと魔族国家はお仲がよろしいようで何よりです……。とりあえず、サリーが奴隷かどうか確かめるのも兼ねて、着替えさせよっか」
セイディが黙ってうなずいたのを確認し、アリッサは、サリーの羽織っていたボロボロの布に手をかける。サリーは相当に熟睡しているのか、起きる気配がない。アリッサは仕方なく、寝かせた状態のまま、留め具を外して、起こさないようにゆっくりと色あせたベールをほどいていった。
服装は、季節に似つかわしくない薄手のワンピース……。だが以外にもそれは小綺麗であり、汚れなどはほとんど見られない。
しかしながら、サリーの胸元に埋め込まれた魔石を見ると、普通の天使族ではないことも即座に分かった。緋色の魔石はサリーの肉体と同化し、まるで生きているかのように脈動している。だが、それよりもアリッサの注意を引いたのは背中に生えている翼であった。
結論から言うのであれば、純白の翼は根元の少し後ろで無残にも斬り落とされ、僅かに露出した残りの小さな翼の痕跡しかなかった。ずいぶん前に落とされているのか、傷口には縫われたような痕跡があり、今現在は出血などの心配はないようである。
それらのサリーの特徴を見たセイディとアリッサは思わず息を飲みこんでしまう。アリッサはサリーの身体的特徴から奴隷であったという可能性を意図的に排除する。何故ならば、背中の翼意外に目立った外傷はなく、むしろきれいすぎる程の肌つやをしていたからである。だが、それと同時に、一つの仮説が成立してしまったのも事実である。その答えは、同じことを考えていたセイディが、苦虫をかみつぶしたような表情をしながら、自らの爪を齧り、悔しさを露わにしながら口にした。
「このサリーって子……実験動物にされていたようだな……。やりやがったのはこの街の暗部か? それとも他国の連中か?」
「落ち着いてくださいよ。もしも、この国で行われていたのならば、今頃この家が襲撃されているはずですから……」
「何故そう思う?」
「ここに来るまで、かなり多くの人に見られましたから……。でもそれがまだ漏れてない……いや、伝わってないってことは、相手方が遠くにいる確率が高い」
「だが、いずれ伝わる。そうなったら、ボクやお前程度なら即座に処理されて終わりだろうな」
「だから、この子を私に引き合わせた誰かは、『アストラル』を選んだ……」
全てが嫌な方向で繋がっていく。唯一、良かった点があるとするのならば、アリッサが何事か起きるよりも早く、ここへと連れてきた点だけであろう。
「その誰かとやらの目的はなんだ? この子の救済か? それともボクらの破滅か?」
「わからない……。私だって、そんな人物に心当たりなんてない。もしかしたらアストラルだって……」
「ならどうする? この子を見捨てて……見なかったことにして街の衛兵詰所に連れていくか?」
「それは……でも……」
「そうだ。その通りだ。お前はここにこの上なく面倒なことを持ち込んだ。それを解決するだけの金も力もない。ボクたちはキミの友達ではないし、キミを助ける義理も存在しない。これほど厄介なクエスト……まるで『銅貨一枚の依頼』そのものじゃないか」
『銅貨一枚の依頼』とは、冒険者組合の中で稀に起こるハイリスクローリターンの不条理な依頼のことである。主に金銭的に困窮したものが、最低金額である1ユート……つまりは1/100エルドの金額で依頼を出したもの。そのほとんどが、金額に見合わない危険なものばかりであり、誰も受けないクエストのことである。
そのことを突きつけられたアリッサは思わず、うなだれてしまう。これは、アリッサにとっても同じことであり、サリーという存在を見捨てれば、こちらにサリーを押し付けた誰かの依頼を蹴り飛ばすこともできる。それがわかっているからこそ、アリッサは思わずに不平不満を漏らしてしまう。
「私だって……好きでこの子をここに連れてきたわけじゃないですよ……。冒険者組合から依頼を受けたわけでも、知り合いに頼まれたわけでもない。今日、偶然に街であって、偶然に食べ物を与えて、偶然にあいつの名前を聞いただけ……。私は、頼られてもいないですし、ここに連れてくる義理も、理由もない……」
「そこまでわかっているのなら、やるべき行動は決まっているだろう。詰め所まではボクも送って行ってやろう」
そう言いながら、セイディは未だに眠っているサリーを抱き上げるために、手を伸ばした。だが、その右手の手首をアリッサが掴んで止めた。
「どういうつもりだ?」
「そちらがそういう考えなことも、私がなにも出来ないこともわかってる。でも、私はやっぱりこの子を見捨てられない……」
「勝手にすればいい。自殺志願者のお前とボクたちは無関係だ」
「ありがとうございます……」
アリッサは静かに礼を言ってセイディの手首を離す。セイディは掴まれた手首の調子を確認しながら窓の外を確認する。重い空気が漂う室内とは打って変わって、窓の外には、未だに刺客などの気配は存在せず、穏やかな空気が流れていた。
「だが、どうするつもりだ? 流浪者にでもなって、逃げ続けるのか?」
「これから考えます」
アリッサの意外な回答に、セイディは少しだけ眉を上げ、驚いたようなしぐさを見せた。逆にアリッサはこれからどうするべきかという不安に押しつぶされ続けていた。
フローラを助ける決断をしたときもそうであったように、悩みながら動き出すことはできても、そこから先に進む算段がない。今回の場合は、フローラの時のように、本人の意思に関係なく動けることだけが唯一の救いであろう。つまり、サリーは無知であるが故に、フローラの時のように悩まなくても行動ができるということである。サリー自身も、アリッサの行動を否定はしない。故に、サリーの今後の命運は全てアリッサに投げられたということになる。
それらの、重圧が、アリッサの心を押しつぶし、目をつぶりそうになってしまう。そんなアリッサを見て、セイディは少しだけ悩んだような素振りを見せ、ゆっくりと口を開く。
「ここを去る前に、一つだけ聞きたいことができた」
「なんです? この子のことなら話した以上の内容はわかりませんよ」
「違う違う。キミの行動についてだ……。話していてわかるのだが、キミはあのバカ王子とは違って、周りの影響や、自身に起こりうる状況をきちんと理解しているように見えた。だからこそ疑問に思ったんだ……。どうしてキミは、無謀だとわかっている選択肢を選んだんだ?」
室内にしばしの沈黙が訪れた。
セイディの言葉の通り、アリッサはこの先に起こるであろう結末を容易に予測できた。サリーなど護ることができず、自身は死ぬ。そして、それを悲しむ人も、恨む人も、あざ気笑う人もいる。もしかしたら、アリッサに手を貸そうとした誰かも巻き込んでしまうかもしれない。それらを理解しているのにも関わらず、アリッサは『サリーを助ける』という選択肢を取った。ありとあらゆる人に手を差し伸べるような聖人でもなく、弱者を見捨てることができない勇者でもなく、利害で動くような普通の人間であるはずのアリッサがその選択をした。その理由をセイディはわからなかった。
だが、そんなセイディの疑問とは裏腹に、アリッサは理路整然とした態度で寝ているサリーの頭を撫でながら、セイディの方を見て、屈託のなく微笑んだ。
「そうですね。この子を見捨てるのが正解で、見て見ぬふりして生きていくのが一番なのでしょうね」
「だったら、どうして—————」
「だって、その選択肢は、最高に『かっこ悪い』じゃないですか—————」
あまりの突拍子のない回答に、セイディの表情が固まる。そして、呼吸しているのか、それともこの部屋だけ時間が止まっているのかもわからないほど、セイディの頭はこんがらがった。目の前にいるのは明らかに異常者の類であろうということはその瞬間にわかった。だが、この異常者が一瞬、この家に住んでいるある人物と重なったことでその疑問は『笑い』へと変貌する。
細かく言えば、別な理由でその選択肢を取るのであろうが、その選択肢を取れなかったセイディにはその滑稽な答えの結末が同じであるが故に、重なって聞こえた。
それに気づいた瞬間に、セイディはお腹を抱えて、貴族である威風堂々とした態度が薄れる程に笑い転げていた。笑いを止めようとしても、ツボにはまってしまったのか、収まらない。そんな光景を見て、アリッサの方が困惑し始めたが、そのころには、セイディの笑いが収まり始め、立ち上がろうとしたアリッサを手で制する程には回復していた。
「言うに事を欠いて、理由が『かっこ悪い』だとッ!! ばからしいのにも限度があるぞ、まったく……」
「大まじめですよ、こっちは……」
「わかっている。だからこそ、笑わずにはいられなかった……。もしもこの場に、あいつがいたのならば、あいつはふた返事で承諾したであろうからな。できれば、こちらだけで断りたかったんだが……」
「あいつ?」
「お前の知っている人物……エニュマエル・アーストライアだ。お前の言うところで言えば、自称、魔王アストラルというところだ」
「なんで??」
「あいつは意外にもそういうやつなんだよ。味方びいきでな……存外にこの学院も気に入っている。そういえば、お前の話もしていたことがあったな。まぁ、いずれにせよ、あのバカ王子は後先も、周りの迷惑も考えないまま、お前の依頼を受けたってことだ」
「だから、この場で断ったんだね……。まぁ、相談に乗ってもらってありがとうございました。私たちはこれで失礼します。あまり時間もないですし、感づかれる前に色々と準備をしたいので……」
「まぁ、まて、アリッサ—————」
サリーを抱えて立ち上がろうとするアリッサを、セイディは目の前で指を振りながら停止させる。特に魔術的な効果はなかったが、アリッサは言われた通りに立ち上がるのをやめて、思わずセイディの方を見てしまう。
セイディは笑い転げたときと同じように悠々自適な態度を見せながら鼻歌を歌いだし、自分で紅茶をティーカップに入れ直し、それを一気に飲み干した。
「気が変わった——————」
そして、ティーカップを降ろすと同時に、小さく言葉を紡いだ。その言葉に、アリッサは困惑し、しゃべることすら忘れてセイディの方を凝視してしまう。
「気が変わった、と言ったんだ、この異常者。お前の依頼、アストラル第二王子の側近である、このセイディ・ライスターの名誉にかけて叶えてやる。もちろん、あのバカ王子の手を煩わせてな。なーに、普段、散々手を焼かされているんだ。このぐらいやってもらわなければ困る。それに、あのバカ王子に常識を叩き込むいい機会だ。この際、もう少しまともな選択肢を取れるように頭の中に種子でもぶち込んでやるか?」
「あ、あの……」
「なんだ、異常者。文句でもあるのか?」
「文句はないですけど、さっきと態度が別人みたいに変わったから……」
「貴族なんて大抵そんなもんだ。思惑を隠して、腹の探り合い。それをしないのはバカぐらいだからな。————っとそれより、これからの行動なんだが……」
「本当に唐突な人ですね……。いいですよ。悔しいですが、私が逃げるよりも、あいつの方が確実に護れるでしょうから」
「賢明な判断で助かるよ。まぁ、護るにしても、このままの状態じゃ流石にあいつの評判が下がるからな。とりあえず、その毟られた翼は治療させておくか……」
「できるんですか?」
「誰にものを言っているんだ。ボクはドリアードであると同時に、同時にドルイドでもある。この程度の傷を治すことなど造作もない」
ドリアードとは、植物系の亜人族のことである。種族的に言えば風属性や光属性が得意であると言われている。ドルイドとは、地方的に伝わる魔術師のことを指す。その事実を明かしたセイディは、自身気に小さな杖を取り出し、アリッサの膝の上で眠っているサリーの方に向けた。
刹那——————
嫌な汗がアリッサの背中を撫でた。アリッサはこの感覚を知っている。それは、誰かの思惑で与えられた天賦の才能である『虫の知らせ』……。自分の命の危機でのみ発動し、事前に警鐘を鳴らしてくれる。だが、状況をその時点で掴むことができなければ回避することもできない。
嫌な汗を感じた瞬間に、アリッサは即座に周囲を警戒するが、ほんの一瞬の間で見渡した限りでは、外敵は存在しない。今現在は、サリーに向けて魔術を発動させようとしているセイディしか確認できない。
だからこそ、アリッサは、サリーが膝の上で寝ていることを忘れたように勢いよく立ち上がる。同時に、セイディの魔術の詠唱が終わり、白色の魔方陣が輝いたかと思うと、アリッサが立ち上がった衝撃で起き上がるサリーを光がベールのように包み込んだ。
—————が、それはガラスが砕け散るように弾け飛んだ。
それと同時に首の骨が折れたのではないかと思うほど勢いよく、寝ていたはずのサリーの顔がセイディの方を向き、幼い碧眼ではなく、赤黒い泥のような瞳で無表情のまま凝視した。
アリッサはそれを確認するよりも先に、さきほど自分が座っていたソファ……つまりは今現在サリーが不自然な体勢で体を預けているソファを勢いよく蹴り飛ばし、同時に瞳孔を開いたまま呆然としているセイディの右肩を掴み、間にあった木製の高級なテーブルを叩き割る勢いで、セイディを叩きつけた。
そして自分もしゃがみ込むように真っ二つに砕けたテーブルの破片で怪我をすることを厭わずに床へとしゃがみ込んだ。
瞬間、部屋にあるすべてのものが爆ぜた——————
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