第4話 魔王アストラルの実力

 眠りに落ちてから何時間たったのだろうか。それともあまり時間が過ぎてないのだろうか。いづれにしても、アリッサの昼寝はあまり長くない時間で終了することなった。理由は単純で、周囲の音が眠りに入る前と比べて明らかに大きくなったからである。それはまるで、目覚ましのアラームをかけたかのように鳴り響いている。

 腹に沈むような重低音に震える大地、巻き上げられた砂ぼこりが、弾丸となって露出した顔や手にぶつかる。これと言って害はないが、そのような環境に置かれれば、よほどのことがない限り、嫌でも目が覚める。

 例えるならば、就寝した次の日に、隣の建物が騒音を考えずに早朝から工事を始めたようなものである。


 アリッサは、はじめの頃は黙って目をつぶっていたが、あまりのうるささに堪忍袋の緒が切れ、拳を握り締めながら目を覚ます。そして、顔や体にかかった泥を払いながら周囲の状況を見渡してみると、少し離れた位置で、誰かかが喧嘩をしているようだった。

 喧嘩といっても、魔術師同士の戦闘のため、高レベルのものとなれば、殴り合いだけでは済まされない。最悪の場合は、命を落とす危険性すらある。申請を出した試合ならば、きちんとそのあたりの保護もしてくれるのだが、今回はそれに該当しない。

 なぜならば、どこからどう見ても監督官のような立会人が存在しない。

 演習場の無断使用は、昼寝をしていたアリッサも同じなのだが、喧嘩をしている方は、整地されたところを破壊しているため、より性質が悪い。


 「どこの誰だよ……。人が寝ている近くでドンパチ始めたのは……。というか、口の中が砂利の味する……」


 アリッサは悪態をつけつつ、口の中にたまった砂利を唾と一緒に外に吐き出す。そして、首を左右に振り軽く骨を鳴らしつつ、木陰からゆっくりと立ち上がる。そして、スカートや服に残った泥汚れを手で払いながら、件の原因を作り出している人物が何をしているのかを目視で確認した。


 誰がもめているのかを確認するために、近寄ってみれば、入学式の後のパーティ会場でもめていた二人であった。とはいっても、片方はキサラではない。アリッサが割って入った後に、男の斧を素手で止めてみせた自称魔王のクラスメイトだ。漆黒のような黒い髪は眉下まで伸び、耳にもかかり、襟足は首元で止まっている。他人を睨むように鋭い深紅の瞳は、見ているものを威圧しているようだった。服装は着崩しているのか、わざとらしく襟を立てている。体系は服の下からでもわかる程度には鍛え上げられており、身長もアリッサよりは、頭の半分程度は大きい。アリッサは先日の魔術講義のことと共に、この男子生徒の名前を『アストラル』と記憶している。奇しくも、隣国の魔族国家である『アストラル』と同音異義語であるが、特に気には留めていなかった。

 対し、そのアストラルよりもさらに頭一つ分大きな男は、腕や脚の太さも一回り程大きい。薄い茶色の瞳に、短めの黄金の髪、そして言動とは裏腹に、姿勢や服装から鑑みても、平民とは思えない。特に、服装に関しては、あちらこちらに魔石が埋め込まれているフルプレートの鎧に、装飾が施された幅広の大剣。入学パーティの時とは打って変わってのフル装備であった。


 しかしながら、戦況はまるで正反対であった。


 大男が大剣を何度も乱雑に振り回すが、アストラルはそれを片手の手の甲だけで、一歩も足を動かすことなく全てはじき返している。大剣によって生み出された風圧が砂埃となってこちらに吹き付けているところを見るに、それなりの衝撃が走っているように思えるが、まるでレベルの差を見せつけられているように、圧倒的なまでの実力差であった。それを理解していないのか、大男の方は怒り狂いながら咆哮している。


 「クソ—————ッ!!なんで! 我がアルドワン家に伝わる反魔の聖剣だぞ!! 貴様の防御魔術を貫けないわけがない!」

 「だから、無駄だと言っただろう……。地力の違いだ。お前とオレではそもそもの実力が違い過ぎる。そろそろ諦めたらどうだ?」

 「ふざけるな—————ッ!!」


 そう言いながら、大男は一度距離を取って、再び自分に強化魔術をかけ直す。大剣には一瞬のうちに燃え盛るような獄炎がまとわりつき、手足の加速を促すように地面から大男の巨体を前へと弾き飛ばす準備をするための魔方陣が展開される。重ね合わせての身体強化魔術も施されているため、もはや、燃えている巨大猪の突進と呼んでいいのだろう。

 それを見るや否や、アストラルは非常につまらなそうに、大きなため息を吐いた。


 「はぁ———————。無駄だと言っているだろう……。どうやら、脳ミソが筋肉までできているお前のような奴には、もっとわかりやすいハンデが必要らしいな」

 「ふはは!! この一撃を食らって、同じセリフを吐けるか?」

 「おっと失礼、脳も筋肉なのだから、全身筋肉ダルマのお前は誰よりも賢いんだったな」


 アリッサは一瞬何を言っているのかわからずに、凍り付く。そして、そのまま、面倒ごとを避けるかのように踵を返そうとする。同じくして、絶妙に変な空気が流れたのを察して、アストラルが首を傾げた。


 「ふむ……。2000年前は、臣下に受けたのだがな……。これがジェネレーションギャップというものか……」

 「相変わらず意味不明なことばかりをつらつらと……」

 「あぁ、失礼。だが、追加のハンデを与えるというのは本当だ。オレはこれから、貴様に触れることは一切しない。もちろん武器にも、だ。この状態で、お前を屈服させてやろう」

 「抜かせ————ッ!」


 大男がアストラルの言葉を聞かずに、猛烈な加速をして大剣を振りかざす。熱風が入り混じった空気がアリッサのところまで駆け抜け、コンマ数秒と時の中で徐々に距離を詰めていくが、アストラルはそれを避けることなく、たった一言だけ、言葉を発する。


 「『死ね』——————ッ」


 それが発せられた瞬間に、大男が纏っていたすべての炎が消え失せる。そして、突進の途中でもつれるように体勢崩し、転ぶようにして頭から転がり、アストラルの目の前に展開された魔方陣の障壁と激突する。アリッサは、言葉を聞いた瞬間に悪寒が走ったことで、面倒ごとを避けるようにして遠のいた足が止まり、思わずそちらの方を見てしまう。

 結果的に見えたのは、土にまみれたままで横向きで地面に寝ころんだまま動かない大男の姿だった。地面には、男が無造作に転がったことがすぐにでもわかるほど、一直線に地面が断続的に抉れている。


 「ふむ……。死んでしまっては屈服させることはできんな……。これは失念していた……。いつまで寝ている。さっさと『立ち上がれ』、人間—————」


 アストラルが何かを発した瞬間に、先ほどまで倒れていた大男の体が一度だけ痙攣するように大きく跳ねる。直後、ピクリとも動かなかった大男が肺の中の空気と泥を一気に吐き出すように咳と荒い呼吸を繰り返す。そして、自らに起こった不思議な出来事に困惑し、目の前に立っているアストラルを睨みつける。


 「貴様……いったい何を……」

 「わからんのか? 即死魔術だ—————。勤勉なお前なら知っているのだろう?」

 「まさか……闇属性の下賤な魔術か! 汚らわしいぞ!」

 「汚らわしい? 光属性の魔術とさして変わらんだろう。同じ、唯一、生物に対して直接打ち込めるという特性を持っているのだからな」


 魔力属性—————。それはは五大属性と二神属性に分類される。どれがどの属性に強いということはないが、五大属性は『火、風、水、土、雷』、二神属性は『光、闇』に分類される。このほかに、どれにも該当しない『無』属性というものもある。この魔力属性のどれを所持しているかによって扱える魔術も限定されてしまう。ちなみにアリッサは無属性しかない。この二神属性が何故、五大属性と別枠にされているかと言えば、『生物に直接的な影響を与えられる』から、という理由がある。

 通常の魔術では、生物に対して、直接的に魔術を打ち込むことはできない。例えば、土の魔術を発動させる場合、『最初から相手の体内に石の欠片を生み出す』という芸当はできないのである。そのため、触れない程度の至近距離から魔術を発動をさせるしかない。対し、『二神属性』はその縛りがない。つまり、直接的に回復魔術として、傷を癒すことや、心臓を握りつぶすこともできる、ということである。ちなみに無属性も、生物に対して発動できるが、影響を及ぼせるのは自分自身のみという制限がある。

 そういった魔術知識を知っていてなお、光属性に固執している大男は暴れるように咆哮する。


 「だまれぇぇぇ!!」

 「耳障りだな。『爆ぜろ』—————ッ」


 アストラルが、面倒そうに眼を細めて言葉を発すると、巨腕で殴りかかった大男の体が、鎧ごと内部から弾け飛ぶ。肉片が水を叩くような奇怪な音と共に、野原のあちこちに散らばっていく。残されたのは、首だけとなり、アストラルから遠ざかるように転がっていく先ほどまで生きていたはずの男の頭部だけであった。


 「ふむ……またやってしまった……。いやはや、手加減するのは難しいな……」


 アストラルは残念そうにしながら、右手を前に出し、軽く指を鳴らす。それと同時に空気を震わせるような魔力の波が野原を風と共に走り抜ける。直後、転がっていた男の頭部から泡立つような音ともに、黒ずんだ物体が膨らんでいき、大男の体を、元の鎧ごと復元してみせる。

 全てが終わると、先ほどと同じように、肺の中の空気を全て吐き出すと同時に、荒い息を立てて、顔をあげる大男だが、今度は何が起こったのか程度は理解しているように見えた。

 それを確認して、アストラルは再び、指を鳴らす。すると、今度は男の体は渇いた野原を焼き尽くすような炎に包まれ、一瞬で黒く染め上げらる。だがそれも、一瞬だけであり、数秒と経たずに、無理やり叩き起こされる。その次は氷漬けにされ、その次は……と何度も執拗に過剰な魔術を、アストラルは行使し続けた。


 何回目かの復活の後、大男はそれ以上立ち上がろうとはせず、怯えたように膝をついたまま震えて動かなくなる。それをみてアストラルは嘲笑うかのように笑い、もう一度指を鳴らそうと、構える。その動作を見て、大男は最初の威勢とは打って変わって、後頭部を手で抱えて蹲る。まるで死にたくない一心で体を守ろうとする動物のように……


 ここまでの光景を見て、ようやくアリッサは動く。目の前の凄惨な光景を見て、最初は少しだけ動揺していたが、大男の蹲る姿を見たあたりからか、自然とその震えは止まっていた。

アリッサは、まるで散歩でもするかのように、蹲る男に向かってゆっくりと歩き出しながら、指を再び鳴らそうとするアストラルに声をかけた。


 「ねぇ……。もう、十分じゃない? 今ですらやりすぎなぐらいだと思うけど?」

 「野次馬の娘か……。離れるがいい、巻き込まれるぞ」

 「会話をしてくれないかな。私は、『もう止めたら』って言ったんだけど……。聞こえなかった?」

 「なぜやめる? その男からはまだ『負けた』という言葉を聞いていない。ならば、続けるのが決闘の流儀であろう」

 「いや、もう心はバッキバキに折れてるじゃん。これ以上の必要はないと思うけど?」

 「わからんのか、人間の娘。あいつはまだ、心の底では諦めていない。今度は多勢でこちらに嗾けるかもしれん。もしかしたら、敵わぬと知って周囲に嫌がらせを始めるやもしれん。こういうのは徹底的にやるべきだ」

 「その考え、わからなくもないけどさぁ……」


 アリッサはため息と共に悪態をつけつつ、アストラルの正面に立ったまま、彼を見据える。


 「ねぇ、アストラルさんだっけ? —————あなた、敵を作りやすいでしょ」

 「ならばどうした?」

 「もうちょっとさぁ……周囲との融和も考えた方がいいんじゃないの? 何様って思うかもしれないけど、そうでもしないと、いつかしっぺ返しを食らうよ?」

 「それがどうした? ならば、オレはそのすべてを正面から叩き潰してやろう」

 「できると思っているの?」

 「その程度のこと、このオレができないと思っているのか」

 

 アリッサは強情なアストラルの態度に嫌気がさしつつ、頭を掻きむしる。相手と戦闘をするつもりはないが、これ以上話をしても平行線となり、時間の無駄のように思えた。

 それは、相手も同じであるのか、アストラルも無言のまま、顎を上げて見下すようにしながら、こちらを睨むアリッサを面倒そうに嘲笑っていた。


 「———————思ってなかったら言わないでしょ……」

 「それもそうだな。いずれにしても、今は邪魔だ。『退け』、人間の小娘—————」


 生暖かい魔力の波がアリッサの体を突き抜ける。その瞬間、脳の深いところで、ここから離れなければならないと思い始める。しかしながらアリッサは、そんな思いとは正反対に、再びため息を吐き、アストラルに直接抗議するために、一歩だけ前に出る。


 「だからぁ……。もう止めろって言ってるじゃん。それと、決闘するのは勝手だけどさぁ、あんたら、ここの使用許可取ってないでしょ……。偉そうにピーチクパーチクと抗弁を垂れるより先に、学院のルールぐらいは守ったら?」


 なお、アリッサの昼寝に関しても場所の使用許可を取っていないため違法ではあるのだが、そんなことが頭に入ってきてないほど、アストラルは、目の前の少女に、強制の魔術が効いていないことに驚きを隠せずにいた。


 「ほぅ……存外にやるようだな、小娘」

 「だからぁ、会話のキャッチボールをしろって! 噛み合わない言葉返すとか、ボケてるの?」

 

 魔術的抵抗—————。通称、『レジスト』と呼ばれる現象である。魔術などで、相手に直接的な影響を与える場合、必ずしも成功するとは限らない。一般的に、その成功率は相互の魔力量やレベル、または精神力に依存する。つまりは、闇魔術で心臓を直接握りつぶそうとしても、レジストされてしまえば、不発に終わってしまうということである。

 その現象が、今、アリッサとアストラルの間で起こったことである。


 「くくく、成る程……。ならば、直接退けるしかあるまいな」

 「話を聞いてる? それとも、話している言葉がわからないとか?」

 「聞いているさ—————ッ!」


 アストラルは好敵手を見つけて喜ぶ野性の動物か何かのように微笑みながら、左手をズボンのポケットに入れながら、右手を前にかざす。すると、右手の先に、緋色の大きな魔方陣が展開される。そこから生み出された大きな火球は、存在だけで周囲の空気を焦がし、大地の草木を灰も残さずに消失させていく。

 アリッサは魔方陣が展開される直前に、背中に嫌な汗が伝ったことで、一足先に行動し始める。周囲に逃げられる場所や、それに相当する手段がないかを観察し、咄嗟に地面に落ちていた大男が使っていた装飾付きの大剣を掴み取る。アリッサの身長程はあるその大剣は腰を痛めてしまいそうになるほど重く、一瞬、体が下に沈み込む。だが、アリッサは考えるよりも先に無詠唱で『フィジカルアップ』の魔術を発動させて、無理やり大剣を持ち上げる。

 無詠唱により、多少なり、通常よりも魔力を持っていかれたが、気にしている余裕などない。また、肉体強化の魔術を発動してなお、この大剣は振り回すには身長が足りていない上に、扱いなれていないため、アリッサの体は左右にふらついてしまい、まともに振り回すことがままならない。


 だが、そうこうしている間に、魔術の発動を終えたアストラルの火球が、止まることなくこちらに迫ってくる。

 ほんのコンマ数秒にも満たない出来事であったが、死の淵に立っているせいか、アリッサの思考は、本人の意志とは関係なしに、数十倍にも加速される。そんな怪我の光明があったせいか、アリッサは、持て余す大剣を扱う方法をとっさに思いつくことに繋がった。


 アリッサは、大剣を持ち上げ、中段に構えたまま、こちらに向かってくる巨大な火球の中心を見据える。そして火球側にある左足を膝から少しだけ体の内側に向けて上げた後、即座に前に出して地面を両足で踏みしめながる。そして、右ひじを体の左側へと引きながら、腰を体の動きに合わせて大剣を回していく。

 大剣の平らな部分を前にしたことにより、その動作はまるで、ホームランを打つためにフルスイングをするバッターさながらであった。


 だが、飛んでくる魔術火球は当然のことながらデッドボールであるため、はじき返すことはできない。故に、装飾された大剣に過剰なほどの魔力を注ぎつつ、左側のスタンドに弾き飛ばすようにファールボールを生み出すしかない。

 それを理解してなお、アリッサは生き延びるためだけに、大剣を振り回す。

 魔力を帯びた大剣が空気を切り裂くような唸りをあげ、火球とぶつかると、この大剣に込められた魔術のおかげなのか、火球の熱や衝撃が拡散し、アリッサやその後ろを避けるようにして二手に分かれながら直線状に大地を焦がしていく。

 だが、それは長くは続かず、ミシミシという大剣が悲鳴を上げる音と共に、縮小した火球が、アリッサのスイングに負けて、左側の遥か彼方の空へと弾け飛んでいった。


 結果的に、アリッサは無事であるが、止めていた息を吐きだすように肩で息をしようとすると、口の中に焼けつくような空気が入り込んでくる。

それもそのはずで、アリッサが大剣で衝撃を吸収している間にできた直線状の焼け跡が、偶然にも渇いていた野原の草木を燃やし始めていたからである。不完全燃焼した煙が周囲に立ちこみはじめ、先ほどまでアストラルがいた位置すら、次第に見えなくなる。それどころか、今現在アリッサが立っている地面にも火が付き始め、制服の裾に火をつけようと、迫り始める。だが、状況は、そんなアリッサの把握以上に深刻であった。


 瞬く間に、炎の海に包まれたのはなにもアリッサだけではない————

 

 アリッサの後ろで怯えて蹲っている大男もまた、逃げられない状況下に置かれていた。アリッサだけならば、防護魔術である『シールド』を貼りながら、強引に炎を抜けられたのかもしれない。だが、後ろの男を抱えてとなるとそうもいかない。『フィジカルアップ』している状態のアリッサだとしてもそこまでの筋力はない。かといって、周辺一帯に燃え広がり続けている炎を消すほどの魔術や能力も持ち合わせていない。そして、一番厄介なのは、自業自得でこの事態を招いたこの大男を見捨てられるほど、アリッサ精神が達観していないことであった。


 「あぁもう! どうして喧嘩っ早い連中とばかり会うのかなぁ!!」


 アリッサは悪態をつけつつ、バットの代わりに使用していた装飾付きの大剣を無造作に地面に投げつける。甲高い音を立て、大剣は地面の大きな石に当たり、剣先をわずかに上に向けながら足元に転がる。これを持っている状態では件の大男を抱えられない。

 そうやって悩んでいる間にも炎は勢いを増して迫ってきているため、考えながら動き続けなければ、焼け死んでしまう。現に、焦げ付いた空気を吸い続けているせいか、アリッサは肺と喉に痛みを覚えつつあった。だが、それ以上に熱気が露出した顔や地肌を襲い続けていることもさらに問題である。

 故に、アリッサはブレザーを脱ぎ捨て、頭巾代わりに頭を覆うようにして左右からの熱だけは防ぐ。そして、後ろで倒れているフルプレートの大男の腕を掴み上げ、自分の肩に乗せる。

 その瞬間、大剣を持ち上げたときよりもさらに深く、腰が地面に沈み込む。歯を食いしばり、顔を上げて、一歩踏み出そうとしても、その足は陸に上がった亀よりも遅い。


 「あなた! 意識があるなら自分の足で少しは動いて!」


 アリッサは咆哮するように大男の耳元で叫ぶが、男からの返答はくぐもって何をしゃべっているのかもわからないぼそぼそとした返事のみであった。アリッサはそんな男に、喝でも入れてやろうかと、頬を引っぱたこうとしたが、それよりも前に、自分の後ろに誰かが立っている気配を感じたため、手を挙げることを断念し、自分の中で高ぶった感情を強引に抑え込む。


 「無駄だ……。死という恐怖は人間の精神では耐えられて3回程度だ。それ以上は心が壊れる……。数百、数千などと繰り返せるのは、おとぎ話の中だけだ」

 「そう……。あなたはそれをわかっててやったんだね……」


 それは、この灼熱の地獄を作り上げたアストラルであった。アストラルは、燃え盛る草木を位にかえさず、涼し気に悠々と立っている。今にも焼かれそうなアリッサと比べ、そもそもの地力の違いが残酷なまでに、そこには表れていた。


 「無論だ。そうでなければ、あのような無駄な魔力は消費しない。さて、お仲間はすぐにギブアップしたが、お前は何度持つ?」

 「勝手に仲間認定するのはやめてもらえないかな……」


 アリッサは、観念して、頭巾代わりにしていたブレザーを取り去り、肩を貸していた大男ごと、ゆっくりと腰を落としていく。そして、後ろに立っているアストラルの方へ振り向くことなく、会話を続ける。


 「なんだ、もうギブアップか? 少しは骨のあるやつと出会えたと思ったんだがな……」

 「そりゃ、どうも……。こっちはせっかくの昼寝を邪魔された挙句、汗と泥まみれになって、大変幸せでしたよ」

 「くくく、そうか……。それはよかった。その洒落に免じてハンデをやろう」

 「なら、こっちから提案していい?」

 「ほぅ……言ってみるがいい。このオレにできないことはないからな」

 「じゃあさ……私がいま背負っているこの男に一滴でも私の血が付かずに殺して見せてよ—————」

 「成る程……それは難題だな。こちらは先ほどから何度もお前の体に魔術を打ち込んでいるのだがな。その強情な精神力のせいか、全く通じる気配がない。だとすれば、心を折るのに、その提案は好都合だ」

 「直接打ち込む魔術が通じないねぇ……あなたの言葉を借りるなら、地力が足りないんじゃないの?」


 アリッサは、振り向かないまま顔を伏せ、少しだけ口角を上げ、不敵に笑って見せる。あそしてそのままため息交じりに言葉を続けた。


 「あぁでも、少しだけ安心したかも……」

 「安心? 何を勘違いしている。オレは『できない』とは言ってないぞ?」

 「いや、そっちじゃなくてさ……。正当防衛を主張するためにも、あなたが怪我でもしたらどうしよって思ってたけど、それぐらいできるなら問題ないって安心したという意味————」

 「それはどういう意味だ」

 「—————こゆこと」


 その言葉と共に、アリッサは男を抱えたまま地面に落ちている先ほどアリッサが投げ捨てた大剣を踏みつける。その大剣の柄の部分には結ばれたブレザーがあり、手綱の先はアリッサの右手の中にあった。

 アリッサは大剣を踏みつけると同時にわずかにブレザーの紐を引き、上向きになっていた剣先を僅かに下げ、地面とほとんど平行のところまで持ってくる。そして、踏みつけた足から、先ほどバットとして使用した以上の過剰な魔力を注ぎ込む。その瞬間、装飾としてつけられていたいくつかの魔石のうちの一つが大気を震わすような甲高い悲鳴上げながら過剰発光を始める。

 注がれた魔力は大剣の本来の形に添ってか、刀身を眩い光を纏わせ、貯めきれなくなった魔力は刹那の時を経て、剣先から射出される。それはアストラルの右脚を正確に射抜く。


 —————が、しかし、ニードルベアーのように貫くことはできない。刹那の猶予の間に展開された防護の魔方陣が貫くことはおろか、かすり傷一つも許してはいない。圧倒的なまでの実力差はここでも顕著に表れていた。その衝撃波だけがアストラルの避けるようにして駆け抜け、ほんのわずかな間だけ、炎の地獄を消し飛ばす。


 それでもなお、アリッサの笑みは崩れない—————


次の瞬間、まるで弾き飛ばされるように大剣の刀身を地面に擦り付けながら爆発的な加速を伴って、アリッサと大男は大剣ごと前方へと進んでいく。スケートボードというよりはロケットに近いそれは、瞬く間にアストラルとの距離を開けていく。しかしながら、その代償はタダではなく、手綱を握っていたアリッサの右手が鈍い音と共に、破裂するように出血を伴いだす。防刃使用のブレザーは頑丈にできているのか引きちぎれていないが、こちらも即席のため、いつまで持つのかはわからない。それ以前に、地面をこすり続けては即座に失速してしまう。

 それを即座に理解したアリッサは、タイミングを見計らって、もう一度足先から大剣に過剰な魔力を注ぎ込む。先ほどの魔石は既に砕け散っているため、他の魔石が眩い光を伴いながら過剰発光をはじめ再び刀身が輝きだす。


 地面の僅かな段差で、柄の方がわずかに上を向いた瞬間に、貯めきれなくなった魔力が地面を穿つように放たれる。

 だが、今度は、エネルギーのほとんどが地面を穿つことに使われたため、先ほどと同じような加速力はない。それでも、地面をこすり続けるアリッサたちを地面から十数センチ離すだけの力は存在する。故に、今度は、角度の低い放物線を描きながら前方へと進むこととなる。


 その小さなロケットは瞬く間に火の海を渡りぬけ、まだ燃え広がっていない草原へと着地する。アリッサは、火の海を抜けたタイミングを見計らって、血反吐で形が保っているのかもわからない右手を腕と肩の力だけで引き上げ、大剣を横にする。

 地面と再び激突したのは刀身の平らな部分であり、それは、地面を抉りとりながら徐々にアリッサたちを減速させていく。だが、それがいつまでも続くわけなく、途中で大剣が折れ曲がるように変形した瞬間に、横一線に破断することなる。

 その直後には、残された勢いを殺し切れずに、転がるようにして地面に何度も叩きつけながらようやく止まるアリッサの姿があった。

 唯一幸いなことは、大剣が壊れた瞬間に、右手で握っていたブレザーがつなぎ目から引きちぎれたことだろう。そうでなければ、アリッサの右手は大剣の方に引きずれれて抜け落ちていたかもしれない。


 だが、そうだとしても無事では済まされない。何度も体を打ち付けたことにより、全身に鈍痛が走り抜け、口の中が土と血液が入り混じったような不快さに襲われる。顔を伝うようにして何かが垂れてくる感触もあるため、頭部のどこかに裂傷があることも確かであろう。

 それでもアリッサは歯を食いしばって四肢に力を入れゆっくりと立ち上がると、口の中の不快な物体を地面に吐き出し、口元を左手で拭う。

 周囲を見渡せば、フルプレートおかげでアリッサよりも軽症のまま倒れて気絶している大男も確認できた。顔を上げて前を見れば、遥か先で炎の海が未だに広がり続けている。

 そして、その中からレッドカーペットでも歩くかのように、ズボンのポケットに手を入れたまま優雅に歩いてアストラルが顔をのぞかせる。当然のことながら、怪我をしているようには見えない。そのあまりの理不尽さにアリッサは思わず笑みがこぼれてしまう。

 もはや笑うしかないとしかなかったためである。


 「このオレから逃げられると思ったのか?」

 「そうだねぇ……。そのまま倒れてくれれば助かったんだけど、やっぱりそうもいかないよねぇ……」


 そう言いながら、アストラルはいつの間にかアリッサの前に立ち、血反吐にまみれたアリッサの顔を見定めるように凝視する。そして、乱れた髪を軽くさわり、アリッサの顎を触りながら自分の顔に近づける。


 「お前は面白いやつだな。自らハンデを手放すとは————。これほど、あの男と距離を取ってしまっては、血液があの男に届くこともないだろうに—————」


 その言葉を最後まで聞かずに、アリッサは右手の甲で、触られていたアストラルの右手を弾き飛ばす。


 「キモイ————。死ぬ間際じゃなくても背中に悪寒が走る。気安く触ることを許した覚えはない」

 「ほう……この状況下で未だに諦めていないとは……。それで、次は何を見せてくれるんだ?」

 「はぁ? もう終わりですけど何か?」

 「フム……ではなぜ、そこまで強情な目をしている。それは、何か策を秘めている目だぞ」

 「策……ねぇ……。というか、私はさっき『もう終わり』と言ったんだけど、この意味わかる? さっきから会話のキャッチボールができてないし、もしかしたらわかんないのかな?」


 アリッサが馬鹿にするように下卑た笑い顔を浮かべると同時に、先ほどまで晴れた空がいつの間にか曇天に変わっており、地面を貫くような瞬く間に大雨が降り注ぎ始める。


 「成る程、そういうことか……。仲間が来るまでの時間稼ぎというわけか……。だとしたらどうだというのだ。オレがお前を殺すまでそう時間はかからんぞ」

 「仲間ぁ? そんなわけないでしょ。というか、私は言ったよね。『学校のルールは守ったら』って—————」


 アリッサの言葉と共に、教師や生徒の怒号の声が聞こえてくる。どうやら、ド派手に戦闘を無許可で繰り広げたことに、教師だけでなく、生徒会や風紀委員もご立腹らしいことが即座にわかる。


 「教師たちがなんだというんだ? そのすべてを——————」

 

 土砂降りの雨の中ですら消え失せないアリッサの薄桃色の瞳を見て、アストラルの言葉が途中で止まる。睨みつけるその瞳は、『もう一度よく考えろ』と言わんばかりであった。


 「まだわかんないかな……。これ以上続けるなら、『私』も『あなた』も、そして『あなたの周囲』も、良くないことが起こる。お友達がいなくて、寂しくキャンパスライフを過ごしているならそれでも構わないかもしれないけどさ……。ありとあらゆる言動は、絶対に自分だけで完結することはないっていい加減、理解したら?」

 「くくくっ……。これはしてやられたな……。なるほど、これではこの場で手は出せない……」


 アストラルは、大雨で濡れた髪の毛を払うように後ろに掻き上げながら笑って見せる。アリッサとしては気が気でないが、目の前の男がそこまでバカではなかったことに少しだけ安堵する。

 それを見てか、アストラルはアリッサの目の前で軽く指を鳴らす。その瞬間にアリッサの右頬を空気の弾丸が走り抜け、後方の地面を軽く抉りとる。それでもなお、アリッサは目線を逸らすことはしない。


 「人間の娘……。名は何という……」

 「アリッサ—————。悪いけど、こっちは巻き込まれただけって主張させてもらうからね」

 「構わん—————。ここはお前の勇気に免じて許してやろう」


 そう言いながら、アストラルは踵を返し、浮遊魔法で空中からこちらを睨んでいる教師に向かって歩き出す。アストラルは自ら軽く手を振っている。それは、教師に自分の存在をアピールしているのか、それともアリッサに別れを告げるために振っていることは定かではないが、アリッサには、アストラルという男の背中はまだ、遠くにいるように思えた。



 その後、教師に取り囲まれたアリッサは激怒されながら保健室に搬送された。そして、病室であることも関係なしに、長時間の生徒指導を施されたが、事情を説明したことで、アリッサは特にお咎めなしということで、一日の拘束だけで済むこととなった。

 なお、潰れた右手に関しては、保健室にて回復魔法をかけてもらって焼け付いた肺や肌と共に、元には戻った。だが、引きちぎれたブレザーに関しては元には戻らなかったため、後日、購買部にて、売店の店員に笑われることなったのは、また別の話である。


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