第16話 リベンジマッチ


 起きてから1時間ほどで準備を整えなおした二人は、再び茂みの先を見据え、地面に伏せていた。アリッサの背中には今しがた作ったばかりの盾が背負われている。日は既に落ちかけているのか水平線の向こうにオレンジ色の太陽が刻限を告げようとしている。

 夜になれば、夜目が効かないアリッサたちは不利になる。だからこそ、今しかタイミングはなかった。つまりは、今現在、丸まりながらもこちらを警戒しているニードルベアーに有利な環境が出来上がるということである。故に、二人は再び立ち向かうための勇気を絞り出し始める。そうして同時に深呼吸を重ね、気持ちを落ち着かせていった。


 最後に、アリッサとキサラは互いの表情を見て、同時に頷く。それが合図だった。

伏せた体勢から立ち上がりながら茂みをかき分け坂の下にあるわずかな平地に地面をつける。その瞬間に、ニードルベアーもこちらの存在を認識し、丸まった姿勢から体を捻り、敵を威圧するような咆哮を轟かせる。


 だが、二人は止まらない。緑色の芝生を蹴り上げ、相手が攻撃態勢を整える前に、先制攻撃を開始する。手始めに、走りながらキサラが反時計回りに走り抜けながら腰に差した小さな杖を引き抜き詠唱を始める。


 「『炎よ————』」


 一節のみの短縮詠唱を繰り返しながら、目くらましのファイアーボールを繰り返し命中させていく。当然のことながら、堅い表皮に覆われたニードルベアーには全く効果がない。それでも、アリッサが懐に潜り込むだけの時間は稼げる。

 アリッサはキサラが作り出したわずかな隙をつき、滑り込むように自身の数倍の体躯を持つ怪物の足元に潜り込む。そして、立ち上がりながら、中腰の体勢を保ち、右腕を腰のあたりまで引き、力をためる。アリッサの右こぶしには、キサラが余った素材で修理したガントレットがつけられている。ガットレットには刺突のためなのか甲の部分に先のとがったものが取り付けられているが、中古品のため先端が折れており、これで表皮を貫通できるかはわからない。それでもアリッサは事前に発動していた『フィジカルアップ』で引き上げられた力を存分に引き出すだけでなく、カントレットの先につけられた爆裂の魔石に魔力を通し始める。

 そして、アリッサは体重と勢いの乗った拳を、四足歩行でがら空きになっている怪物の腹部へと叩きつける。しかし、アリッサが叩きつけた拳の衝撃で先端の折れた刺突棒はわずかに突き刺さった程度で表皮に阻まれてしまう。だが、それと同時に、ぶつかる直前に過剰に通した魔力で暴走した魔石が、通常よりも激しい音を立てて起爆する。アリッサは事前につけていた固定のためのボタンを切り離し、ガントレットを同時にパージする。そして、起爆するコンマ数秒のうちに左手で、右肩に背負っていたベルトを引張り、背中のつぎはぎの盾を前に出した。


 刹那—————


 怪物の腹部という閉じられた空間で爆音と爆風が荒れ狂い、衝撃波でアリッサの体は怪物の下から弾き飛ばされる。盾による衝撃吸収と、事前に発動しておいた『シールド』の魔術により、目立った外傷はないが、体を強く打ち付け、爆音と衝撃を近距離で受けたことにより、激しい眩暈と耳鳴りが数秒間続く。だがそれも、事前にキサラが唱えていた『ヒール』を受けることにより、徐々に和らいでいく。


 全身の力を取り戻したアリッサはこちらに近づいてきたキサラと並ぶように立ちあがる。黒煙が立ち込めているが、二人は未だに油断はしていない。この程度で倒れるならば、はじめから苦労をしていないとわかっているからである。


 「効果はあったの? あなたが設計したあの刺突武器は……」

 「わからない。でも、それなりの手ごたえはあった……」


 二人は不安に駆られ始めるが、その不安を払しょくするためか、はたまた増幅するためか、荒れ狂うような咆哮が聞こえ始める。二人はそれを聞いて、互いに頷くと、アリッサは時計回りに、キサラは反時計回りに走り始める。


 黒煙から飛び出してきたのはやはり件の怪物。怒り狂いながら四足歩行でアリッサに対し、突進を仕掛けているため、腹の下の傷は見えない。アリッサはそれに気づいて左腕の盾を構え直し、闘牛士のように立ちふさがる。

 だが、突進を止めるために立ち止まったのではない—————


 相手の動きをよく見て回避するために、立ち上がったのである。

 ニードルベアーは飛び掛かるように跳躍し、コンマ数秒の時を経てアリッサに左の爪を振り下ろすように落下する。アリッサは、それを左に大きく飛びのき転がりながら回避する。叩きつけられた地面から巻き上がった瓦礫がアリッサの方に飛んでくるが、アリッサは転がった直後についた坂の地面を利用して、背中を前にしながらバックターンをし、衝撃にぶつかりに行くように中腰で地面を蹴り上げ、体にブレーキをかける。即座に正面を向いたことにより、前に構えられた盾は、体にぶつかるはずの瓦礫をはじき出してくれる。

 だが、一度防げたからと言って油断はできない。ニードルベアーは短いステップを踏みながら、態勢を立て直し、今度は針がない右腕の爪をこちらに振り下ろして来る。針がないからと言って、あの衝撃と鋭い爪の斬撃を受ければ、ただでは済まない。

 故に、アリッサは傾斜となっている地面を蹴り上げてヘッドスライディングをするように再び怪物の体を時計回りに回るように飛びのく。直後に地形の一部が抉りとられ、坂道の出発点の一部がくぼ地となる。だが、アリッサは頭を下げ、針のない怪物の後ろ足付近に、滑り込んだことにより、衝撃と瓦礫を全て怪物の巨体で防ぐことができた。二連撃を避けたからと言って油断はできない。現に、怪物は未だにアリッサに狙いを定めている。

それを察知したアリッサは、ヘッドスライディングで態勢を低くした状態からクラウチングスタートを切るように走り出し、怪物の股下を潜るように今度は足からスライディングをする。

 その直後、怪物は潰した瓦礫を救い上げるように体を捻り、先ほどまでアリッサがいた位置を左手の爪で切り裂く。そのアッパーカットに似た動作により、小さな瓦礫は巻き上げられ小さな砂嵐ができる。同時に怪物は一瞬だけ二足歩行のように立ち上がった。


 「キサラさん—————ッ!!」

 「わかってる————っ!!」


 二人の阿吽の呼吸で、互いに存在を確認し、このチャンスを逃すまいと走り出す。その瞬間に真正面にいたキサラは気づく。怪物の腹に小さな穿たれたような穴があり、そこから漏れ出した血が周囲の黒い毛並みを赤く染めていることに……。

 どうやら、最初の一撃は有効打になった様である。

 実のことを言えば、キサラはアリッサが設計したこのガントレットを信じてはおらず、どうせ無駄だろうと決めつけていた。何故ならば、針先が折れている上に、内部が空洞でおまけに、その内部には何のためなのかわからない円錐状のものが拳側を針先に取り付けられていたからである。

 だが、そのキサラの予想を反して、このガントレットは怪物の堅い表皮をやすやすと貫いた。故に、キサラはこれ以上、アリッサの知識を疑うことをやめた—————


 通称:成形炸薬弾—————


 対戦車などで使われている化学エネルギー弾である。怪物の体を貫いたのは、折れている針先ではない。キサラが謎に思ったこの円錐状の金属が溶け、メタルジェットとなり、怪物の表皮を貫いたのである。当然のことながら、アリッサの魔石を暴走させる技とキサラの精密な魔術がなければなしえなかった。そして何より、手動での起動はアリッサのように無属性魔術による強固な『シールド』がなければただでは済まない。自爆特攻もいいところの戦術であった。——————が、しかし、その戦術知識は時折、レベル差も凌駕し始める。


 それは、アリッサに限った話ではなく、キサラも同じである。キサラはある程度の距離まで接敵すると、短い杖を再びニードルベアーに向けて構えだす。そして、無詠唱で水属性の魔術を発動し始める。

水色に輝いた魔方陣から放たれた光は怪物ではなく、その後ろ付近の地面に着弾し、大気を急激に冷やし始める。そして、コンマ何秒という時間を経ずに、怪物の足元が全て凍り付く。

 それと同時に、キサラは腰につけられた革製のベルトから、二本目の魔術杖を取り出す。大きさが同じであり、形も似ている。これはキサラの持ち物ではなく、事前にアリッサから預けられていたものである。

 キサラは右手でそれを引き抜き、ペン回しのように回転させると、左手の杖と同じようにニードルベアーに向ける。


 「『闇よ。影より出でて、かのものを刺し穿て———』。シャドウランス————ッ!!」


 今度は、詠唱をして、より正確に狙いをつけて魔術を発動する。三節詠唱の中級闇属性魔術『シャドウランス』。その効果は、相手や自分の影などから突き上げるような無数の影の針を飛び出させることである。

 だが、50レベルを超えているニードルベアーの表皮はそう易々とは貫けない。中級魔術程度ならば、僅かにダメージがある程度で済んでしまうのである。


 だが、当たり所が悪ければどうだろうか——————


 例えば、膝の皿の下の関節—————。表皮が固く、貫けないとしても、小さな針が一本でも刺さると折り曲げたり伸ばしたりを繰り返す部分である箇所は、痛みを伴いやすい。故に、キサラはわざわざ詠唱をする時間を取ってまでも、正確な魔術を求めたのである。その努力の成果があったおかげで、痛みで悶えた怪物は即座に四足歩行に戻ろうと前足を地面におろそうとする。


 だが、この瞬間に動いているのは何もキサラだけではない。


 アリッサはスライディングで股下を潜り抜けた直後、両手と両足を使い、地面を掴むようにしてブレーキをかけながら膝を折り、バネのように元の位置に戻ろうとする。自らの体が止まった瞬間に、地面を蹴り上げ、怪物に向かって走り出すその動作は、大きく旋回するよりも時間短縮となる。その僅かな時間のおかげで未だに怪物は立ち上がったままであるため、四足歩行ではほとんど見られない現象……つまりは後ろ足が伸びきった状態であった。故に、アリッサが狙うのはただ一つ。左足を軸に地面を蹴り上げ、自身の体を浮かし、腰からツイストするように体重を移動していく。左ひじを大きく後ろに引いた瞬間にその遠心力は全て右の足先へと伝わっていく。


 アリッサは怪物の右ひざの裏を勢いよく蹴り降ろす。


回転したアリッサの体から放たれた回し蹴りは怪物の右ひざの裏を正確に打ち抜き、鈍い打撃音が響く。『フィジカルアップ』で身体強化はしているが、その感触は、コンクリートの壁を蹴りつけているように堅い。当然のことながら大したダメージにはならない。

 だがしかし、態勢を崩させるには十分すぎる程の衝撃が膝の裏から前へかけて伝わる。それはキサラが行った左の後ろ足の攻撃も相まって、ニードルベアーの全身を揺るがす。

 加えて、足元が凍り付いているために、踏ん張りがきかない状況が加われば、起こりうる現象は一つだけであった。


 ニードルベアーは体勢を崩し、前につんのめるように腹と顎から、自重を支えきれずに倒れ伏す。ズシンッという地揺れにも近い衝撃と風が吹き抜けるが、勝負は未だについていない。

 なぜならば、今のところ有効打は最初の一撃のみであり、他はかすり傷程度であるからである。故に、ここからが2人の作戦の本当の意味での開始であった。

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