第11話 ここにいるはずがないモノ


 森に入ってから何時間か経過した—————。キサラはふと、手持ちの懐中時計を確認する。その結果から言うならば、1時間ほどは経過していた。成果としては未だにない。

 それは、周りで必死に探している生徒たちを見ても同じようである。

 どうやら、最初にあの男子生徒が放ったモンスターを呼び寄せる魔術により、この森のモンスターたちは軒並み姿を消してしまったらしい。この程度で絶滅することはないと思われるが、これだけの人数で音を立て続ければ、臆病な部類であるホーンラビットは物陰に隠れて出てこなくなってしまう。

 結果的に、森に探索をしている生徒たちは、苦戦を強いられていることになる。


 物陰で腰かけて休憩をしながらキサラは、自身に勝負を仕掛けたアリッサが今どうしているのか考え始める。もしかしたら、既にホーンラビットを捕まえているのかもしれない、という不安に駆られながらも、体を休める。

 こうして動いていなければ、幸運にもキサラをモノと勘違いしたホーンラビットが横切ってくれるかもしれない、などという楽観的思考をしている自身の意識に鞭を撃ちながら、意識を休め、瞬発的に体を動かす準備をする。そうでなければ、素早く小さい的には当てにくい。

 そうやって、数分の瞑想をこなし、体を休め終え、再び立ち上がった時であった—————


 「うぁああああああああああああああああああああああ!!!」


 大きな物音共に、誰かの悲鳴が聞こえてくる。聞き覚えのない男子生徒の声であるが、直後に聞こえた地鳴りのような戦闘音を考慮すると、何か異常が起きたのかもしれない。

 思考を巡らせたキサラであったが、不思議と不安はない。何故ならば、この森には、レベル10以下のモンスターしかいないからである。相当な危険行為でもしない限りは、比較的に安全な領域なのである。故に、キサラは、とりあえず状況だけは確認をしようと考え、気配を消しながら物陰から物陰へと次々に移動をして問題の地点へ移動を開始する。


 その地点には、特にモンスターと出くわすことなく、無事に到達する。前述の通り、ほとんどのモンスターが隠れているので、当たり前なのかもしれない。

 などという、安心感の中、木陰から、右半身だけを少しだけ出して、キサラは状況を確認した。その瞬間、今までの安心感は砂上の楼閣かとでもいうかのように、崩れ落ちる。最初に来たのは動揺……。それが収まると、困惑と共に恐怖がやってくる。

 なぜなら、目の前にいたのは、自身の体躯の5倍はあろうかという巨大な獣であった。茶色の毛並みを全身に奮い立たせ、背中と腕にはあらゆるものを突き刺すであろう針が無数に生えている。

 モンスター個体名称で言うならば、『ニードルベアー』というものであるが、通常の個体でレベル50は超えていると言われ、経験を積んだ冒険者や魔術師でなければ対処は難しい。

 現在のレベルが32であるキサラにとってみれば格上の存在であり、初めてみるモンスターである。そして何より、この森にいるはずのないモンスターであることは確かである。


 キサラは即座に体を木陰に隠し、射線を切る。恐怖と緊張で高鳴る心臓を無理矢理に抑えつつ、息を殺す。もしも、ここから一歩でも動いて、こちらに敵意を向けられようものなら、命がなくなることは確かである。そのため、キサラは、これ以上の声を出さないために、自らの口を手で覆う。そのときに気づいたのだが、古株の影に、今の自分と同じように震えながら身を縮めているホーンラビットがいた。もしかしたら、この小さな命たちは、自分たちに恐れていたのではなく、あの目の前の化け物に恐怖していたのかもしれない、という考えがキサラの頭をよぎった。


 そうして、キサラが息を殺して耐えていると、先ほどまでニードルベアーがいた方から短い悲鳴のような声と、草の生えた地面を擦るような音が聞こえてくる。キサラが、恐怖を抑えながら、再びそちらの方を見ると、一人の男子生徒が、ニードルベアーのじりじりと距離を詰められている。その生徒は、腰を抜かしているのか、ゆっくりとしか動けていない。だが、もし仮に走れたとしても、目の前の怪物には確実に追いつかれてしまう。

 どこからどう見ても、目をつぶるしかない状況であった。もしも、ここで飛び出したのなら、キサラの命も危うい。ミイラ取りがミイラになるように、立ち向かえるわけがないのである。

 キサラは、草木の間からその様子を観察していたが、これ以上は何もできないと、自らの命を優先し、そっと目を伏せた。きっとそれが正しいのだろうと、心の奥底にしまい込み、身動きをすることをやめた。


 刹那———————


 誰かが、少し離れた草木の影から、枯れ木を踏み倒すような派手な音を立てながら飛び出てくる。その光景に、誰もが目を疑った。それは当然のことながらキサラも同様である。

 その人物にキサラは見覚えがあった。忘れもしない—————

 なぜならそれは、キサラに勝負を仕掛けたアリッサだったからである。


 アリッサはニードルベアーがいる少し開けた場所に落ちていた木の棒を拾うと、勢いよく投げつけ、怪物の腕に命中させる。だが、無数の硬い針に阻まれたせいか、ダメージにはなっていないようである。


 「こっちだ—————ッ!!」


 アリッサは静寂を突き破るように声を張り上げ、小さな杖を腰から取り出す。そして、相手との距離を取りながら、初級魔術である『ショット』を出し、牽制をしながら、倒れている男子生徒と反対側に舵を切りながら走り出した。アリッサが再び草木が生い茂る中に飛び込むと同時に、ニードルベアーも咆哮しながらその影を追いかけていく。


 あまりに刹那的な出来事に、キサラは放心してしまったが、数秒後に倒れた男子生徒に駆け寄る他の生徒を見て、我に返る。

 同時に、目の前で起きた出来事に困惑し、再び思考停止に陥りそうになる。


 「なんで、あのバカは……」


 勝てるわけがない——————

 死ぬことは確実である——————


 そんな当たり前のことを理解しているキサラにとって、アリッサの行動は理解できなかった。やっていることは、できるだけ引き付けることで、逃げることなのだろうが、速度でも力でも、そして何よりもレベルで、劣っているアリッサが逃げられる確率は万に一つもない。それなのに、あの少女は前にでた——————


 今でも、恐怖で足が震え、簡単には動けないというのに、アリッサは前に出てあまつさえ命すら投げ捨てて、闘いだした。その事実に対し、キサラは困惑をして、どうしようもない罪悪感に苛まれる。同時に、自らの未熟な精神に対して、嫌気がさし始める。

 当たり前の恐怖で、当たり前の行動ではあるのだが、キサラにとって、その『逃げる』という選択肢は、選んではいけなかったはずなのだ。それなのに、状況に流されて、えらんでしまった自分自身を後悔し、奥歯を噛みしめることになる。


 「あぁ、もう!!」


 キサラは、自身の量の頬を勢いよく叩く。鋭い痛みが頭を揺さぶり、顔がほんのりと赤みを帯び始める。だが、その代わりに、足の震えは止まり始めた。

 それを確認して、キサラは、腰に差していたショートソードを鞘から抜き放ち、邪魔な鞘をマジックポーチの中に押し込める。そして、先ほどアリッサの消えていった森の中に向けて走り出すのであった。


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