狂気の断罪とその結末 (ある給餌係が見た貴族達の狂った世界)

 それはこのアルムート学園の卒業パーティーでの事だった。


「マティルダ・フォン・エストランサ公爵令嬢。今ここにお前と私の婚約を破棄する!」


 我が国の第一皇子であらせられる、レオニス・フォン・ナルキス・アルケニオン様が隣に娼婦のような格好の女性を侍らせて大声で言った。彼の後ろにはこの国の魔法師団長の御子息であるマグニート・フォン・バーペン様と、宰相の御子息であるステイディアス・フォン・ラーン様が不敵な笑みを浮かべていた。


 彼らの前には騎士団長の御子息であるフォールス・フォン・ソルディオン様に取り押さえられ、床に強引に跪かせられているマティルダ様が呆然とした表情でレオニス様を見つめていた。


「な、なぜなのでしょうか。殿下は何がご不満でこのような事を……」


 震える唇で囁くように言うマティルダ様は不敬に思われるかもしれないが非常に哀れに思えた。そんな彼女を殿下は鼻で笑った。


「ふん、お前がマリスにした悪事は全て露見しているんだ」


 殿下はそう言ってマリスの腰を強く抱いた。2人が深い仲である事は明白だった。そしてそんな殿下に同調するように、殿下の後ろに立っていたマグニート様がその丸眼鏡を中指でくいっと上げて発言した。


「マリス男爵令嬢に対してあなたが悪事を働いた事の調査は既に完了しているんですよ」


「悪事? い、一体何の事でしょうか?」


 マティルダ様は心底意味が分からないといった様子で尋ね返す。すると彼女を取り押さえていたフォールス様が不快そうな表情を浮かべて、彼女にかける圧を強めた。マティルダ様は「痛い」とうめいた。だがそんなこと知らぬ存ぜぬとばかりにフォールス様は吐き捨てる。


「しらばっくれるじゃねえよ! 俺はお前のせいで泣いているマリスを何度も見ているんだ!」


 そこから始まったのはマティルダ様がいかにマリスをいじめたか、その罪状を大袈裟に読み上げる、まるで儀式だった。ステイディアス様が言うには、貴族としての挨拶に関する注意や、婚約者のいる男性に近づいてはいけないという注意があった事や、それからお茶会にわざと招かなかった事や、挨拶を無視した事などといったマリスへの精神的ないじめをマティルダ様が行ったという。その他にも物を隠したり、暴漢に襲わせたり、階段から突き落としたりといった肉体的ないじめも数多く行われたそうだ。


 俺はその話を聞いて愕然とした。貴族の社会を詳しく知っている訳ではないが、彼らがさもいじめだと言っている内容は全て貴族としてどころか平民でも分かるほど当たり前にいじめではなかったからだ。


 階級の差から、目上の者に対して下の者は声をかけることができない。貴族云々に関わらず、婚約者がいる男性に近づくのは非常識だ。俺はマリスが彼ら4人と入れ替わるようにキスしているのを見た事がある。彼女の物を隠したのもマティルダ様の取り巻きですらない御令嬢だった。俺は偶然その場を見ていたからそれは断言できる。


 暴漢については分からないが、階段についてはむしろ自分から落ちた可能性が高いという話を同僚から聞いていた。なにせその時マティルダ様は学校にいなかったそうだ。そもそもが不可能な話だ。


 あらぬ罪状が次々と読み上げられ、最初は混乱していた卒業パーティーの参加者の顔が信じられないという風に変わっていった。俺は彼らの変化の方が信じられなかった。貴族は平民の俺達と違って学がある。それなのに俺でも理解できる矛盾点を疑う事なく受け入れて殿下の言葉を盲信しているからだ。やがて誰かが言った。


「なんて酷い事を……」


 それは波紋のように広がっていき、いつしか熱狂のように皆が口々にマティルダ様を非難し始めた。気味が悪かった。誰よりもお優しい方を非難し、娼婦のように下卑たマリスを肯定する彼らはまるで学のない猿のようだった。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 俺がマリスと会ったのは皇都の隅にあるスラムだ。さる貴族の屋敷に一族で支えていた俺は、ある日同い年のそこの坊っちゃまとこっそり冒険と称してスラムに入り込み、彼女と会ったのだ。その当時から彼女には不思議な魅力があった。まだ10歳にも満たない外見なのに、その知識は幅広く、彼女の話は面白かった。すぐに坊っちゃまは彼女に夢中になり、食べ物なんかをこっそりと彼女に持っていった。それは次第に物になり、金になり、やがては宝石などの貴重品になっていった。


 俺は気味が悪くて何度も坊っちゃまを止めた。なにせマリスはスラムに住んでいるのに帝国の情勢に異常に詳しかったからだ。また時折小さい声で「ゲームが……」と言ったり、「イベントでは……」と言ったり、まるで自分の置かれている環境をゲームとして楽しんでいるかのようだった。


 ある日彼女は突然、自分の出自が男爵の庶子で2年後に迎えが来ると言った。その当時彼女はすでにスラムから出て、坊っちゃまから受け取った金や宝石を使って小さな家に薄気味悪い30歳くらいの男と暮らしていた。こっそり行った時に彼らが体の関係を持っていた事から、12歳の時にはすでに娼婦のような事をしていたのだろう。


 そして2年後、彼女の言葉通り、男爵が迎えに来た。彼女は当然とばかりに自分が住んでいた家を燃やし、中で寝ていた男を殺害した。なぜ俺がそれを知っているかって? それはその時、坊っちゃまがそれを手伝ったからさ。いつの間にかマリスは坊っちゃまとも関係を持っていたって訳だ。


 坊っちゃまはマリスに夢中になり、正気を失っていった。まるで噂話に聞いたサキュバスに憑かれた男のようだった。旦那様は仕方なく、坊っちゃまを療養と称して実家のある領地に彼を送った。事情を知る俺はその後首を切られ、路頭に迷う事になった。そんな俺を哀れに思い拾ってくれたのがマティルダ様とその御家族であるエストランサ公爵様と奥様だ。彼らは使用人や領民だけでなく、苦しむ人々に分け隔てなく救いの手を差し伸べてくれていた。


 そうして彼らの助けを得た俺は、何の因果か給餌係として今回のパーティーに参加する事になった。俺は知っている。マティルダ様がいじめなど絶対にしない事を。あの御方は嫉妬に狂いなどしない。愛人すら受け入れる度量のある方だ。そんな事この国に住む者なら誰でも知っている。それに比べて、マリスがいかに人格が破綻しているか。俺はそれを知っていた。だって、今、目の前で跪いているマティルダ様を見て醜悪な笑みを零しているからな。扇で隠してはいるが、彼女が笑みを浮かべる時に肩を振るわせる癖は小さい頃から変わっていないようだからだ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 狂った参加者達は皆口々にマティルダ様の追放を訴えた。まだ学生の身分で公爵令嬢という、この場で殿下の次に身分の高い御方にそのような事を言うなんて、死にたいのかと俺は思った。こんな事罷り通る訳が無い。すぐに収束するだろうという俺の考えは甘かった。


 あれよあれよという間に幼子の駄々のような罪状は陛下に受け入れられ、さらに公爵様の悪事が都合良く露見し、国家反逆罪で一族郎党処刑される事が決定した。多くの国民がその決断を非難した。だが国民の声は無視され、人々の前でマティルダ様も公爵様も奥様もまだ5歳のオニール様もその首を切り落とされた。


 こうしてマリスはスラムの娼婦から男爵令嬢になり、ついには皇太子妃の座を手に入れるに至った。そして彼女と皇太子となった第一皇子であるレオニス様の暴走が始まった。


 まずレオニス様が皇太子になると、まるで図ったかのように皇帝陛下が病死した。そうしてすぐに帝位についたレオニス様はマリスに贅の限りを許した。税金が上がり、国民の生活は厳しくなった。奴隷が国法に制定され、生活で苦しむ人々は泣く泣く子供を売った。


 国民が学を身につける事を警戒した為か、平民の為の学校も閉鎖され、書物も平民が読めないよう、貴族の書庫にある物以外全て焼き払われた。マリスは定期的に、貧しい国民の為と言って炊き出しを行ったが、その前後で必ず税が徴収された。


 貴族達は甘い汁を吸わせてもらっているのか、そんな狂った方針に誰も逆らわなかった。そんな状態が2年続き、ついに国民の怒りが限界に達した。


 大勢の群衆が城に詰め寄せた。その圧倒的な物量ですぐにマリス達は捕まった。聞いた話によると、彼女は大きなベッドでレオニス様と魔法師団長になっていたマグニート様、さらに宰相となったステイディアス様と騎士団長になったフォールス様と体を重ね合っていたそうだ。


 レオニス様の御付きの方々がたった2年で重役につけたのは彼らの親が皆病死した為だ。もはや不自然でしかない。どうせマリスが何かをしたのだろう。


 そんなこんなで、彼女は断頭台の前に立たされた。妖艶な笑みを浮かべていたその顔は人々の怒りによってボロボロになっていた。至る所に痣があり、腕や足の骨も折れているようだった。彼女は「こんなのイベントに無い!」とか「私はヒロインなのよ!」とか叫んでいた。意味が分からない。これは催し事でも劇でもない。マリスが働いてきた所業のつけだ。


 彼女は醜い顔のまま首を切り落とされた。さらに国を腐敗させた元凶であるレオニス様もマグニート様も、ステイディアス様もフォールス様もだ。それからさらに彼らに付き従った数十人の貴族が殺される事になった。


 だが問題はそれからだった。群衆の蜂起によって起こったのは政治の空白だった。立ち上がったのが貴族ではなく民衆だった為、誰も国の舵取りの仕方を知らなかったのだ。すぐに何が起こったかなど容易に想像がつくだろう。


 複数の隣国が協力してこの国を攻めたのだ。誰も対応する事など出来ず、300年の歴史を持つこの帝国はあっけなく崩壊した。そうして人々は皆多くのものを失う事となった。ある者は家族を、ある者は恋人を、ある者は土地を、ある者は財産を、そしてある者は身分を。


 これから何年、何十年と俺達の絶望は続く。全てはたった1人の女から始まり、愚かな貴族によって起こった事だ。その全ての責任を俺たち元帝国民が払う事になるとはな。もし俺があの時勇気を出して、マティルダ様の前に立ったなら何か違っていたのだろうか。いや、考えてももう遅い。全てはもう終わった事なのだから。

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