サウザス町長吊り下げ事件 ④事件の真相編
第17章【Cremation】クリメーション
1 炎の中で祈りを
【Cremation】クリメーション
[意味]
・火葬
・(書類の)焼却処分
[補足]
ラテン語「cremō(を焼却する)」に由来する。burn to ashes。人は焼かれて灰になると、元の体重の約3.5%、成人で平均2〜3kgほどの遺灰になる。
厄災は、いつも突然、音を立ててやってくる。
パーティー客のほとんどはしばらく気づかなかった。ここは貧民街で、ドブと汚物の臭いに慣れっこで、芳しいハーブの効いた料理にみんな夢中になっていたから。水桶で遊ぶ子供らや、奥さんに連れられ所在無げに佇んでいた老夫らや、嗅覚の鋭敏な一部の住人たちが、ふと嗅ぎ慣れぬその匂いに気づいた。
役場の夜警マドカ・サイモンは嗅覚はあまりよろしくない。おまけにタバコも吸っている。だが、ゆったりゆったり歩く足音。雑踏の一部が振りむく砂利音。重たそうな粘性の雫が、ポタッと地面にたれる音を耳奥でとらえ——覚醒した。
「きいゃあああああ!」
庭の入り口にいたおばさん達が叫んだ。白いパーティー会場に、血塗れの包丁を持ち、洋服も血で染まり、呼吸の荒いサスペンダー姿の男が現れていた。
群衆はネズミの大群のように、ワッと恐怖で叫びながら逃げ惑った。パイ皿を蹴倒し、料理が飛びちり、火のついた燭台が次々と倒れてテーブルクロスが燃えあがった。血塗れの男は、傍らに落ちた蝋燭付きの燭台をむんずと掴んだ。左手には炎の燃える燭台を、右手には血のついた包丁を持ち、アパート『ジュード』へと真っすぐに歩いていった。
(アーサーの部屋を燃やそうとしている……⁉︎)
マドカは直感でそう感じだ。
「——ちょっと、止まりなさい!」
彼女が近づこうとしたが、男はめちゃくちゃに刃物を振り回した。頰はこけ、目が充血し、死人のような形相で気づかなかったが、よく見ると市場のコスタンティーノ6兄弟の誰かだ。
(ウソでしょ——!)
マドカの頰に包丁の血がポタッとかかった。
彼女が怯んだ隙に、男は怪物のように腰を曲げてアパートの外階段を登っていった。
「……やだなあにっ、どうしたの?」
事態を知らぬ、ジーンの親戚ルーミーが部屋の中で叫んでいる。
「ッ、逃げてっ、逃げてぇ——!」
マドカは男を追うよりも住民の避難を優先した。パニックを起こしていたルーミーの肩を抱きしめ、無理やり庭へ引きずり出した。
「火事よ! みんな逃げてッ!!」
パーティーでほとんど外に居たものの、中には部屋で過ごしている住民もいる。
ただならぬ騒ぎと匂いから、パジャマのまま外に出てきた老人もいた。
子供たちを両脇に抱え、ドアを蹴破る母親もいた。
体が熱い。
ぱちぱちと厭な音があちこちから聞こえてくる。
アパートが燃え始めていた。
中庭の方は、すでに炎の祭壇と化していた。
机と椅子が燃えている。ジーンの遺体も燃えている。
住民たちは庭の井戸の近くに避難し、水をかけ消火しようとしていた。
非常用の鐘が鳴り、東区のサイレンが鳴り始めた。
急いで1階の部屋をチェックし終えたマドカは、より危険な2階へと向かった。
「ゲ——ホッ、ゴホッ!」
煙がきつい。
1秒が1分にも1時間にも感じられた。
2階に上がると、アーサーの部屋のドアが開いていた。炎と煙はそこから噴出し、アパート全体に燃え広がろうとしている。マドカは床にわずかに残る空気を吸いこみ、身をかがめて弾丸のように廊下を走った。
203号室に突入すると、赤々とした部屋の中で男は大きな包丁を握りしめ、キッチンの土間にひざまずいて何かを必死に祈っていた。奥のベッドへ投げ込まれた燭台が、勢いよく炎の塊となって燃えている。大量に積まれた書類と新聞は、いい火種になっていた。アーサーの死んだ母親から贈られたぬいぐるみも、勢いよく燃えていた。
マドカの羽根と皮膚に火の粉が飛びうつり、男の体にも炎が廻りかけている。
もう時間がない。
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