2 泥に塗れる

「————うああ゙ぁアあああああっ!!」

 斧を持った紅葉が、向こう見ずに、隊列の最後尾から、謎の男の元へ突っ込んでいった。

 紅葉はメットを脱ぎ捨て、鋼鉄の斧を革手袋でしかと握り、雷神のごとき形相でコンベイの地を駆け抜けている。 

 強烈な磁力の影響で、地面にのめり込むほど引きずられた斧頭が、大きな黄土色の砂埃を巻き上げていた。

「…………ぉ………みぃ……じぃ!」

 ショーンは喉を締めつけられながら、彼女の名前を必死に呼んだ。

 ルドモンドで最も重い鉱石を持ち上げられるほどの怪力は、こんな磁場にさえ抗えるのか。


 糸のようにか細いショーンの声は、彼女の耳にはまったく届かず、紅葉の巻き上げた砂埃が真鍮眼鏡に振りかかった。

「ああ゙ァああゝあぁあああああッ!」

 紅葉が駆ける地面から、磁力の干渉が徐々に薄くなっていった。

 のめり込んでいた斧の刃が、地面からズッ…と持ち上がる。

「————ッシ!」

 紅葉がニヤリと不敵に笑った。一層深く地面を蹴り、一直線に駆けていく。

 大鎌を振るう死神のように、男の頭をめがけ垂直に、まっすぐ斧を振り下ろした。

 一方、男の方は怯えたように軽く背を丸めた——が、斧が脳天へ届く直前、右手を袖の下からスバッと伸ばした。右腕が青白く光っている。

「…………もみじいいいいッ!」

 ショーンが紅葉の名前を叫んだ。



【いずれ安定へ向かう。 《ラディクル》】



 先ほど警官へお見舞いしたのと同じ呪文を、奴は紅葉の胸に直撃させた。

 紅葉の体が、魂を失ったかのようにガクリと倒れ、急に主人を失ってしまった鉄斧も、鈍い金属音を立てて傍らに転がった。


「はぁ、はあ…………っ!」

 あっという間の出来事だった。

 一個隊ごと地面へ沈めた、磁場呪文 《ノーザンクロス》。

 囚人護送車のみを空に飛ばした、磁場反発呪文 《サザンクロス》。

 車ごと物体移動させ、失神呪文を2発──。

 立て続けにこれだけ強力な呪文を放ち、涼しい顔をして立っている。こんな……魔術学校の教師並み……下手するとスーアルバ並みの相手に、いったい何ができるというのか。

(なにか、何か呪文を唱えなければ……!)

 さっきまで熟読していた、文字と数字がビッシリ書かれた【星の魔術大綱】は、脳内ですべて白く塗りつぶされてしまって、無為にパラパラめくれていく。

(何も……なにも浮かばない……!)

 ショーンが大粒の涙を流した瞬間、ちょうど右方から大きな声が響いた。



「ハーッハハッハ! レディに乱暴するなんて宜しくないなあ、貴君!」

 左手の人差し指をピンと立て、黄土色の砂まみれの高級スーツで仁王立ちし、高笑いする人物がいた。

 ラヴァ州とオックス州を股に掛ける帝国調査隊——クラウディオ・ドンパルダス。

 マントの下からは、くるんとキュートなピンクの尻尾が見え隠れしている。

 彼の人差し指から、黄色い光が輝いた。

「——キミも泥に塗れたまえ」



【迷える羊は杖に引きつけられ道を正す。 《マグネス》】



絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16816927859298873260

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る