5 火の神様

「クソッ、こういう時って何が必要なんだ……⁉︎」

 学校では教えてくれなかった。下宿の自室をひっくり返し、必要と思われる荷物を片っ端から鞄に入れた。

 サッチェル鞄の中には、財布、手拭い、酔い止め、お菓子の袋。キッチンに行って水筒にジョボジョボと水を入れ、植木鉢からちぎったハーブとレモン汁を数滴入れた。

 使うか分からないが、気付け薬と止血剤も一応つっこむ。最後に入れるのはもちろん【星の魔術大綱】。

 着替えとターバンも予備の手提げ袋に入れ、ドタドタと階段を駆け下りた。

「紅葉! 紅葉っ?」

 地下室に住む紅葉を呼んだが、気配がない。外でギャリバーのエンジン音がする。



 下宿の外に出ると、ギャリバーに乗った紅葉と、酒場ラタ・タッタのオーナー夫妻がいた。

 土栗鼠族のニコラスと砂鼠族のルチアーナ。寝巻きのガウンを着たまま、2人とも泣きそうな顔で紅葉とショーンを交互に見ていた。

「……ショーンちゃん、これから行くの?」

 オーナー夫妻にきちんとお話していなかった。ショーンにとっても第2の親なのに。

「はい、すみません急に……今から警察の応援に行ってまいります」

 目の前のオーナー夫妻と、自分の両親の顔を交互に思い出して、胸がグラグラ鳴った。

「そう……アルバ様だものね………気をつけてね」

 ルチアーナが目尻をガウンの袖で拭う。

「ショーン、紅葉も連れていくのか?」

 ニコラスが険しい顔で訊ねた。 

「違うよ、わたしが勝手に護送についてくだけなの」

 紅葉は、ほとんど何の荷物も持ってなかった。網をかぶせられた戦斧が、ヘッド部分を下にして、サイドカーの座席に突っ込まれている。


「ごめんなさい、店のギャリバーを勝手に。全然足りないかもしれないけど、これで」

 紅葉は膨らんだ小さな革袋を——おそらく彼女が貯金していた全財産を——ニコラスに手渡した。

「ダメ! ダメよ、紅葉! 何が起きるか分からないんだから持ってなさい!」

 ルチアーナが紅葉の財布を急いで彼女に戻そうとした。

「いや……これは持っておく。必ず取りに戻ってこい。もし金で困ったら、町で一番大きな酒場に行け。ラヴァ州内なら、私の名を出せば貸してくれる」

 ニコラスが、紅葉の肩をグッと強く押した。


「はい。必ず戻ります……!」



 

 黒塗りの警察ギャリバーが、エンジンを吹かしながら徐々に集まってきた。

 集合場所の「北大通り、北西の入り口」。

 酒場ラタ・タッタは、ちょうどすぐ傍に位置している。

 ここは、州街道から来たサウザスの訪問客を、真っ先に迎える場所だ。列車が発達するまでは、多くの商人や旅人たちを出迎えてきた。

 今日はここから西のクレイト方面へ向かい、ユビキタスを護送する。

 ドゥルン、ドゥルン、ドゥルン——

 明け方、北大通りに響く轟音のエンジン音に、近所の人間がポツポツと寝間着のまま外へ出てきた。

 ショーンは重たい荷物をかかえ、集合付近をうろついていると……


「ショーン・ターナー様っすね」

「あ、はい……!」

 側車付きの大型ギャリバーに乗った、兎耳の警官が話しかけてきた。

「ジブンとこに乗ってください。これ羊角用のメットっす。一応ゴーグルも」

「は、ハイハイ」

 警官はサイドカーの入口を開けて、促した。無骨な警察車輌のギャリバーは、狭いはずのサイドカー席さえとても大きく、膝も尻もスッポリ入った。ショーンは荷物を奥へ突っこみ、自分の頭にフィットしたメットを被った。


「よろしくお願いするっス。ジブンはペーターと言います。ペーター・パイン」

「よろしく。ショーン・ターナーだ」

 なんという縁だろうか、リュカを手伝ってくれたあの兎警官だった。隣で運転手を務めてくれるらしい。軽く握手をすると、彼はすぐに後方へ振り向いた。

「えーと例の女性は……そこっすか。おおい、そのギャリバー、ちゃんとアブラ足りてるっすか?」

「大丈夫! こないだ給油したの、満タンだから!」

 ジブンの車から降りたペーターは、小走りに紅葉へ近づき、声を落とした。

「……これ、アンタの分のトランシーバーっす。後ろから離れてついてきてください。指示にはちゃんと従うように。何か見つけたら知らせてください」

 紅葉の乗る黄色の車体のギャリバーは、警察車輌に比べてあまりに小さく無防備だった。



「おおい、ショーン! 紅葉ぃー!」

「リュカ⁉︎」

 ドスドスと巨体を揺らしたリュカが、ギャリバーの傍までやって来た。何か包みを持っている。

「ショーン、これ短刀だ! 持っていけ」

 ズン、と手元に押し付けてきたのは『鍛冶屋トール』の装飾短刀だった。

「待てまてっ、僕はこんなの扱えないぞ!」

「いいから受け取れ。ナイフすら持ってないだろ、お前は」

 親友は、側車に座るショーンの肩をむんずと抱き、両手にぎゅっと握らせた。

「……っ、貰っていいのか……?」

「いいんだ。オレの代わりに、お守りだと思って持ってろ」

 子供の頃から見てきたが、『トール』の製品を自分の物にしたのは初めてだった。短刀の柄には、曲がりくねったアカンサスの花が見事に彫られている。

「お前が作ったのか……リュカ」

「少しだけな、親父のを手伝っただけだ。品質は保証する。──おおい、紅葉ぃー!」

 リュカは礼も言わせないまま、ドスドスと行ってしまった。


「紅葉、革の手袋だ。そのまま斧を振り回すと皮膚が擦り切れちまうから、扱う時は必ず着けとくように……」

 リュカの声が、後ろから途切れとぎれに聞こえる。

 本当に、これから出発するんだ。

 ろくに挨拶も、覚悟も、心の準備もできなかった。



「モミジさん!——警部から、アンタの身に何があっても助けられないと言われてます、止めるなら今っすよ‼︎」

 ペーターが後ろの紅葉へ、大声で最後の通告をした。

 それと同時に、大きな、黒い……輝くように黒い車体の【囚人護送車ブラック・マリア】が、厳かに中央通りからエンジンを吹かせてやって来た。


「……あれに、ユビキタス先生が乗ってるの……⁉︎」

 ルチアーナの悲鳴のような声が遠くで聞こえた。

 じわじわと外が明るくなってきた。光がサウザスの街に射す。

 周囲のエンジン音がうるさい。胸が、肺が、キンキンする。

 黒い鉄檻のような囚人護送車は、静かにショーンの横を通って行った。生温かでくさい風が頬にあたる。鳥肌が止まらなかった。

 クラウディオとブーリン警部を乗せたオープンカーが、護送車の横にピタリとついている。

 先に来ていた警察車輌が、ズズッ…と前を開けて隊列を組み直した。


「——行くよ。」


 静かに紅葉がペーターの問いに応えた。


 黄色いギャリバーを滑らせ、黒い護送隊の一番後ろにつく。


 褪せたいつもの白皮メットと、新しくもらった革手袋。太鼓隊の制服に身を包み、黒髪をなびかせ、覚悟を決めてギャリバーに跨がる彼女の姿は——サウザスの守護神にて火の神様、ルーマ・リー・クレアのようだった。


絵 https://kakuyomu.jp/users/hourinblazecom/news/16816700428327645825

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