2 呪文と魔術のお勉強

 皇暦4570年3月8日地曜日、夜9時。

 ちょうど新聞社で、スケッチブックを広げて討論していた頃——

 鉄格子に囲まれた窓だらけの役場の中で、町長室の明かりだけは、中庭から煌々と瞬いていた。

 町長屋には立派な机と応接セット。チェストに書棚に床下金庫。隣室にはシャワーやトイレ、簡易ベッドも完備されている。

「で、町長室の窓の開閉は、君がやったのかね?」

「……違います」

 ショーンは、急遽、州警から取り調べを受けることになった。

 お腹が空いたアントンが、横に立ちながら腹をぎゅるぎゅる言わせている。


「しかし、サウザスにアルバは君だけと聞いているが?」

「アルバでなくても……マナをそれなりに持ち、呪文の訓練をした人なら可能だと思います」

「本当に? この呪文は、どのくらい難しいものなのかね」

「そうですね、単純な動作ですから……そうだ。役場の図書館に【星の魔術大綱ブレイズ・コンペディウム】があるはずです。持ってきてください」

 怪訝な顔をしたブーリン警部に頼んだ。

 魔術を知らない警察に説明するのも、帝国調査隊の役目のはずだが……一足先に宿へ帰ってしまったクラウディオを強く恨んだ。美容と健康が何より大切な彼のことだ。今頃お気に入りのナイトキャップでもつけて、グッスリ眠っているだろう。



 本が到着するまで、クラウディオの調べた呪文痕の報告書を読ませてもらった。

 呪文痕は窓の鍵である、取っ手付近と下部に2ヶ所。

 そこには当然ながら、町長の指紋もべっとり残っている。

 町長は毎日自分で窓の開閉を行っており、役場の人間はこの窓に触れることはほぼ無いそうだ。唯一触れるとしたら掃除人だが、彼らは常に手袋を着用しているので、指紋には残らない。

「……この呪文は、窓を閉めるために使われたって事でしょうか。それとも開けるため?」

「そりゃあ “閉める” ためだろう。犯人が密室に思わせるためだ」

「町長が中から自分で開けて、犯人が外から呪文で閉めた……って事でしょうか」

「おそらくな」

「とすると、町長は犯人と一緒に中庭から役場を出て行った……誰も見てないんですか?」

 警察とショーンは、ジロリとアントンを見た。


「なんだよ、ボクぁ知らないぞお!」

「落ち着けよ。中庭を通って出ていったとしたら、警備員は気づかないのか?」

「ウゥン、玄関で応対中なら気づかないかもな……見張りで立ってる時なら気づくけどぉ〜」

「あの夜の、裏玄関の通行人は?」

「警部ッ、本をお持ちしたっス!」

 部下の刑事が所望の本を抱えて持ってきて、ショーンの質問は遮られた。



 魔術大全書【星の魔術大綱ブレイズ・コンペディウム】。

 役場の図書館にも、当然この本は収蔵されている。38年前の152版だ。興味本位でページをめくられた形跡はたくさんあったが、使いこなせた閲覧者はほとんどいないだろう。

 ショーンは町長室のテーブルに本を広げて、お目当ての挿絵が描かれたページを開いた。3種類のイラストレーションが、親しみやすいペン画で描かれている。


「普通の人間は、このくらいのマナを持っていると言われています」

 1つ目の挿絵を指差した。

 巻鹿族の男性が、手のひらの小石を見つめている。親指の爪ほどの小さな石だ。

「そして、アルバになるのに必要な量がこれくらい」

 2つ目の挿絵。

 小石を手に持つ男が、近くの大岩を眺めている。背丈の4倍くらい大きな岩だ。

「で、スーアルバはこちら。……まあ今回の件には関係ないですが」

 最後の挿絵。

 男が大岩の陰から、大きな山脈を見つめていた。



「この挿絵のマナを数値にすると、最初の絵で10から20、アルバに必要な値が20000と言われてます」

「ふーむ……」

 ブーリン警部が顎鬚を抑えて唸った。

 ショーンは、呪文の項目へとページをめくる。

「そして、この鍵を閉めるのに必要な呪文を唱えるには……これです、《物体移動呪文》」

「ううむ……複雑すぎて分からんなあ」

 物体移動の呪文は、種類別に記載され、細かい数値や理論がビッチリ書かれている。


「窓の鍵は上下で2箇所です。動作としては『棒を上に持ちあげ90度回転させる』そして『フック状の鍵を動かす』……そうですね。全部でマナが2500から3000あればできるでしょう……もちろん練習すれば、ですが」

「2500から3000?」

「この表の通り、マナが3000以上の持ち主は、500人に1人の割合で存在すると言われています」

「500人に……意外といるな」

 本に載っている統計表を見せ、警部が腕を組んで唸った。サウザスに数名いてもおかしくない数字である。



「では、呪文を行った人物に心当たりはあるだろうか。これが一番肝心だ。これさえ分かれば問題ない」

「……わかりません」

「何か情報はないのかね? ここサウザス地区にキミ以外で、呪文を練習している人や魔術に詳しい人物は」

「…………知らないです」

 10年前、両親を待合室で待っている時、話しかけてくれたヴィクトルは、妙に魔術に詳しかった。じっとりした汗がショーンの背中に流れる。呪文が使えるかは不明だが、彼の本棚には古い【星の魔術大綱】がある。


「ふー……ではアルバなら、誰がどれくらいマナを持ってるのか分からないのか? それくらいできそうだが」 

「判別する呪文はありますが、スーアルバほどの達人でないと無理です」

「またスーアルバか!」

「《判別呪文》に必要な数値は……」

「いや、いい! キミにはできないのだろう、あの男にも!」

 ショーンは真鍮眼鏡をカチリと持ち上げ、今ごろスヤスヤ眠っているはずの、あの男を激しく恨んだ。

「まあいいだろう。他の人間なら何か知っているかもしれない」

「……そうですね」

 役場や警察の人間なら、誰かしら情報を持っているだろう。



「あの、僕はまだ疑われているんでしょうか?」

「ふむ……」

 ブーリン警部は部下と目配せし、ショーンの方へ向き直った。

「いいだろう、警戒を解こう。あの男も保証に付いてくれるようだし」

 クラウディオも少しは役に立ったようだ。

「では、家に帰りま——」

「ターナーさん! アルバには公僕に徹する義務があるはずだ。明日も捜査に協力してもらいますぞ!」

「——うァい!」

 サウザス唯一のアルバ様は、最後に思いきりうめいて、日付が変わる直前にようやく帰宅することが許された。

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