第291話・尾張の変。


永禄十年九月


尾張・小牧山城二の丸 明智屋敷


今の尾張領、北の犬山城と南の清洲城の間にある小牧山城。この本丸は織田信長が森可成ら数人の近衆が入っている(兵も二百名)が、二の丸以下は筆頭家老の指示で、明智の手勢(一千五百)で固められて信長の外出を阻んでいる。


民(一向宗信徒)の虐殺や味方兵への攻撃から一気に多数の兵と領地を失った信長は、兵や民や身内からも見放されて小牧山城に隠棲している。

そういう事情から、今の織田家は筆頭家老の丹羽秀吉が差配している。小牧山城も当然丹羽の差配下にあり、明智光秀が管理している。


 当然、小牧山城での明智光秀の立場は複雑である。明智は織田家の家臣であるので織田信長が主君であるが、彼は筆頭家老・丹羽秀吉の寄子で丹羽の指示を受ける立場にある。寄親に命じられて主君を閉じ込めているのだ。

 閉じ込められた主君は病的な癇癪持ちだ。軟禁されてそれが悪化している。明智を呼び出しては虐待して鬱憤を晴らすことになる。それに同席する明智の家臣はたまったものではない。



「殿、拙者はもう辛抱なりませぬ!」

「待て、言うな秀満」


「いいえ、言わせて頂きまする。このところの信長様はあまりにも酷う御座る」

「だが儂は織田家に仕えている。つまりは信長様の家臣であるのだ。主君に刃向かうことは出来ぬ」


「ですが常軌を逸した信長様を外に出せば皆が迷惑で御座る。民の為にもここは無理を通しても幽閉なさるべきで御座る」

「・・・分かった。座敷牢に入って頂こう。しかし、近衆の者らは黙ってはおらぬぞ」


 主君であるから強引には軟禁出来ず、月に何度かの遠乗りや鷹狩りには出している。主君と近衆らは、その時に出合った民に乱暴狼藉するのだ。どうやら無抵抗の民に鬱憤を晴らしているらしい。小牧山城周辺の治政も行なっている明智としては見逃すことは出来ないのだ。



「次の鷹狩りの際に、近衆の兵を排除致しましょう」

「・・・・・・やむを得ぬ。それで手配を頼む」

「お任せ下され」


「座敷牢にお入りになった後は、帰蝶様を本丸に入れ治政を行なえば、家臣らも落ち着こう」

「それは良いお考えで」


 正室・帰蝶も信長に愛想をつかして、光秀のいる二の丸に退避している。明智光秀と帰蝶は美濃よりの知り合いで親密な間柄だった。




「信長様一行が鷹狩りに出掛けられました」

「よし。手筈は整っているな」

「はっ。抜かりは御座いませぬ」


 信長一行の行く先は小牧山城東の丘陵地帯である。距離にして二里から三里の範囲が鷹狩りに適している土地だ。

前もってその周辺には明智の手勢五百を潜ませている。信長近衆の護衛は百兵程だ。そこで一気に取り囲んで近衆の兵を討ち、信長を丸裸にして有無を言わせずに護送して幽閉する手筈だ。


「門を出られました!」

「よし。我らも出よう」


 策略の万全を期すために、明智光秀も手勢二百を連れて後を追う。信長一行はいつも通りの道で城下を進んで東に向かった。

 真夏の猛暑を避けての朝早い時間だ。青空に白い雲が浮かびのどかな鳥の鳴き声を聞きながら、汗を拭きつつゆっくりと進み、狩り場に着いた。

言うまでも無く狩り場一帯は明智の手によって人払いがされている。普段でもそうだが、その日はいつもより広い範囲までそれが及んでいる。


 一刻ほどの鷹狩りで兎五羽の獲物を得て満足した信長は昼食をとった。近衆と酒も嗜んでその後は思い思い木蔭で一時の昼寝を楽しんだ。

 真夏の昼時、木蔭はひんやりとしていて、そこでする昼寝は至上のものだ。皆日頃の鬱憤を忘れて眠りに落ちた。


だが信長一行の楽しみはそこまでだった。


「・・・!? 」


 信長は妙な気配を感じて目覚めた。

今まで喧しかった小鳥や蝉の鳴き声が止んでいる。数々の危険から脱してきた織田信長の感覚は常人より遥かに鋭い。

この時、距離を取って潜んでいた明智勢が静かに包囲を狭めてきていたのだ。


「上様、どうかなされましたか?」

「可成、囲まれているようだ。兵を起こして武装させろ」

「何と・・・皆の者、起きよ、敵だ!」


 信長は兵揃うのを待たず、すぐに移動を始めた。山から離れた小牧山城の方向、真っ直ぐ西だ。

だが、慌てて追う近衆が見たのは立ち止まる信長とその先・街道を封鎖するように展開する一隊だった。


「桔梗紋! 明智だ・・・」

「謀ったな。明智!」

「おのれ!!」


 後方から包囲を狭めてくる敵。進行方向には待ち受ける敵隊。進むのは北か南しか無い。信長は迷わず南に駆けだした。

 北の犬山城は丹羽の城だ。今の信長にとって秀吉は敵、北は危うい。それまで目を掛けていたが重用した途端に理由を付けて外出も叶わぬ軟禁状態だ。明智を操っているのは丹羽秀吉だ。

 南の庄内川を鋏んで武田と対峙している池田恒興は、幼き頃より一緒に居た乳兄弟だ。今の織田家の中で信頼出来る唯一の将だ。


「駆けよ。南に展開している池田隊に合流する」

「「おおっ!」

 兵らも集まった信長一行は、一丸となって南へと疾走した。


「ぐっ、前にも敵隊が居ます!」

明智光秀はそう甘くは無い。まさかに備えて、残りの隊二百を南に潜ませていたのだ。


「・・・やむなし!」

 信長は南進を諦めて視界に垣間見ている寺に向かった。村外れに建つ遠目にも丈夫な山門と土塀を巡らした寺だった。そこに入り僧らを追い出すと、門を固く閉ざして四周の防御を固めた。信長一行は、ここに籠もって戦うしか残された道は無かった。


 寺はすぐに明智勢に二重・三重に蟻の這い出る隙間も無く囲まれた。取り囲んだ兵は一千ほどの皆、戦支度をした殺気だった兵だ。その勢いがある兵に程なく門は打ち破られて、寺内に雪崩込み乱戦となった。そうなると多勢に無勢、信長近衆の兵は見る間に数を減らした。


「御屋形様、お命までは取りませぬ。抵抗を止めてお出で下され!!」

と明智隊からは何度も呼びかけがあった。


「予は牢なんぞに入らぬ。最早これまで。可成、寺に火を掛けよ」

「承知致しました!」


 森らの近衆の手で火を掛けられた寺は見る間に燃え上がり、軒や妻壁からも龍の舌のような紅蓮の炎を上げ始めた。こうなると寄せ手も後退せざるを得ない。明智勢は後退して遠巻きに取り囲んだ。


「人生五十年・下天のうちを比べれば・夢幻の如くなり・・・」


 着衣に火が移るも意に介さずに炎の中で舞う織田信長。それを見守る森可成の顔は阿修羅の如きであった。

こうして今世で魔王と呼ばれた織田信長は世を去った。齢三十五歳であった。





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