第271話・勅命下る。
永禄九年 四月 京・禁裏
「主上のお成りじゃ」
俺は平伏して近づいてくる絹擦音を聞いていた。それが上座に静かに落ち着くと、
「御簾を上げよ」「両名とも表を上げてくれ」
と主上の声がした。
俺は横に座られている近衛様の頷く顔を確認して、ゆっくりと上体を起こした。
「山中、松永、久しいな。今日は良く来てくれた」
懐かしい帝の顔があった。
「山中、昨年は熊野詣で楽しかったぞ。また連れて行って呉れぬか」
「はは。有難きお言葉で御座りまする。いつでもお命じ下さりますように」
昨年の熊野詣での折は、家臣共々親しく接っすることが許されたが、ここは禁裏である。あの時のように馴れ馴れしく接してはならぬ。その事を肝に命じて朝見に望んだ。
「さて、市中の荒れ様を両名も目にしたであろう。どうにかならぬか」
「主上の御命とあらば粉骨砕身いたしますが、此度は両陣営の和睦などでは納まりますまい。ここは悪僧を排除して健全な宗教の場に戻す事が肝要かと」
実際に京市中は荒れていた。叡山と法華宗の僧兵が好き勝手に暴れ回り、略奪を繰り返していたのだ。この時代の宗教の威を借りた悪僧の乱暴は度を超していた。
「健全な状態に戻るのであれば、朕に異存はない。手立ては」
「はっ、まずは両者に御勧告をお願い致しまする」
「どのような内容か」
「三日以内に武装を放棄し健全なる聖地に戻れと。せねば位を剥奪し帝の名をもって成敗致すと」
「其方らが成敗してくれるのか」
「はい。責任を持って」
「ならば良い。松永もそれで良いのか」
「はっ。山中殿と相談しての事で御座いまする」
「山中は松永の麾下であったと聞く。今はどのような関係か」
「わが松永家は数年前より山中殿の麾下になっておりまする」
「ほう。立場が逆転しておるか。面白いのう」
「面白う御座います。山中の助言無くば、三好と同じ運命を辿っており申した」
「ほっほっほ。たしかに松永は危ういところを切り抜けたのう。では二人共頼む。だがのう尾張ほどに酷いことは致すな」
「はっ。武器を持って手向かう僧兵には容赦しませぬが、無手の僧侶には手出しいたしませぬ。それに修業の邪魔になる山内にいる僧以外の者は放逐致します」
「それで良い」
今の叡山は乱れきっている。聖地の修行場に女を連れ込み、子を産ませて住み着かせている者が数知れずいるのだ。そういう僧兵の稼ぎは町に出てのたかり・強奪と山賊と変わらぬ者達だ。
「主上、その後の話で御座います。都の治安を仕る役所を置き、普請によって都を再興致したいと存じます」
「おお、山中が普請をしてくれるか。南都のように活気ある町になるかのう」
主上は目をきらきらさせて身を乗り出した。
「はい。まずは水害をもたらす賀茂川を補修して都大路を整備し直しまする。その為に、しばらくは復興の喧噪が続きまするがご容赦願いたく・」
「良い。良くなるための活気だ。何の事があろう。治安を仕る役所の名前はなんとする」
「本来は検非違使とすべきでありましょうが、此度はより分かり易い『京都守護所』というのは如何で御座りますか?」
「京都守護所か・それで良い。両者の働きで平和な活気ある都を取り戻してくれ」
「「ははっ」」
帝の勧告はすぐに発せられ、両陣営に向けて使者が出された。
控えていた斥候隊が比叡山に送られた使者に同行した。その後を水田の率いる護衛隊がついて行く。座主の判断を聞きそれを遂行するためだ。
同じ理由で法華宗陣営に向かった使者には、松永の部隊が同行していった。
天台宗・比叡山の座主は、帝の血縁から選ばれている身分の高き者だ。荒くれ法師とは関わっておられぬ。だが座主周辺には、僧兵らの主な者が幅を効かせていて、座主の判断を握り潰すかも知れぬからだ。
「座主、如何成されますか?」
「其方は何者だ?」
「帝から錦の御旗を賜り、聖地浄化を一任された山中隊の者で御座りまする」
「・・そうか、山中隊が成敗に来るか。帝の勧告である。無論従う」
「では直ぐさま僧侶を集めて、武装放棄を宣言なされ」
「宣言しても僧兵らは言う事を聞かぬであろう・・」
「聞く聞かぬは別で御座ります。まずは座主がどう行動されるかで御座る。ただし猶予は御座らぬぞ」
「・・相解りました。山内の僧侶を集めよう」
比叡山座主は、集めた僧侶の前で帝の勧告に従い、僧兵の武装放棄と学僧以外の下山を言い渡した。
当然のように僧兵の殆どと一部の僧侶がこれに反対して騒ぎ出して、延暦寺根本中堂は一触即発の状態となった。
そこに山中の護衛隊二百が短連火縄銃を空に撃ち放ちながら雪崩れ込んで来た。斥候隊も続いている。
「座主の判断だ。僧兵は直ちに下山せよ!」
「本日中に山を降りるのだ!」
「明日になれば命の保証は無い!」
と、宣告して抗う者を延暦寺周辺から追い出し、山下に追い落とした。
「くっそ。何故山中兵が延暦寺にいる!」
「このままでは、儂らの食い扶持が無くなるぞ」
「京への道が山中兵によって閉ざされているぞ!」
「おのれ、長年叡山を守護してきた我らを放り出すとは気に喰わぬ!」
「そうじゃ。ここは徹底抗戦で撤回させるのじゃ」
「だが、山中兵は無数の火縄を持っておる・」
「そんな高価な物は我らには無い・」
「ここは仕切り直しじゃ」
「そうじゃ、坂本に降りて戦支度じゃ」
「ようし、みな降りるぞ」
山上から突き落とされた僧兵らは、麓の裕福な町の坂本に降りた。
坂本の町は叡山を降りて来た数千の僧兵で満ち溢れた。僧兵達は思い思いに武具を替えて腹を満たした。勿論真っ当な代金を払っての行為では無い。数の勢いでの強奪・略奪の類いである。
心底腐りきっていた叡山の悪僧らは、日吉社に押し掛けてこれを乗っ取ってたむろした。
町衆達は恨みの籠もった目で見つめながら、ただ言いなりになるしか無かった。
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