第211話・相模・小田原城。


永禄七年四月 小田原城 北条氏康


「殿、清水殿が急ぎお目に掛りたいと参っております」


「清水が・・・通せ」


  伊豆水軍大将の清水が急ぎの用とは、水軍力の補強の懇願かのう?


国府台から上総・安房に進軍したわが部隊は、陸上では破竹の勢いで勝利を重ねた。

だが水軍はいけぬ。正木を降ろして水軍の一部を引き離したが、それでも里見水軍には押されっぱなしだ。神出鬼没の里見水軍はあちこちで奇襲を仕掛けて、補給を絶つのだ。場所によっては水陸両方からの挟撃で被害が出ている。


はっきり言えば三浦半島の先、江戸湾内の海上はいまだ奴らの勢力圏なのだ。上総・安房は半島である故に水軍の働きが大きく、陸上で勝っても完全制圧は出来ぬのだ。



「殿、紀伊山中国の熊野屋の話を覚えておいでか?」


「うむ。進んだ畿内の商品を持って来てくれる商人は歓迎だが、国府台の戦いで様子見になった件だな。その後彼らは、正木の勝浦湊を占拠したのだな」


「いかにも左様。勝浦の正木水軍は以前、熊野屋の船の略奪をしようとしたとかで、山中国から水軍が出張ってきて蹴散らしたと聞いております」


「その熊野屋がどうしたな?」


「国府台の戦いが決着したと知り来ておりまする。しかも紀伊から国主の山中殿が出張って来られており、殿に御挨拶をしたいと」


「山中殿、ご本人が・・・、いつ来られる?」


「間も無くで御座る。それが・・・」

「どうしたな?」


 言い淀んだ清水の返事がある前に、近衆が足音高く駆け込んで来た。


「と・殿、船団が、大船団がこちらに向かって来ておりまする!!!」


 居間を飛び出た儂は、海の見える縁に走り立ち竦んだ。海上には大きな白い三枚帆を拡げた十隻以上の船団が整然と並び、緩やかな弧を描いて驚く程の速さでこちらに向かって来ている。


 城下では、大勢の人々がそれを指差して眺めている。すぐにカンカンカンという急を告げる鐘の音が響いて人が黒山のように群がり、急速に騒然とし始めている。



「あ・あれが、山中国の船か・・・・・・」


「左様で御座る。先行してきた熊野屋の船団は四隻、それに堀内殿率いる正木に対する山中水軍の船が三隻、さらに国主の山中殿率いる船が三隻来たようで御座る。都合十隻の船団で御座る」


「み・見事な船だな!」

「はい、美しく速く大きい。そのうえに強力な武装をしておりまする。我ら水軍にとっては夢の様な船で御座いまする」


「そなたの伊豆水軍で対抗出来るか?」

「到底無理で御座る。正木の奥津城を砲撃で木っ端微塵にしたのは、あの小型の熊野丸一隻であったと。小型と言っても二千石積、安宅船並ですが・・・」


「なんと一隻で・・・。もし、あの船団がこの城を砲撃したのならどうなる?」

「おそらくは四半刻を持たずに跡形も無く消滅するかと」


「・・・・・・ならば、会わぬ訳には行かぬな。河口まで出向く。支度を致せ!」

「はっ!」



 小田原城の前方は浜である。故にしっかりとした湊は無いが南西十町に早川が流れ込む河口付近が水深もあり、船が横付けできる桟敷を設けてある。城内の物資の一部はそこまで船で運んでくるのだ。


 重臣らを連れて桟敷に向かうと、船団の中から小さい方の一隻が滑り込んで来る様に桟敷に横付けされて停船した。

見事な操船だ。


小さいと言っても間近で見ると大きい、そして美しい船だ。主帆の上には大旗が靡いている。我が家紋の三つ鱗に良く似た旗で、何だか親近感を覚える。しかし舷側に設けられた無数の砲門が、強力な武装船である事を示していた。


 船から桟敷に何枚もの横板が架けられて幅広い通路が作られた。そこにまず現われたのは赤い防具を付けた統制の取れた一隊だ。腰の刀と短い火縄のようなものを全員が持っている。それは銃身が二本並んだ見た事の無い物だ。


(おぅ・・・女・・・か)

その者らは長い髪を後で束ねた女隊だった。廻りの者らも女である事を知って響めいている。儂も女の隊など見た事が無いわ・・・


 そして、毛皮の袖無しを着た男達に囲まれた背の高い男がゆっくりと降りて来た。あれが山中であろうな。船上にはやはり揃いの防具を付けた見るからに屈強そうな男達が整列している。彼らは胸前に火縄を立てて姿勢を正して微動もしない。良く調練された兵だ。



「それがし、山中勇三郎で御座る。おてまえが北条殿か?」


「如何にも、某が北条氏康で御座る。山中殿、ようこそ小田原へ」


 挨拶を交わして、しばしお互い見つめ合う。山中は一見優男の様に見えるが、全身から漂う雰囲気、特に武威が只者では無い。影武者などでは無く、間違い無く本物であろう。



「急な来訪、申し訳御座らぬ。こちらに出張ったついでに関東の雄・北条殿にお目に掛かかれぬものかと思った次第で御座る」


「とんでも御座らぬ。こちらも畿内の昇竜の山中殿にお目に掛かれるのは、幸運でござる」


「ふっふっふ、昇竜とは過剰なお言葉で御座る。これは熊野屋出店をお許し下された御礼で御座る。お受け取り下されたく」


 女隊の一人が頭を低くして近付き、布に包まれた物を捧げた。刀だ。


「頂戴致す。拝見しても?」

「是非に」


 布袋から刀を取り出す。決して質素では無いが、豪華な装飾では無い。


刀身を抜く。

うむ・・・刀身にも派手な沸などは無く、どっしりと深い輝きが如何にも丈夫で切れそうだ。質実剛健、その上に深遠たる味わいがある。


 良い刀だ。儂の好みでもある。気に入った。


「見た事の無い造りだ。どなたの作で御座るか?」

「結城忠正どのという稀代の剣士が隠退して、南都の鍛冶場で無心に打っている一品で御座る」


「有難く頂戴する。お礼と言ってはなんだが、神奈川湊の案内役お付けしようと思う。如何か?」


 案内役は出店を円滑にするのに役立つだろう、と同時に彼らと同道する事で船や人員・山中国の事などを知る事が出来る。


「是非、お願いしたい。それに江戸湾内の水軍衆に会った時のために清水殿をお借りしたい」


「承知した。江雪斉どの案内役を願えるか。清水もよいな」

「はっ」

「承知致した」


船を知る清水と外交僧の江雪斉殿なれば、彼らとの応対に何も問題あるまい。山中殿も船の内部を隠すつもりは無いようだ。ならば、言ってみるか・・・


「山中殿、某にあの大船の中を見せて貰えぬか」


「と、殿!」

「他国の船に乗り込むのは、お止め下さい!」

「左様です。危険ですぞ!」



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