第180話・浅井軍の出陣。


 十月五日 小谷城 浅井長政


小谷城本丸から見える木々は見事に色づいていた。その見事さは好誼のある国人衆が何かと理由をつけて訪れるほどで、まさに錦秋の秋と言うのにふさわしい景観であった。

 今も新しく家臣に加わった磯野・垣見氏らが訪れて、それを海北、赤尾が相手をしている。と言っても錦秋の秋を楽しみながら酒を飲んでいるのに過ぎないが、長政も酒は嫌いではないし、美しい景観は見ていて飽きぬ。それで家臣の話には加わらずに黙って話を聞きながら、ちびちびと酒を飲んでいた。



「義治と重臣らの対立はどんな案配だな?」

「うん、病と称して出仕をしていない重臣がいるらしいぞ」

「いや、出仕しているのは後藤と蒲生ぐらいだと儂は聞いたな」


「ふむ、後藤は律義に阿呆な当主を何とかしようと諫めておるらしい・・・」

「無駄な事だ」

「義治を見限り廃嫡して、弟の義貞擁立の動きがある」

「廃嫡か・・・それは一波乱あるぞ」


 六角家の噂だ。当主が阿呆だと言う話は、某には耳が痛い、陰でそう言われぬようにしているつもりだが・・・


「このところ五僧街道が賑わっているようだの・・・」

「うむ、山中が道を拡げ関所を無くしたからの」

「炭焼きやら山師やらが鈴鹿の山中に大勢入っていると聞く」

「うむ、山の中に幾つもの集落が出来て、物資が流れているらしいの」


「商人の話では、若狭にも山中の湊が出来たらしいぞ」

「なに、真かそれは?」

「おお、なんでも熊野屋という紀伊の商人が、博多から蝦夷まで船を出す拠点になるらしい」

「山中が紀伊の湊を拡げて、南蛮や琉球まで船を出しているとは聞いたが、今度は日の本の北の海か・・・」


「・・・ならば山中は、この勢いのまま北近江に来るかの?」

「それもあり得る」


 山中が北勢から迫って来ている。ここに入って来る山中家の噂はとんでもないものばかりで、そのどれもが浅井には考えられぬ内容だ。

はっきり言えば、山中家は六角家以上の脅威なのだ。


「何事だ!!」


 その宴の場に、許可も得ずに慌ただしく兵が駆け込んで来た。それは兵がもたらした内容がただ事では無いと言う事だ。それを悟った酔っ払っていた重臣どもが思わず立ち上がって叫んだ。


「殿、六角家に異変が起こったようです!!」

「なに、詳しく申せ!」


「はっ、この一日に観音寺城本丸に呼び出された後藤親子が義治の手に掛って落命。後藤家は後藤丸に火をつけて下城、館にて兵を集めておりまする。これに他の重臣らも追従しているようで観音寺城下は、、六角家に叛意を表わして駆け付ける兵とそれを知って避難する民で大混乱に陥っておりました」


「おお、六角家は遂にいくところまでいったか!」

「殿、これは絶好の機会ですぞ」

「左様、六角を突くのは今ですぞ!」

「某も同意で御座る!」


 よし、家臣らが言うように南近江を攻めるのは、まさしく今をおいて他に無い。佐和山城を落として怒濤のように南近江に攻め込み、一気に六角領を切り取るのだ。


「急ぎ兵を召集しろ。明朝までに出来うる限りの兵を出せと伝えよ!」

「「はっ!!」」


「ところで報告が遅いのに理由があるか?」


 一日に起こった観音寺城で起こった騒動が、北近江に伝わるのに四日も掛ったのだ。もう少し速く着かなければならぬ。


「はい、観音寺城下が混乱した為に、街道の関所が一時閉ざされ湊や山間の脇道にも兵が出ていて動けなかった様で御座います。特に厳重な見張りで佐和山を超えることが出来なかったと。それが今日になって見張り兵がいなくなったようで御座います」


 湊や山間の道まで見張りだと・・・、騒動を隠そうとする承禎の差し金だろうか? いや義治か、事が起きるのを事前に知っているのは義治側だけだ。

奴は妙に細かいところがあるからな。そこまで気が回るのならば、家臣団の蜂起する可能性を考えるべきだったな。おそらく最重臣の後藤を手打ちにすれば、家臣らが震え上がるとでも考えたのだろうな。

 しかしそれは違う。後藤の方が義治よりは遥かに信頼がある。その重臣を理由も無く殺せばこうなることは当然だ。

 ま、それが分からぬから阿呆と言われるのだ。某も幼い頃より一緒に遊ばされて苦労して来たわ。


だが何故、見張り兵が今日は居なかったのだ・・・・・・




 永禄六年十月六日 小谷城下 浅井長政


「出陣!!」


腹を振わせる法螺貝の音と共に出陣した。兵は二千だ、このところ佐和山城を攻略していた磯野が一千兵で朝靄の中、先行した。


我ら本隊が南下するに伴い次々と国人衆が合流してきて、坂田郡に来たときには四千の兵となっていた。昨日の今日だが、前もって戦に備えさせていただけに兵の集まりは良い。佐和山城を囲む頃には六千を越えるだろう。

一千で佐和山城を抑えて南近江に侵攻する。そうなれば、義治の横暴に蜂起した者達が勢いでこちらに加わるのは明らかだろう。

敵が分裂したこの戦は、まさに楽勝だろう。



「報告します。佐和山城手前に大規模な陣城が作られております!」


「陣城だと、そんな物が出来ているとは聞いておらぬぞ」

「六角家が佐和山城を拡げたのか?」


「陣城に上がっている旗は白に三つ山の・・・大和・山中家です!」

「山中だと・・・」


「山中が五僧街道を降りて来たか・・・」

「だが、何故そこにいる?」


 我らは山中が佐和山に進出してくるとは思っていなかったのだ。考えてみれば我らが勝手にそう思っていただけで、そう思う理由など何も無かったのだ。 だが、我らの行く道を塞がれた事は間違い無い。


「山中勢の数は?」

「陣城故にしかとは分かりませぬが、少なく見積もっても三千から四千はいる模様です」


 陣城に精強な兵が三千か四千、我らは六千か・・・・・・


 その時に火縄の音が連続して響いた。磯野隊が陣城に攻め入ったのか?


「殿、どう致しましょう?」


「うむ、まずは情勢を把握するのが先だ。斥候を出せ!」

「はっ!」


ここで下手に動いては拙い。まずは多数の斥候を放って情勢が判明するのを待つのだ。逸る気持ちとそれを諫める気持ちが交錯したもどかしい時間が過ぎて行く。


二刻ほど経った。その間にも国人衆の兵が合流して総勢は一千ほど増えた。放った斥候が一人二人と戻りはじめて、情勢がしだいに判明して来たところに先行していた磯野が戻った。


「陣城は幅が六町ほどもある広大なもので御座った。我らその勢力などを探る為に、広く展開して近づき申した」


集っていた諸将は前線から戻った磯野の話を、一言も聞き漏らすまいと熱心に聞いている。大事な所を聞き逃せば、いざ攻撃に向かった時に自軍に大きな被害が出るかも知れないからだ。


「すると矢倉川手前まで迫った時に、突如陣城から火縄が放たれました。いえ、被害はありませぬ。どうやら警告された様で御座る。幅六町の陣城から万遍なく放たれたのが硝煙から見えました。ところが物見の報告によると陣城に並んだ火縄の内、放たれたのは極一部と、即ち陣城の火縄の数は五・六百丁あるかも知れませぬ」


 恐るべき報告だった。

 聞いていた皆が息を飲むのが分かった。



先行していた磯野の報告で、佐和山北の陣城内には相当な数の火縄が備えられてあるようだ。その数、五・六百と推測された。

火縄銃は領内の国友村で作っているが、何より高価である上に運用に必須な鉄砲玉(鉛)と火薬があまり無いために浅井が持つのはせいぜい五十丁だ。


これではとても太刀打ち出来ない。何か打つ手はないか・・・


「これでは陣城を抜いて南近江に行けぬだろう。だが折角掻き集めた兵を戻すのは拙い、士気が落ちて国人衆の離反につながりかねぬ。これに対する何か考えは無いか?」


「ならば殿、この機に菖蒲嶽城を攻めませぬか。この城のせいで佐和山城攻略が難航しておりました。そしてこの城を取ると、陣城を高みから監視出来まするので後々有利かと」


「拙者は、この際湖西に向かうべきかと思いまする。塩津・海津を取って高島に侵攻すべきか。六角の騒動でそちらも混乱しているかと思われます。そこを突くのです」


「・・・うむ、どちらも一考の余地があるな。他に無いか?」


「六角の混乱に動くのは、浅井と山中だけではありますまい。用心のためにも小谷城にも幾ばくかの兵を残すべきかと」


「殿、六角が動けぬ今こそ西美濃を切り取るべきで御座る。西美濃を喰らって大きくなれば、湖西などはいつでも取れまする」


 うぬ、それも良い考えだ。義治は美濃と手を組んで浅井を滅ぼそうとしたのだ。斎藤義龍が死んで義治が追われた今こそ、弱体した美濃を切り取る絶好の機会だな・・・


「殿、ご決断を!」


「うむ、ならば命じる。磯野は五百兵と三城の応援を加えて、菖蒲嶽城を落として山中を監視せよ」

「はっ!」


「阿閉は五百兵で小谷城に待機せよ!」

「はっ」


「残りの兵で美濃に向かう。先陣は遠藤、今こそ西美濃を切り取るのだ!」

「「おおっ!!」」



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