第145話・鋳銭司。
暗い中を歩いていた。
くねくねと続いている細い道が月明かりに光っている。
見上げれば月は縁取りだけしか見えない。
道は登り下りやがて地面が砂になる。一面の砂地で道は消えていた。
ふかふかの砂で足が嵌まり、歩きにくい。
河原だ、あたり一帯の河原が白く浮かび上がっている。
足元の固い所を求めて砂地の端に逸れると枯れ薄が立ちこめる原になる。
小石混じりの砂は締まっていて歩き易いが、枯れ薄が行く手を阻み真っ直ぐには進めない。そこを進んで行くと足元の小石が増え次第に大きくなる。
何か聞こえた気がして、ふと立ち止まった。
微かなそれは次第にはっきりと聞こえてくる。
赤ん坊の泣き声だ。むずがゆっている。
それをあやす柔らかな女の声。その声に聞き覚えがある。
と言う事は・・・・・・
(・・太郎)
ふと目を開けた。
煤色の竹格子と黒い天井。真っ黒な自在鉤、格子窓。
法用砦の俺の間だ。
(戻ったか・・)
座って囲炉裏の灰を掻き起こすが、火種は無かった。
脇の刀に目がとまった。手に持ってじっくり見る。俺好みの見事な拵えだ。無駄に虚飾を付けずに豪壮な造りだ。この刀は、結城忠正どのが丹精込めて作り、俺に呉れた刀だ。
抜いて見る。
分厚く素直な刀身だ。何のてらいも無く飾りの刃紋も無い。その上に銘も無い。ただ頑丈で恐ろしく切れる。この刀は観賞用の美術品などでは無く、使ってみてこそ値打ちの分かる一品だ。
これこそ真の名刀だ。
結城どのは、太郎と百合葉にも懐刀を呉れた。守り刀だ。そして今も南都で刀を打ち続けている。神がかり的な稀代の剣士で稀に見る刀匠、尊敬に値するお人だ。
隠居後にあれ程打ち込めるものがあるというのは羨ましい。
格子窓を開けてみる。
薄い光で朝と分かる、雪は積もっていない。
台所に行って水を飲む。
座机の引き出しを引いて、忘備録を見る。
俺が大晦日に書いたままだ。
脇の小引き出しを引いて、小巾着を取る。中身は銀貨が少しと銅貨と銅銭だ。
腹が減った。
台所には米も漬け物も酒も肴もあるが、城内の食堂が開いている筈だ。
巾着を懐に、脇差しを差して外に出る。
大門を出ると護衛隊や斥候隊の詰め所と城代屋敷・来客用の宿舎が並ぶ二の丸だ。見張りの者を手で制して外に出る。
二の丸を出ると大勢の者が暮らす街だ。職人の加工場が何列にも並び奥には駐屯地と練兵場もある。まだ誰も起き出さない早い刻限だ。シンとした冬の空気が漂っている。
その一画にあるのが食堂だ。夜回りの兵のため一部を夜通し明けているのだ。兵だけで無く、銭を払えば町衆もそこで飯が食える。夜中に目覚めた時などは、これがちょっと便利なのだ。
「許せ」
「こ・これは大将」
声を掛けると、奥から甚作爺が出て来て目を剥いた。
「腹減ったのだ。出来る物を頼む」
「へえ、湯漬けでようござんすか?」
「それで良い。済まぬな」
「とんでもねえ、これがあっしの役割でさあ」
湯漬けはすぐに出て来た。飯に湯を掛けてその上に塩焼きの魚をのせただけの簡単な飯だ。魚をほぐしてかき混ぜて食う。夜食には丁度良い飯だ。
「ところで甚作、今日は何日だ?」
門にある正月飾りから、松の内だというのは分かるが、元旦の賑やかな空気は無い。
「へえ、四日でごぜえやす」
「ふむ、正月四日か」
今年は三日間寝込んだだけで済んだか。それにしても、あそこは賽の河原であったのか・・・・・・
「儂も湯漬けをくれ」
「へい」
おっと、杉吉も起きてきたか。
「今年は早いお戻りで」
「おう、太郎に呼び戻されたわ」
太郎と百合葉に呼び戻されたのだと思う。それにしても何であんな所を歩いていたのだろう、なんか見知った感があった、去年も行ったのか・・
俺はその日の朝の内に多聞城に帰った。どうやら太郎に顔を忘れられずに済んだようだ。百合葉の体調も良さそうで安心した。
「大将、帝から鋳銭司(ちゅうせんのつかさ)に任命するという御書状が届いておりますが」
「ふむ・・」
去年に引き続いて、年末に帝と将軍家に金銀を献上した。帝には三百貫文(約1500万円)、将軍家には二百貫文相当の金銀だ。ところがと言うかやっぱりというか、山中銭で欲しいと言うお言葉があった。
それで「山中銭は私鋳銭ですので、貨幣として献上するのは畏れ多い」と、立派な額縁に金貨・銀貨・銅貨を十枚ずつ並べて飾って、工芸品として献上したのだ。
まあ、はっきり言えば嫌がらせだな。
その答えが「鋳銭司」だ。貨幣の造幣所を意味するが、ここは貨幣の造幣を
司る長官という意味なのだ。つまり、山中銭を正式貨幣として認める。来年は山中硬貨を献上せよと仰せなのだ。
「謹んで承りますと金貨、銀貨百枚を添えて御返答せよ。ついでに金銀が足りずに、鋳銭が滞っておりますると書け」
「ははっ」
山中家の公式文書は、既に十蔵が右筆に書かせている。俺は寝たきり、或いは意識不明、意識があっても体が不自由で面会も叶わずだからな。
十蔵も悪知恵が働くので、必要な事だけ指示して後は丸投げしているのだ。
良い感じだ、へっへ。
永禄五年正月 湯川城 湯川直光
「新年、お目出とう御座る」
「お目出とう御座る。またこうして集ることが出来る様になり真に嬉しゅう御座る」
正月五日、湯浅殿・玉置殿両名が恒例の年賀の挨拶に来てくれた。
「うん、真に目出度い。昨年、玉置殿は来られずに寂しい新年の宴じゃったのだ。今年からはまた三名揃っての宴が出来るのう」
「まずは一献。この酒は殿から頂いた南都の酒ですぞ」
「おう、南都諸伯は天下の杜氏じゃ。頂こう」
この時代の酒造りは興福寺が世の最先端であった。低温殺菌法という現代に近い製造方法を開発したのは二年前の事である。
「お二方の奥方は栗栖城下におられると聞いたが」
「うむ、我らは玉置殿とは違い臣従するのが遅れ、戦働きも出来なんだでな」
「そうじゃ。正月くらいは戻ったらどうかと言われたがな・・」
定められた兵は出した。紀湊では山中兵が汗水垂らして働くのを見た。だが、儂自身は山中家に対しての働きは無いのだ。それがどうも引け目に感じているのだ。
「・・実は某、紀湊はおろか五条も南都も知らぬのじゃ。そこで差配に許可を頂き、一度見物に行こうと思っておる。一緒に如何じゃ?」
「・・そうか、ならば御同行致そう」
「某もじゃ」
どうやら、玉置殿が我らの苦悩を察して誘ってくれた様じゃ。ここは有難く承ろう。
うむ、山中の殿にあって話せば良いのかも知れぬ。
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