第122話・覚醒。
永禄四年四月 法用砦
ふと目を醒ました。
黒く煤けた囲炉裏の自在鉤が見える。
囲炉裏に火が点っている。柔らかく暖かな黄色の炎だ。ユラユラと揺れるそれをじっと見つめると、様々な出来事が思い浮かんできた。
あれは夢か幻か・・・
幻にしては、実にはっきりとした記憶だ。
叫び、笑い、闘った。目の前を過ぎゆく刃風をはっきりと覚えている。人の体を槍で貫いた感覚。戦の響めき、部隊のぶつかる衝撃、地面は血で汚れて、顔に浴びた血が生暖かい。
大勢の兵が傷付き死んだ。
兵の上げる大歓声と泣き崩れる人々、
夢にしては、血生臭過ぎる。
「ゴトゴト」と音を立てて戸が開いた。
現われたのは若い女性だ。切れ長の睫に意志の強そうな黒い瞳にきしゃな顔、後ろで無造作に束ねた髪の一部が盛り上がった胸の前で揺れている。何よりもすっと立った姿が美しく印象的だ。
ああ、この女性は夢に出て来た人だ。キリッとした顔立ちが俺を見て緩み微笑んだ。
「勇三郎様。お目覚めですか」
あっ、俺は勇三郎なのだな、山中勇三郎か。俺が自分で付けた名前だ。
とすると、ここは夢の続きか・・
頭の中を戻さないとな、ちょっと時間が必要だな。
うん、体が重い。痛くは無いがだるい・・
「ぁ・ぁ・・」言葉も上手く出ないな・・
「ぁ、ぁあ」ちょっと出た。
「ぁ・あ・あ、」もうちょっとだ・・
「あいうえお、あおうえお・ほーほけきょ、けきょけきょけきょ」快調だな。
あっと・・、女が顔を傾げて見ているな。
今の発声を聞かれたかな?
この女の名前は・・
ええっと名前は・・・・・・
ゆ・・り・・・そう・ゆりは・百合葉だ。俺の妻だ。
「百合葉と言う女性が夢の中で出て来た。俺の子供を身ごもっていた・・」
「はい、百合葉はわたくしです。お腹には勇三郎様のお子を授かっています」
「夢では十蔵・新介という家臣と藤内・十市と言う者、右近・氏虎という武闘馬鹿がいた・・うん、藤内は火縄で撃たれ重体・死んだか・・」
「はい、その方々はおられます。藤内殿は生きておられます。先日床断ちしたそうです」
「何、藤内が生き返ったか?」
「はい、今は五條で歩いて養生しておりまする」
「今は何年何月か?」
「永禄四年四月二日で御座りまする」
おう、四月一日でなくて良かった。一日はエイプリルフールだからな。
大晦日の除夜の鐘を聞いた記憶がある。丸々三ヶ月寝ていたのか。
その間の記憶が無いな。俺はどこに行っていたのだろう。
目覚めた俺は、百合葉の少しだけ大きくなったお腹を撫でながら、現状を思い出して、今後の事をつらつらと考えていた。
まず現状の山中領だが、いまだ多聞城は築城半ばで、五條城と周辺の職人村、新田開墾地、熊野城の大工事、日置城下、田辺城、紀ノ湊も築城の真っ最中だ。領内は大普請ラッシュだな。
ちょっと手を広げすぎだが仕方がない。取りあえずは、富国強兵まっしぐらだな。他にもやることは山ほどある。しばらくは、ウザイ外交はしたくない。内政一本でいきたい・・
「今領内で騒ぎは起こっていないか?」
「木津に六角隊が来たり、畠山様が和泉に攻め込んだりしておりますが、優秀な家臣がおりますれば、殿が思い煩うことはありませぬ」
木津に六角隊!
畠山が和泉に!
それって大事だろ、つまり戦時中じゃないか、それもつい近所で。木津はここと目と鼻の先だぞ。
それにまったく動じていないとは、百合葉は本当に胆が太いな。
でもまあ十蔵や新介が対応しているのなら問題無いか。動かぬ体で俺が焦っても仕方がないな・・
「俺が寝込んでいることは広く知られているか?」
「さあ、どうでしょう。松永様や柳生様はご存じですけれど」
「領内で独立した勢力はいるか?」
「殿も望んだようですが、まだおりませぬ」
「ならば百合葉、俺が目覚めた事はしばらく伏せておけ」
内政に精出すのなら、病気としておいた方が都合良い。周囲の騒音を無視出来るからな。
「はい。護衛隊の者と身の回りの者以外には伝えませぬ。悪だくらみ中の十蔵殿と新介殿には伝えた方が宜しいのでは?」
「十蔵の悪だくらみとは何だ?」
十蔵の悪だくらみの概要を聞いた。
進軍して来て、ただ留まって我らを牽制している六角隊に、しっぺ返しをしようとしているのだ。
それにしてもそこまで知っている百合葉が不審だ。全てを十蔵に任せ、ここから一歩も出ていないと聞いたのに何故そこまで知っている?
ひょっとして・・
「百合葉、くノ一の組織を作ったのか?」
「はい、女衆も乗り気ですぐに出来ました」
そうか、忍びの女衆も仕事を欲していたのだな。各拠点を結ぶ女衆の裏ネットワークが出来たのだ。
各拠点の町と城内に五名から十名の女衆を送り込んだようだ。
女衆は城内の人や物の監視だけでなく、町に流れる噂の収集や忍び衆らと連携した探索など広範囲に渡り、重要な情報は百合葉の元にいるくノ一頭・お滝の元に集まって来るらしい。
むむむ、浮気なんかしたら一発で分かるって事か、危うし・・
お滝は見るからに穏やかそうな、傍に控えていても目立たず、とてもやり手のくノ一に見えない。
まあ役割は侍女頭かな、楓も懐いているようだ・・
十日ほどは法用砦の奥に籠もっていた。
三ヶ月の寝たきりで、やはり筋肉量がかなり減っていて道場での筋トレなどをして体力回復に努めた。
そこそこ動けるようになると外に出たくなった。
やはりここでは狭い。
かといってこの一角を出れば、むちゃ大勢の者がいて目立つ。去年と違って大門の外は護衛の者らが詰める二の丸があって、その外は大勢の者が働く大都会なのだ。
つまり俺は逼塞に飽きてきたのだ。ここでは悪だくらみがし難い。勿論俺が意識を取り戻したことは領内の民にも伝えている。新年はまるでお通夜の様だったと聞いていたからな。
皆、心配掛けたな。生きているぞ。実は元気だけど・・。
「百合葉、多聞城に帰ろう。馬車を用意してくれ」
「畏まりました」
俺はまだ寝たきりだという体で馬車に乗せて貰って多聞城に帰った。かといって大勢の人に会うのでは無い。多聞城の城中は広い、散歩するだけでも運動になる広さだ。工事も落ち着いてきて職人衆も相当減っている。
ここなら退屈しない。近い所に、鍛冶士や職人集団がいて色々な物を試作出来るのだ。この機会にじっくりと取り組もうと思う。
俺は対外的には当分の間、病気で寝たきり、面会謝絶なのだ、つまり悪だくらみのし放題だ、ぐへへ。
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