第三章・雌伏

第118話・年賀の異変。


永禄四年正月 柳生宗厳


 今年は雪もなく暖かい正月を迎えた。

去年は初春から戦に明け暮れる目まぐるしい一年だった。柳生二千石が、大和・宇陀・名張・伊賀上野を加えて二十五万石にもなったのだ。

それも山中殿がいなければ考えられない事であった。一年前のあの日、山中殿と筒井の松永様に年賀の挨拶に伺ってから全てが動いたのだ。


今年の正月・松永様は、新たに建設された御所に詰めっきりで、年賀の挨拶は無用と言われた。

そこで色々と世話になった山中殿と一献酌み交わそうと出て来たのだ。大柳生から大和街道・北村村に向かって進んでいる。山中殿は年末年始に法用村で過すと聞いている。柳生と法用村は近い、気軽に出て来られる距離だ。


「殿、北村村の手前で、街道が封鎖されています」


先行していた者が慌ただしく戻ってきて告げた。


「・・どうした、何かあったのか?」

「分かりませぬ。ですが山中兵が厳重な警戒をしております」


 山中領で何かあったのか、そういえば・・・


 前もって正月七日に年賀の挨拶に行くと書状をしたためたが、返事が未だに無かった。小まめに書状を送ってくる山中殿にしては珍しい事だ。

 山中殿は正月を迎えても、各地で戦時状態のままで多忙のため失念されたかと思っていたが。山中殿の盟友とも言える藤内どのが年末に重体になったのもあるしな・・



北村村の入り口には確かに臨時の門が作られていて、武装した多数の兵が殺気だって控えている。領内に関所も無く、自由往来を謳っている山中領にしては珍しい事だ。


「大和街道はこの先通れませぬ。迂回をお願い致す。繰り返す、この先法用から南都までの街道は、付近の住民以外は通れませぬ。迂回お願い致す」

と、門の前にいる兵士が並ぶ通行人に説明する声が聞こえる。


「これは柳生様・・」

「山中殿に会いに来たのだ。何かあったか?」


「し・しばしお待ち下され。今聞いて参ります」


この場の指揮者が儂の顔を知っていて良かったわ。兵士を乗せた馬が急いでで門の中へ駆け去った。


「どうしたな、山中領内で何事か出来したか?」

「柳生様、お許し下され。他言を禁じられておりまする」


 答える指揮者の顔に焦燥と苦悩が漂っている。他の兵士もよく見ればそうだ。目に力が無いのが山中兵らしくない。


 ただ事では無いな・・・

(ひょっとして山中殿ご自身に異変が・・)


 それが当たら無ければ良いと某は思った。もし、今山中殿の身に何かあればその影響は途轍もなく大きく、柳生家も只では済まぬ。


 しばらくすると馬が駆けて来た。乗って来たのはなんと北村殿だ。北村殿は紀ノ川流域の前線である栗栖の地を任されている。年始の挨拶に帰宅したと言う事か・・


「柳生様、ようこそおいで下さりました。某がご案内致しまする」

「お願いする」


 新年のお目出度い挨拶は遠慮した方が良さそうだ。北村殿の顔も苦悩のあとが見える。これはいよいよ覚悟しなければならぬな。



 すぐに法用村に着いた。ここは相変わらず来る度に変っている。もはや村などでは無く物を作る一大都市だ。祭りのような賑やかさに来る都度驚いたものだ。

 正月というのに相変わらず黙々と無数の煙が上がり、鍛冶士が叩く金槌の音がせわしなく響いている。竹を引く鋸の音、鉈で割る音、シャアシャアと扱く音などの無数の音と沢山の働く人々の汗と息が寒さを圧倒する様に充満している。


しかし、音はまことに賑やかだが、今日の法用砦は何かが違っていた。

何かが違う・・・

 そうだ、人の声がしない。全くしないのだ。


 人々は無言で黙々と働いている。だがその表情はどの顔も苦しみにじっと耐えているかのようだ。いや、泣きながら動いている者もいる、涙を流しているが口はへの字に結び、目を見開いて無言で働いている。肩を振わして皆が悲しみに絶えているかのようだ。

その異様さ・悲しみの深さは胸を打つ。見ている某も涙が湧き出てくるようだ。


「柳生様、こちらに。皆がおりまする」


 某はその場で立ち尽くしていたようだ。北村殿の声に我に帰った。


本丸の広間に行くと、清水三十郞殿と北村庄佐衛門殿・須川甚五郎殿の重鎮に津田算長殿もいる。相楽殿に十市殿に楠木殿もいる。部屋の隅では杉吉どのと保豊どのと黒蔵の跡を継いだ新造も見守っている。


十市殿は遥か南の紀伊新宮で大普請の最中だ。北村殿は雑賀衆との前線で相楽殿は九度山で六千もの兵を指揮しているはずだ。そんな重要な者らが集っているのは年始の挨拶のためか・・・


 戸が開いて筆頭家老の清水殿とお方様が入って来て座った。


「方々お集まりご苦労である。柳生様、楠木殿、お越し下さりありがとう存知ます」

 清水殿も苦悩の色が濃い。


「すでに大方の者が知る通り、大将が大晦日に寝られてより起きられぬ。医師も理由が分からぬが病の兆候は無いと言う。体はいたって元気なのだ。一日一度の粥は問題なく飲まれる。繰り返す、大将は今のところ元気なのだ」


「なんと・・」

 起きないとはどう言う事だ? 大晦日より・・七日は経つな・・・


「今日は中隊長以上の来られる方々に集って貰った。大将の片腕とも言える藤内どのの生死も分からぬ時に、大将がこのような状態なのだ。我々が今すべき事は何か、それを確認しておきたい。柳生様、楠木殿のご意見も伺いたい」


そういう事か、ならばその前に聞いておきたいことがある。


「宜しいか」

「柳生様、どうぞ」


「今初めて聞き申したが、山中殿の体に異常はないと言う事ですな」

「はい、全く問題無いと医師は申しております」


「ならば、街道を封鎖しているのは敵に知らせぬ為ですな?」

「左様でございます。しかしこれは某が咄嗟に取った事に過ぎませぬ。どうしようと何れは世間に知られましょう。大将も望むまいと思われます。これはすぐに解除するつもりでございます」


「結構。次に緊急の判断が必要な事はありましょうか。例えば対雑賀戦などですが」


「それは有りませぬ。山中家では殆どのことは元々現地の指揮者の判断に任されており、対雑賀戦でも現地指揮者が全てをこなせる範中であります」


「柳生様、筆頭家老の言う通りで御座います。例え前線の栗栖城に某がいなくとも、梅谷・小寺・嶋・啓英坊らが問題無く対処出来ます。それ故にここに参りました」


 うむ、山中軍大隊長の言葉だ。これが山中軍の強さだな。そういう風に軍を作ってきた山中殿が凄いのだ。某も見習らうべきだな。


「ひとつ宜しいか」

「十市どの、どうぞ」


「某が思うには、大将はこの事を想定していて皆と話をしていた。そうではござりませぬか?」


 十市殿の言葉に頷く者が多い。どうやら皆にも思い当たる事がありそうだ。実は某もある。


「はい、某には大将に異変あれば、好きにせよと仰せでした」

「某もです」

「某も」


 ふふふ、山中殿はどうやら皆に好きにせよと言っていた様だな。

某にも、もし山中殿に何かあれば、柳生は山中領を侵略するなり併呑するなり思うままにされよと書いていたわ。無論、強力な山中隊と敵対すれば潰されるのはこちらの方だがな。


「それで新介とも相談したのですが、当分はそれぞれが今の配置されている場所の兵を掌握して、するべき事を進めようと言う事になりました」


 ふむ、まあ当然かな。今の配置が山中殿の意志だからな。皆も異論はないようだ。


「皆に異論は無いようですな。では我らは動揺を見せずに現状を維持する方向で宜しいな。お方様は如何ですか」


「皆、集まりご苦労でありました。ですが動揺する必要はまったくありませぬ。殿はちょっと働き過ぎたのです。人の数十年の大仕事を僅か一年でこなした。それで今は少し休んでいるだけです。しばらくすれば、必ず戻って来られます、わたくしには解ります」


 奥方様が真っ直ぐな目で言い切った。

 このお方は強い。武芸も途轍もなく強いが元々の心が強いのだ。思考に迷いが感じられない。


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