第83話・袋の鼠。


奥伊勢・北畠館 鳥屋尾満栄


 開け放たれた障子から晩秋の色鮮やかな庭園が見渡せる。霧山から降りてくる風の冷たさは冬の訪れが近い事を告げている。

 お館様は目を閉じて季節の移ろいを感じておられるご様子だ。それとも先ほど届いた書状の事を考えておられるのかも知れぬ。差出人は尾鷲の国人衆らだ。この時期に尾鷲衆から来る書状の内容は、某にもおおよその察しがつく。


「カンッ」と乾いた鹿威しの音がお館様の気持ちを決めたようだ。ゆっくりと目を開けると某を見て言った。


「志摩の海賊衆の騒動はどうなったな?」


「相変わらず小浜衆が九鬼と揉めております」

「ならば問題の元となっている九鬼を山中に引き取って貰おうか」


「九鬼を新宮領に厄介払いできましょうか?」

「山中は新宮で水軍を強化すると言っておる。志摩の九鬼は熊野衆の出だから引き取りたいとの打診があった」


「・・左様で御座りますか。水軍を強化すると言われましたか」

「うむ、海の道も商いには大事だと言っておる。我らも志摩衆を一枚岩にして強化する策を考えよ」


「畏まりました。ところで、尾鷲衆はなんと?」

「うむ、周囲の国人衆は山中に臣従すると申す者が多いが、我らは徹底抗戦すると。北畠には是非援助願いたしと書いておる」


「何と浅はかな、山中相手に徹底抗戦とは・・それでどうお答えになります?」

「好きにせよ。と言う他に言葉がない」


「左様で御座りますな。山中との境界は何処に?」

「紀伊との堺は従来通り荷阪峠じゃ。山中は馬瀬までで良いといっておったが・・」

「馬瀬・矢口浦で御座りますな。確かに三野瀬や紀伊長島は新宮からは離れておりまするし、北畠とも近い。良いではありませぬか」

「ふむ、ならば受けておこうかの」




尾鷲・熊野街道を見下ろす八鬼山麓の山 仲新之丞


「急げ、山中勢をここで遮断するのだ!」

 西方から尾鷲に抜ける街道を封鎖して周辺に砦を作っていた。三つの砦は、街道を来た敵を囲むような配置だ。六人の尾鷲衆が分担して、それぞれの砦に二百前後の兵を入れる。さらに側面や背後に賀田城の榎本と三木城の三鬼が出て来て牽制する。


 山中の一千の軍と国人衆の兵もここにとどまるを得ないだろう。数の上では半分だが地の利がある我らが、夜襲や小規模の突撃を繰り返して消耗させるのだ。補給も乱して次第に敵の士気を削ってゆく。我らの背後には補給の道があり、対陣が長期化してもなんら困ることは無い。


すぐに厳しい冬が来る。そんな中、我らを攻めあぐねてさらには翻弄されていると分かれば、翻意する国人衆も出て来る筈だ。そうなると我比の勢力は逆転して一気に攻勢に出て撃退する事も可能だ。北畠も我らを無視出来ずに、援兵を出さざるを得ないだろう。


 そうなれば軍を西進させて、一気に有馬や新宮を傘下に収めることも可能だ。どこの馬の骨とも分からぬ者に、尾鷲を好きにさせてたまるか。


「仲殿、北畠様からの書状です」

「おお、左様か、待ちかねたぞ」


 む、「好きにされよ」か・・どういう意味だ。我らの行動に積極的に関わろうとはしないと言う事か・・

 ふっ、成る程な、北畠としては紀伊国内の事に口を鋏まぬと言う事か。だが、こちらが有利になれば、「当家の予想通りになりましたな。敵を油断させるために無関心を装っていました」などと言ってくるのだろう。


「どう書いてありましたな?」

「つまりは・・我らの行動を認めるという事だな」

「左様でござりますか。まずは一安心ですな」


 そうだ。まずは、山中だ。



”山中隊、曽根城に来ました!”

「来たか!、数は?」


”総勢およそ九百、その内山中隊は三百ほどです!“

「なに九百とな、少ないな・・」


 本宮大社に来た山中隊は一千、それに堀内・有馬らの国人衆約一千が加わり、総勢は二千ほどになると思っていたのだ。

 それが九百とは・・


「西に通じる道に広く斥候を出せ。別働隊がいる筈だ!」

「はっ、すぐに」


 各砦の半数を出して別働隊の牽制に当てるか・・

 まてよ。

 全体の勢力が少ない我らが、兵を分散させるのは悪手だな。九百ならば、我らが数の上でも布陣でも有利なのだ。ここは三方から一気に包み込んで敵を殲滅してから、別働隊に当たるのが良手か。


「榎本・三鬼に伝令。敵は我らより少数なり、ここは包み込んで一気に殲滅すべし、我らの命運、この一戦にありと伝えよ!」

「はっ、すぐに!!」



山中隊 九鬼春宗


十市殿が三百を率いて、某と後藤・有馬殿が従って七里浜を一気に進み岩本城下を経由して曽根城に入った。途中の有馬本城や岩本城で三百ほどの兵が加わっている。

 曽根城は賀田湾の西南にあり、賀田城とは目と鼻の先だ。城主の曽根弾正は海賊衆でもありながらなかなかの情報通で知られていて、今回もいち早く山中に臣従して来た男だ。

総勢八百、十市殿はこれで充分だという。新宮の守りと普請の指導に山中兵百を残してきたのだ。


「お待ちしておりました。曽根弾正で御座ります」

「山中隊中隊長・十市遠勝だ。世話になる。早速だが状況を聞こうか」


「はっ、賀田城・三木城を空にして榎本是行と三鬼新八郎は八鬼山に潜んでいるようでござる。尾鷲衆は八鬼山を降りた矢浜手前を封鎖して周辺に砦を拵えている様子で御座ります」

「ふむ、袋の鼠か・・ふっふっふ」


 何故か十市殿は嬉しそうだ。我らはそれが不審で顔を見合わせた。


「なに、大将が一度使ったのよ。儂は詳しくは知らぬがな、のう鵺殿」

「はい、あれは兵が百になったばかりの頃で、百八十が待ち受ける狭川領に踏み込み大将自らが取った策でした」


「・・自ら袋の鼠に嵌まったと?」

「うむ、そうして敵を誘い出して、大将は袋の鼠を見事に虎の穴に変えて狭川を食い破ったのです」

「・・・」


 良く意味が解せぬが・・袋の鼠を虎の穴に変えるか、罠に掛かった鼠を捕ろうとしたらそこに虎がいた訳か・・何だか恐ろしいな。想像しただけでも身震いがするわ。


「敵の勢力は?」

「はっ、榎本・三鬼ともに二百ほど、尾鷲衆は三つの砦にそれぞれ二百、街道封鎖に百で御座います」

「うむ、総勢で一千百か我らの知るところと同じだ。良く調べたな弾正」

「ははっ」


 こちらは八百だが、曽根城と我が九鬼城にも兵がいる。それらの兵を合わせれば互角だ。さて、某ならばどうするか。

袋の鼠に虎の穴か、どちらにせよそこに入らなければならぬ・・


「春宗どの、貴殿はどう考えるか?」

「はい、八鬼山のこちらに留まれば、城もあり補給も効き我らに有利です。だがひとたび八鬼峠を越えて進めば敵の陥穽が待ち受けております」


「そうだ。だが虎穴に入らずば虎児を得ずという諺もある。我らの目的は尾鷲の制圧だ」

「はい、ならばここは虎穴に入り、それを破らねばなりませぬ」


「同意だ。しかもここは迅速が我らに有利。有馬殿と後藤殿は二百を率いて賀田城・三木城を取って守備して呉れ」

「はっ」「承知」


「鵺殿、未明までに街道封鎖を破れようか?」

「お任せを」


「ならば我らは此所を夜陰に紛れて出立する。未明には街道封鎖を突破して尾鷲領に出るのだ。そのつもりで準備せよ」

「「「はっ」」」


 おう、某が考えて以上の策だ。街道封鎖が破れるかどうかが問題で、それを事前に見てくる必要があったのだが。

鵺・いや杉吉殿はそれを分かっているようだ。最近になって聞いたが杉吉殿は斥候隊の隊長だというのだ。斥候隊はその名の如く潜入して敵の状況を調べているらしい。兵の姿が見えないのはそのためだろう。その規模は分からぬ。存在しているのに数の内には入らない。見えない兵たちなのだ。まさに鵺殿だ・・


山中隊に国人衆の事が筒抜けなのはそのせいだ、さらに潜入している忍びや乱派衆がいるのだ。

強力な兵に十市殿のような優れた将、その上に敵情は筒抜けで見えない部隊もいるのだ。勝てぬ訳だ。


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